artscapeレビュー

2009年05月15日号のレビュー/プレビュー

金氏徹平:溶け出す都市、空白の森

会期:2009/03/20~2009/05/27

横浜美術館[東京都]

今日は横浜美術館横のブラッセリーで姪の結婚披露パーティーがあるので、その前に寄ってみる。金氏はどちらかといえばスケールの大きな作家というより、繊細なアーティストだと思っていたので、大きな美術館での個展というのはピンと来なかった。実際、個々の作品は発想も素材の扱いもずば抜けていて、じっくり楽しめるものだが、果たして大きな会場で見せる必要があるのだろうか。とくに、YBA以前のイギリス彫刻を思わせる最後の部屋の大がかりなインスタレーションは、ようやく埋めましたって感じがしないでもなかった。
金氏徹平:http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2009/exhibition/kaneuji/

2009/04/26(日)(村田真)

『レム・コールハース:ア・カインド・オブ・アーキテクト』(DVD)

発行所:アップリンク

発行日:2009年1月9日

レム・コールハースはつねに両義性のなかを生きている。母方の祖父ディルク・ローゼンブルフは建築家、父アントン・コールハースはライター。レム・コールハースは建築家にしてライターである。幼少期をアジアで育ち、物心ついてからヨーロッパに移る。設計事務所であるOMAに加えてシンクタンクであるAMOを組織し、建築を編集的な手法で、建築以外のものを建築的な手法で、作品とする。
このDVDは建築家コールハースを追ったドキュメント映画であるが、副題がそうであるように(一種の建築家)、そこから浮かび上がるのは建築という領域をはるかに越えた思考を展開する、コールハースという巨人である。圧倒的な映像の情報量。そもそも作品数も多いし、一つの作品のために生み出される膨大なダイアグラムやスタディ模型、リサーチの量が膨大なのだけど、そこに例えばミン・テシュによるアニメーションなど、独自の映像も加わっている。またセシル・バルモンド、リチャード・マイヤー、ディルク・ベッカー、オーレ・スケーレンらが、多面的にコールハースを語る映像も貴重だ。
特に、建築をはじめる前のコールハースについて、知らない情報が多かった。祖父が建築家であったこと、14歳ですでに建築家を目指していたこと、ル・コルビュジエにインタビューした時の記事のディテール(唇の動き方まで表現している)、そして1966年のシチュアシオニストのコンスタント・ニーヴェンホイスへのインタビューが、ジャーナリストから建築家に転身するきっかけとなったことなど。はじめてコールハースを知る人にとってもとっつきやすいフィルムであると同時に、はじめて公開されるようなマニアックな情報も詰め込まれており、今後コールハースのレファレンスとして、必携になることは間違いないだろう。
ところで、個人的に最も面白かったのは特典映像の方だった。これだけで一枚のDVDになっていて、絶対に見る価値がある。まず「ディルク・ベッカーとの対話」。ベッカーはニコラス・ルーマンのもとで博士号を取った優秀な社会学者らしいのだが、《ボルドーの家》も知らない、ベルリンについての考察も知らないということだから、かなり甘く見て、あまりコールハースのことを知らずにインタビューにのぞんだようだ。いくつか失礼ではないだろうかという質問もするベッカーに対し、コールハースは終始、謙虚に真摯に答える。さまざまに問いつめるベッカーに対し、コールハースはむしろインタビューする側に回り、相手の考え方を聞いた上で「その考え方を建築に当てはめてみると?」と逆質問するなど、切り返しが絶妙にうまい。コールハースはインタビューをする名手であるけれども、インタビューを受ける名手でもあることが分かる映像。もう一つ、「アスター・プレイス・プロジェクト」の映像も貴重だ。ヘルツォーク&ド・ムーロンと協働した唯一のプロジェクト。OMAのなかでコールハースが次々と指示を出していく映像や、クライアントとの接し方のヘルツォークとの差異など、「現場」のコールハースを見ることが出来るのは興味深い。本編の冒頭にあったように、「コールハースが建てるどの建物よりも、彼自身が面白い」。

2009/04/27(月)(松田達)

見えていた風景「コトバ」寺島みどり

Neutron(京都)[京都府]

大阪、東京、京都の3会場で新作が発表された一連のシリーズ展。「見えていた風景」というタイトルに加え、大阪は「森」、東京は「空」、京都では「コトバ」というテーマがそれぞれ設定されていたが、最終会場(京都)の展示しか見ることができず心残りだ。展示は大きな作品が3点と、ドローイング作品が3点。これまでに見た、彼方を望むようなイメージの絵画とは印象がずいぶん違っていたので少し驚いた。育てている植物が主なモチーフなのだという。一見したときには、勢いのあるストロークから激しさも感じたが、至近距離でじっくりと見ると複雑な色層が確認できる。見れば見るほど、色が染み込んで画面の奥深くへと沈んでいくような印象に変わっていくから不思議。最近は目の前にある景色や日々の暮らしのなかで目にしているものにこそリアリティを感じるようになったと寺島は話してくれたが、穏やかに移り変わるイメージの作品にはその美しさと説得力が充分に表われていてこちらに響いてくるようだった。

来月には岡山県の奈義町現代美術館での個展も予定されている。6月21日(日)には館内のカフェにてアーティストトークも開催。旧作から最新作までを展観するというから見逃せない。
寺島みどり展「見えていた風景」
会期:6月21日(日)~7月26日(日)
会場:奈義町現代美術館

2009/04/28(火)(酒井千穂)

『凸と凹と 竹中工務店設計部のなかみ』

発行所:美術出版社

発行日:2009年3月20日

編者の長谷川直子さんからいただいた。本書は竹中工務店の作品集ではない。そして単なる読み物でもない。その中間的とでも言ったらよいだろうか。竹中工務店の本だと思って開いてみると意表をつかれる。しかし、建築の写真よりも文字が多い。図面は多くない。そして建築作品よりも、むしろ竹中工務店の担当設計者に焦点が当てられているともいえる。しかも上層部ではなく40代を中心とした若手にである。そして「がらがらぽん」「ひとつ屋根の下で」など、各節のタイトルがえらくキャッチーだ。いったんこの本は何の本なのだろう? と疑問がよぎる。そう思った瞬間には、すでにこの本の術中にあるのかもしれない。すでに引き込まれてしまっている。そもそもタイトルの「凸と凹と」とは何なのか……?
建築が凸だとしたら、社会(のリアクション)が凹なのだそうだ。凹が建築だとしたら、そこに凸という人がおさまっていくのだそうだ。だから本書は建築だけの本ではない。建築をめぐって、社会と人がどのように関わっているのか。「『仲介者』としての建物」という項目があったが、まさに社会と人の接点として建築が捉えられているといえる。各項では分かりやすく建築が紹介されつつ、担当設計者がどうプロジェクトを捉え、どう解決していったのか、建物の社会的意義をどう考えたのか、といったところまで、かなり詳細に記述される。
はたしてこの本の仕掛人は? 奥付の手前のページを見て納得がいく。企画協力でぽむ企画の二人(たかぎみ江さんと平塚桂さん)、取材・執筆で磯達雄さん(フリックスタジオ)、境洋人さんらが入っている。なるほど、はずし加減とまとめ方がうまい。ゼネコンの本らしからぬ構成をとることによって、スーパーゼネコンのなかにおける竹中工務店の独自性が表現されているだろう。そして、こういう本を公認で出してもいいんだという、竹中工務店の自由度も伝わってくる。
ところで終わりの方にデザイン・レビューの話が書いてあって、これは特に興味深かった。いかにして竹中の設計部で物事が決定されていくのか。二段階の厳しい社内審査のプロセスについて触れられている。プリンシパルアーキテクトの川北英氏によれば、竹中工務店の作品は、「竹中の○○」という組織と個人が合体した主体によって生み出されているという。単なる「商品」ではなく「作品」である。そして組織が全責任を持つが、結局は個人の頑張りと価値観であるという。だから本書には多くの竹中の設計者が個人名で現われている。こうした試みを長年続けている竹中工務店設計部の「なかみ」を知ることのできる、最良の本であるのではないだろうか。

2009/04/29(水)(松田達)

朝海陽子「22932」

会期:2009/03/27~2009/05/02

無人島プロダクション[東京都]

朝海陽子は、東京都写真美術館で昨年開催された「日本の新進作家Vol.7 オン・ユア・ボディ」展に、「自宅で映画を見る」人々の姿を撮影した「Sight」シリーズを発表して注目された。今回、高円寺の無人島プロダクションのスペースで公開されたのは彼女の新作だが、きわめてシンプルなコンセプトに徹していた前作に比べると相当に複雑な構成になっている。
ある一軒家に、家族ともお客ともつかない複数の人物が集う。その光景を、部屋ごとにいくつかのの視点から切り取り、カメラにおさめていく。それぞれの写真はつながったり、重なったり、切れたりしながら、何かおぼろげな物語を編み上げているのだが、登場人物のバックグラウンドも、物語全体の構成も明らかにされないので、観客は宙吊りにされたような不安定な気分を味わう。どこかミステリアスな、微かに血の匂いが漂うような雰囲気が、感情を微妙に逆撫でするのだが、その正体も最後まで明かされないままだ。
はっきりいって、このままでは失敗作としかいいようがないだろう。個々の写真は魅力的だが、物語の構築力が乏しく、写真の構成も混乱しているので、謎解きのカタルシスにはほど遠いからだ。とはいえ、新たな領域にチャレンジしていこうという積極的な姿勢には共感できる。もう少し作品の構成要素を絞って再構築すれば、別の可能性が見えてきそうだ。さらなる展開に期待というところだろうか。

2009/04/30(木)(飯沢耕太郎)

2009年05月15日号の
artscapeレビュー