artscapeレビュー
2016年07月15日号のレビュー/プレビュー
野口直人 ミケランジェロ展をめぐるレクチャー
会期:2016/06/16
横浜国立大学[神奈川県]
二次元の図面では十分に表象しえない、おそらく立体的な彫刻として構想されたラウレンツィアーナ図書館の階段室をCNCルーターを駆使し、模型を製作した。古典主義からSANAA、ゲーリーにも議論が及び、建築家と歴史家が共通に語れる貴重な場だった。また会場の壁に向かって、1/1のスケールでCGの透視図を投影し、巨大なサイズであることも確認した。
2016/06/16(木)(五十嵐太郎)
Unveiling vol.1
会期:2016/06/03~2016/07/02
SNOW contemporary[東京都]
西麻布の交差点に移転して初の展覧会で、出品は飯沼英樹、日野之彦、SWOONら6人。SWOONは古くて小さな木の扉に、左右対称に切った白い紙を貼り付けた作品など2点を出している。いかにもストリートアーティストが売り物をつくりました的な小品ではあるけれど、のどから手が出そうになって退散。
2016/06/17(金)(村田真)
《ところミュージアム大三島》ほか
[愛媛県]
竣工:2003年
松山へ。5月に高知でお会いしたJIAの武智和臣さん、中尾忍さんの取り計らいで、《伊東豊雄建築ミュージアム》にて、ミニレクチャーと交流会を行なう。ここでは《シルバーハット》の空間を体験できるが、東京に比べて、建築の軽やかさが、さらに開放的になって、海と山の絶景と対峙している。そして多面体の空間が連鎖する《スチールハット》では、伊東らの大三島での取り組みを紹介する新しい展示が、ちょうど設営中だった。
山本英明が設計した《ところミュージアム大三島》が、これに隣接する。斜面に沿った2枚のコンクリートの壁に挟まれたエリアが美術館だ。上部は間伐材のヴォールトに白い膜の屋根を架け、道路側から内部に入り、展示室を降りて、一番下の端部は海に向かってテラスを突き出し、シャッターで開閉を行なう。これも恵まれたロケーションを生かした半屋外の建築になっている。また近郊には伊東豊雄の設計による《今治市岩田健母と子のミュージアム》もある。廃校と海に隣接し、ぐるっと円を描くコンクリートの壁だけで空間をつくり、その内部に彫刻群を設置する。ほとんど外部であり、大きく大きく青い空が頭上に広がって見える気持ちのよい場所だ。帰りには巨木のある大山祇神社に立ち寄ることもできた。
写真:左=上から、シルバーハット、スチールハット、《今治市岩田健母と子のミュージアム》 右=上から、シルバーハット、《ところミュージアム大三島》、大山祇神社
2016/06/18(土)(五十嵐太郎)
丹下健三/丹下健三計画研究室《愛媛信用金庫 今治支店》ほか
[愛媛県]
竣工:1960年
今治では、海からの軸線を受けとめる市庁舎、市民会館、公会堂、そして《愛媛信用金庫今治支店》(1960)など、丹下健三の建築も訪問した。ル・コルビュジエの影響を強く受けた作品群がよく残っている。西洋美術館の世界遺産入りによって、こうした近代建築が今後もきちんと保存されるようになるとよいと思う。また海側には原広司による《みなと交流センター》も完成し、オープンを待つだけとなっていた。船のようなヴォリュームを持ち上げる未来建築である。
写真:左=上から、《みなと交流センター》、《愛媛信用金庫今治支店》、市庁舎、市民会館 右=上から、《みなと交流センター》、公会堂、市民会館、公会堂
2016/06/18(土)(五十嵐太郎)
都築響一「エロトピア・ジャパン 神は局部に宿る」
会期:2016/06/11~2016/07/31
アツコバルー[東京都]
「神は局部に宿る」。さすが都築響一というべき素晴らしいネーミングのタイトルである。東京・渋谷のアツコバルーで開催された本展には、かつて日本各地に存在していた「秘宝館」の写真と実物の展示を中心に、まさにエロスのユートピア=「エロトピア」としかいいようがない日本人のエロス表現の諸相が盛りだくさんに並んでいた。
都築の冴え渡った編集能力によって構成された「ラブホテル」、「秘宝館」、「ベルベット・ペインティング」、「風俗詩」、「イメクラ」、「ラブドール」、「性のお達者クラブ」といった展示物を巡っていくと、あらためて日本人のエロスの風通しのよさに驚嘆させられる。江戸時代に異様なほどの活況を呈した「春画」を見ればわかるように、性的な営みを「罪」と見なすような西洋諸国とはまったく異質の、開放感あふれる性の表現が、少なくとも戦後の高度経済成長期まではその生命力を保ち続けていたことが、これらの出品物からいきいきと伝わってくるのだ。残念ながら、都築が撮影した11カ所の秘宝館が、伊勢の「元祖国際秘宝館」をはじめとして、「伊香保女神館」と「熱海秘宝館」を除いてはすべて閉館してしまったのを見てもわかるように、2000年代以降、そのエネルギーは枯渇しつつある。都築が精力的に撮影し、収集し続けてきたこれらのイメージが、もはや貴重な記録資料となってしまったことには、強い危惧感を覚えざるをえない。
「西洋のそれのように後ろめたく陰湿ではなく遊び心に溢れている」日本のエロス表現を、なんとか生き延びさせるにはどうすればいいのか。知恵を絞らなければならない時期が来ているようだ。
2016/06/19(日)(飯沢耕太郎)