artscapeレビュー

2016年07月15日号のレビュー/プレビュー

ロベール・ルパージュ「887」(日本初演)

会期:2016/06/23~2016/06/26

東京芸術劇場プレイハウス[東京都]

現代詩の困難な暗唱を経験したことを契機に、逆に忘れがたい個人の記憶を辿り始める。劇中、記憶の宮殿に言及したように、映像を駆使しつつ、舞台装置が回転・変形しながら、過去のアパート、部屋、風景が次々と現われ、場所とともにそれぞれの思い出が蘇る。ギミックたっぷりの技巧にも驚かされるが、圧巻のひとり芝居だった。

2016/06/26(日)(五十嵐太郎)

プレビュー:わたしは、春になったら写真と劇場の未来のために山に登ることにした

会期:2016/08/26~2016/08/28

アトリエ劇研[京都府]

京都を拠点に活動する同世代の演出家と写真家、それぞれ2組が、演劇/写真/ダンスの境界を交差させ、対話を通じた共同制作を行なう2本立ての企画。2013年~15年に毎年開催されたDance Fanfare Kyotoでの「×(カケル)ダンス」(御厨亮企画)で試みられた、異ジャンルのアーティストによる共同制作を引き継ぐ試みである。
「身体の展示」として展覧会も行なうダンサー・振付家・演出家の倉田翠(akakilike)は、「家族写真」というフォーマットを足がかりに、セルフ・ポートレイトを中心に制作する前谷開と組む。一方、俳優の言葉と身体の関係性に取り組む演出家・和田ながら(したため)と、写真イメージと物質の関係性を考察する守屋友樹は、ある「登山の経験」の共有をパフォーマンスに仕立てる予定。前谷は、カプセルホテルの内部の壁に落書きしたドローイングとともに撮った全裸のセルフ・ポートレイトや、同居人の後ろ姿になりすまして撮ったポートレイトなど、「私性」の中に身体的行為の痕跡やフィクショナルな要素を混在させた写真作品を制作している。また、守屋は、ある固有の山や岩が写真という媒介を経ることで、形態や色彩といった視覚的情報に置換され、布やネオン管といった物体/光を用いた見立てへと空間的に増殖していくような展示をつくり上げている。それぞれに身体性や空間性への意識を見せる2人の写真家が、演劇やダンスの時空間とどう関わり合うのか、期待される。

2016/06/27(月)(高嶋慈)

プレビュー:Art Court Frontier 2016 #14

会期:2016/08/20~2016/09/24

ARTCOURT Gallery[大阪府]

「Art Court Frontier」は、キュレーター、アーティスト、ジャーナリスト、批評家などが1名ずつ出展作家を推薦し、関西圏の若手作家の動向を紹介する目的で2003年に始まったアニュアル企画。2015年からは、作家数を約10名から4名に絞ることで、各作家の展示スペースが拡大され、ショーケース的な紹介から一歩進んで、4つの個展が並置されたような充実感が感じられるようになった。
筆者は、今年の推薦者として本企画に関わっており、2016年6月15日号と2015年7月15日号の本欄で取り上げた、写真家の金サジを推薦させていただいた。彼女が近年取り組む「物語」シリーズの作品が、2回の個展を経てどう深化した姿を見せるのか、期待がふくらむ。他の出展作家(括弧内は推薦者)は、迫鉄平(表恒匡:フォトグラファー)、水垣尚(堀尾貞治:アーティスト)、鷲尾友公(北出智恵子:金沢21世紀美術館学芸員)。写真、映像、インスタレーション、絵画や立体と表現媒体もさまざまな4名を通じて、何が見えてくるだろうか。

関連レビュー

金サジ「STORY」:artscapeレビュー
金サジ「STORY」:artscapeレビュー

2016/06/27(月)(高嶋慈)

「KENPOKU ART 2016 茨城県北芸術祭」企画発表会

会期:2016/06/28

上野精養軒[東京都]

この秋、茨城県北部で開催される芸術祭「KENPOKU ART 2016」の記者発表。これだけ国際展や芸術祭が増えてくると、よっぽど大金かけて海外の大物アーティストを呼ぶとか、ケガ人続出みたいな気の狂った企画を立てないと注目を集めないが、「KENPOKU ART」はどちらでもない。裏返せばとても真っ当な、もっといえば優等生的な芸術祭になりそうだ。まずテーマだが、「海か、山か、芸術か?」。テーマになってないが、田舎でやるんだという意気込みというか開き直りは伝わってくる。場所は日立市や高萩市など5市1町、のべ1,652平方キロ(越後妻有の2倍強)におよぶ広大な地域だが、そこにまんべんなく作品を点在させるのではなく、見に行きやすいように「日立駅周辺」「五浦・高萩海浜」「常陸太田鯨ヶ丘」「奥久慈清流」の4つのエリアに分け、作品を集中させるという。よくも悪くも越後妻有ほど非常識ではないのだ。総合ディレクターは森美術館館長の南條史生、キュレーターには札幌国際芸術祭にも関わった四方幸子の名前も。出品作家はミヒャエル・ボイトラー、藤浩志、日比野克彦、石田尚志、イリヤ&エミリア・カバコフ、妹島和世、須田悦弘、チームラボなど約20カ国から100組近く。地域の人たちとの対話を通して作品プランを組み立てるアートハッカソンを実施して選出したり、県南部のアーティスト・イン・レジデンス「アーカス」の経験者や、伊藤公象、國安孝昌、田中信太郎といった地元作家も入れ込んでバランスをとっている。海あり山あり芸術もあり、ちゃっかり各地の芸術祭の「いいとこどり」をしているような印象もある。後出しだからなあ。でもひとつ感心したのは、県知事で実行委員会会長の橋本昌がとても熱心なこと。会場からの質問も人任せにせず、みずから積極的に答えていた。トップが引っぱっている。出しゃばりすぎなければ最強だ。

2016/06/28(火)(村田真)

楢橋朝子「近づいては遠ざかる 1985/2015〈ベトナムの場合〉」

会期:2016/06/21~2016/07/03

photographers’ gallery[東京都]

楢橋朝子は、以前同じタイトルの「近づいては遠ざかる 2009/1989」(東京アートミュージアム、2009)という個展を開催したことがある。そのときには、新作のドバイの写真(カラー)と旧作のスナップショット(モノクローム)を並置したのだが、今回も同じコンセプトを踏襲している。つまり、まだ学生だった1980年代半ばに「目を輝かせながらも少し恥ずかしそうにしている子どもたちや、朗らかでしたたかな人びとのエネルギーに惹きつけられて」ベトナムを3度にわたって訪ねたときの初々しい写真と、2015年に30年ぶりにホーチミン市を再訪した時の写真とが、交互に展示されているのだ。
同じ場所を、時を隔てて再び訪ねるというのは、写真家にとって興味深い経験なのではないだろうか。すっかり変わってしまった人や街の様子だけではなく、自分のものの見方の違いも確認できるからだ。今回の展示では、日付を入れて撮影された、素朴だが力強い1980年代の写真群(モノクローム)と、楢橋流にバイアスをかけて、やや斜めから距離をとって撮影された2015年のカラー・スナップの対比がもくろまれている。その狙いはうまく成功していて、近代化、資本主義化の急速な進行によって大きく変貌しつつある街の空気感が、ヴィヴィッドに伝わってきた。新作と旧作を同時に展示する「近づいては遠ざかる」のシリーズは、これから先も別なヴァージョンで続けていってほしいものだ。
なお、隣室のKULA PHOTO GALLERYでは、1985年にベトナムで撮影したVHSビデオを再編集した映像作品と、2015年撮影のデジタルビデオ画像を、マルチスクリーンで同時上映していた。2015年の、街を縦横無尽に走り回るバイクの群れの映像作品は、撮り続けていくとより面白くなりそうだ。

2016/06/30(木)(飯沢耕太郎)

2016年07月15日号の
artscapeレビュー