artscapeレビュー
2015年11月15日号のレビュー/プレビュー
「小川原脩 自伝風な展覧会 ベスト・セレクション」「竹岡羊子 展──カーニバルに魅せられて」
会期:2015/10/24~2015/12/13
小川原脩記念美術館[北海道]
明日、札幌に用があり、ついでだから前日に入って倶知安まで足を延ばす。倶知安には学生時代に世話になった友人が長く住んでるし、いちど行ってみたかった小川原脩記念美術館もあるからだ。38年ぶりに再会した友人の案内で、さっそく美術館へ。美術館は郊外の少し小高い場所にあり、正面に羊蹄山を望むが、この日は残念ながら上半身が雲に隠れて雄姿を見せず。展示室は大小ふたつあり、大では「竹岡羊子展」を開催中で、小川原コレクションは小のほう。小川原に興味を持ったのは、戦前シュルレアリスム系の画家であったにもかかわらず戦争画に手を染め、戦後それが理由で美術団体から離脱を余儀なくされたからだ。彼も戦争画に翻弄されたひとりなのだ。同館には戦争画はないが、その前後の作品は出ていて、それらを見るとシュルレアリスムからキュビスム、抽象、童話風とスタイルがどんどん変わり、かなり器用な画家だったことがわかる。その器用さがアダになったとしたら哀れというほかない。学芸員の好意により収蔵庫で戦時中の従軍スケッチを見せてもらう。画家は従軍しても最前線に送られることはなく、戦闘後しばらくたってから現地を訪れるか、後方で風景や住人をスケッチするしかない。小川原のスケッチも例外なく、のどかな風景や人物ばかりだった。
2015/10/30(金)(村田真)
「新宿副都心の再生──超高層の足元を快適に繋ぐネットワーク(歩行トラフィックを再構築する)」コンペ審査
会期:2015/10/31
新宿野村ビル[東京都]
新宿の総合資格学院にて、第一回修士課程学生プロポーザル・デザイン・コンペの二次審査に参加する。考えてみると、修士の学生だけを対象にしたアイデア・コンペはほかにない。今回のテーマは「新宿副都心の再生」であり、10チームの発表と質疑応答を行なう。新宿の歴史をひもときながら、現在の風景に土の地形を重ねる奈良女子大の案を推し、それが最優秀になった。が、修士の学生でも、審査員が評価する部分と本人たちの意識にやはりズレを感じる。個人的には、彼女らの案は人工的な都市と土によるテクスチャの断絶が魅力的で、SF的かつアート的なインパクトも感じたのだが、どうもベタに出てきたアイデアのようだった。
2015/10/31(土)(五十嵐太郎)
伊藤高志映像個展
会期:2015/10/29~2015/11/01
LUMEN gallery[京都府]
日本の実験映像を代表する作家の一人、伊藤高志のほぼ全作品を一挙上映する個展。学生時代の8mm映画に始まり、《SPACY》《BOX》など、80年代~90年代半ばに制作された写真のコマ撮り撮影によるアニメーション(Aプログラム)、人物の実写によって不条理な心理的世界を描いた90年代後半~2000年代以降の中編作品(Bプログラム)、合わせて23作品計212分が上映された。
Aプログラムを貫くのは、「写真(静止画)と映画(イメージの運動)」の往還である。ゴダールは「映画は1秒間に24回の真実、あるいは死である」と言ったが、少しずつ距離やアングルを変えて撮影した写真をコマ撮り撮影し、1秒24コマのアニメーションとして再生することで、瞬間的に凝固させられ、「写真」のなかでいったん「死」を与えられたイメージが、擬似的な再生を迎えるのだ。ならば、そうした伊藤の映像作品のなかに、「ゴースト」的なイメージが繰り返し登場することは当然かもしれない。長時間露光(バルブ撮影)を用いることで、鬼火やエクトプラズマのような発光体の軌跡がスクリーン上を自在に駈け廻り、平凡なアパートの室内を異形の蠢く異界へと開いていくのだ。
このように、生と死の境界が曖昧になり、両者が重なり合って存在する幻視の世界は、Bプログラムへと受け継がれる。今回の個展で両プログラムを通覧して感じたのは、写真のコマ撮り/実写、映像の視覚的構造への自己言及/ストーリー性や心理的世界、8mmや16mmフィルム/ヴィデオ/DV/BDといったメディアの違い、などさまざまな相違はありつつも、両プログラムを架橋するそうした共通性である。Bプログラムの中編映像には、背後霊のように変質的なまでにつきまとう尾行者・窃視者がしばしば登場し、ストーリーの進行とともに、見る者と見られる者、自己と他者、死者と生者、現実世界と妄想の境界が不条理に溶解していく。あるいは《静かな一日・完全版》は、自分の「死」を演じた写真を撮り続けることで、自殺願望の成就を(繰り返し、だが擬似的に)味わう少女の物語である。
また、隣接したGalleryMainでは、撮影素材と機材の展示も行なわれた。写真を一枚ずつ台紙に貼り付けた撮影用スチールの実物は、パラパラ漫画のように手でめくって見ることができる。さらに、複数の写真を貼り合わせることで空間のパースが歪んで見えるスチールや、蝶番のように動く撮影用の台なども展示され、魔術的な映像が気の遠くなるような手作業によって生み出されていたことがよくわかった。
2015/10/31(土)(高嶋慈)
全道展70周年記念企画展──70年新生する全道展
会期:2015/10/31~2015/11/08
北海道立近代美術館[北海道]
今日は全道展の創立70周年記念の講演をすることになっているので、その前に展覧会を拝見。招待されていうのもなんだが、どこの公募団体展も似たり寄ったりだ(今回は公募はなく、会員・会友だけの企画展だが)。例えば、作品を目いっぱい展示して、足りなければ2段がけにすること。会友・会員とヒエラルキーが存在すること。現代社会からかけ離れた作品が多いこと。これらはすべて日本でしか通用しないガラパゴス現象といえる。1点、目が釘づけになる作品があった。竹岡羊子の《佳き日に!》。パリかどこかの街角で、少女の上半身が木っ端みじんに吹き飛んでる瞬間を描いた絵だ。というのは冗談で、ほんとは大きな花束を抱えて上半身が隠れてしまった少女の像だろう。でもそれが自爆テロにも見えるというのは悪いことではない。あるひとつの絵がさまざまな解釈を許すのは包容力があるからだ。この絵は作者がどう思うかは別にして、まったく正反対の見方ができる点で優れている。
2015/10/31(土)(村田真)
全道展会員による演劇「アートは時空を超えて」
会期:2015/10/31
北海道立近代美術館講堂[北海道]
ぼくの前座講演の終了後、全道展会員による名画コント。ロダンとクローデルとか、ダリとガラとか、藤田とキキとか、ついでに考える人まで会員が演じるという、いってみれば動く「額縁ショー」。画家や彫刻家は本来ものを見てそれを再現する、つまり真似るのが得意なはずだが、本人が真似るのと手を使って空間に再現するのとでは勝手が違うのか、みんなおそろしくヘタクソだ。まあそれだけに笑えたけどね。それにしても高齢化が進んでるせいか、若い女性役不足(男性役もだが)は深刻だ。
2015/10/31(土)(村田真)