2022年12月01日号
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artscapeレビュー

2009年07月01日号のレビュー/プレビュー

やなぎみわ 婆々娘々!

会期:2009/06/20~2009/09/23

国立国際美術館[大阪府]

現在開催中の「第53回ヴェネチア・ビエンナーレ」に日本館代表として参加しているやなぎみわ。同時期に始まった本展では、ビエンナーレの出品作《Windswept Women》が現地とほぼ同じ状態で出品されている。天地4メートル×幅3メートルの大画面に、胸をはだけて踊り狂う女性たちの巨像が写し出された作品5点だ。作品からは大地母神のごとき威厳と大衆芸能的な胡散臭さの両方が感じられるが、その両義性こそやなぎみわワールドの本質といえる。虚と実、老と幼、生と死、善と悪……。アンビバレントな要素が絶妙の配合でブレンドされ、観客の内面に激しい揺さぶりをかけるのだ。本展では、ほかにも《マイ・グランドマザーズ》シリーズ26点と映像作品《Birthday Party》、《Fairy Tale》シリーズから13点も出品されている。回顧展とまでは言えないものの、これまでに開催されたやなぎの個展でもっとも充実した内容であることは間違いないだろう。

2009/06/20(水)(小吹隆文)

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唐仁原希 展

会期:2009/07/20~2009/07/25

画廊 編[大阪府]

大学卒業直後の今年3月に個展を行なった唐仁原が、間髪をおかず2度目の個展を開催。この間京都でのグループ展にも出品しており、その旺盛な活動意欲に驚かされる。画廊からのオファーが続くのは、それだけ彼女の作品が注目されている証であろう。大きな目とスレンダーな体形の少女が、ある時は半獣半身に、またある時はかたつむりの殻に立てこもる彼女の絵画世界。そこには自身の内なる少女性に対する憧憬と怖れが如実に示されている。ハイペースで仕事が雑にならないように。それだけはお願いしたい。

2009/06/20(水)(小吹隆文)

ミクニヤナイハラプロジェクト vol.4『五人姉妹』

会期:2009/06/25~2009/06/28

吉祥寺シアター[東京都]

「延々に続けばいいのに」と思わされるか否か、ぼくにとって「傑作」かどうかの基準はこれなんだけれど、『五人姉妹』は傑作だった。五人のかしましい姉妹と一人の召使い男子。姉妹の一人春子は6時間しか起きていられず一日18時間は眠り姫。キャーキャーギャーギャー、激しい身ぶりを交えてほとんど聞き取れないガールズトークはマンガによく出てくる図形化したオノマトペ(擬声語・擬音語)みたいにポップ。と思うと、舞台の4つの白いキューブは、可動式で家の間取りを表わしながら、空間を均等に区切っていて、まるでコマ割。キャラや衣装は岡崎京子テイスト? マンガを舞台でやるという発想と思えば、とてつもない早口も、吹き出しを早読みする感じに似ていて楽しくなる。
激しいといえば、春子を起こそうと全員が体育用の笛を「ビャー」と吹くときの、耳が聞こえなくなりそうな感じや、春子が起き出してくるときに長い間真っ暗闇のまま舞台が進行する演出方法もじつに激しい。けれども、そうしたアイデアも、すべては演劇の効果として上手く機能していて不快ではない。物語は、つい先日の大叔母の死と、彼女たちにとってもっと深刻な17年の経つ母の死へと向かう。春子が危うく交通事故死しかけたところを助けてくれた男は、じつは母なのではないかと推測し出すクライマックスは、サリンジャーの『フラニーとゾーイ』を思い出させた。最後に、かしましさで埋めようにも埋められない大きな不在を示し、演出の才能のみならず戯曲作家としての力量を矢内原は見事に見せつけた。

2009/06/25(木村覚)

ヤン・ファーブル『寛容のオルギア』

会期:2009/06/26~2009/06/28

彩の国さいたま芸術劇場[東京都]

「欲望のカリカチュア、21世紀のモンティ・パイソン」がキャッチフレーズ。なるほど、冒頭、白い下着の男と女は、テロリストらしい存在を脇に、ひたすらマスターベーション競争を続ける。股間をシェイクし叫びを上げるといったオルガスムなしの単なるポーズは「マスターベーション」を誇張し記号化する。西洋風のギャグと受け入れ爆笑する観客もいる。「権力の時間ですよ」と役者が観客に向けて語りかけると、消費社会、テロと戦争、左右の政治、性差に基づく暴力などの記号が、じつに戯画的に、舞台に呈示される。そうした仕掛けは、日本の若手演劇のデリケートなアプローチに慣れたぼくにはずいぶん単純で古めかしく映った。人間を束縛するステレオタイプ・イメージを舞台に上げることは、ステレオタイプのイメージに無批判に浸かってしまっている人間たちへの批評になりうると同時に舞台のステレオタイプ化も助長する。ミイラ取りのミイラ化(ステレオタイプ化する批評性)は、それもまたギャグ?と笑えればよかった。けれど、正直ぼくは楽しめなかった。
終幕に近づき、延々とマスターベーションのポーズをとらされた役者たちが「ファック○○!」とあちこちへ不満をぶちまけると、ファーブルも日本人の観客も批判のやり玉にして、その後彼らは、真の自慰行為としてしばらく即興的なダンスを踊った(ダンスってナルシスや自慰そのものだなあとあらためて思わされた)。役者二人が「じゃあ、上野公園へアイスクリームでも食べに行こう……そこにオルガスムは?」とおしゃべりして終幕。社会の権力への批判が演劇の権力への批判へスライドし、さらに演劇の外へと飛びだそうとするラストから推察するに、ファーブルは「演劇の終焉」(演劇やめた!)を宣言しているように見えた。「寛容のどんちゃんさわぎ」のなかでもっとも寛容さを発揮したのは、こうした袋小路への道程につき合った観客だろう。

2009/06/27(木村覚)

ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ

会期:2009/03/31~2009/06/07

東京国立近代美術館[東京都]

ヴィデオ・アートの歴史を回顧する展覧会。ビル・ヴィオラ、ヴィト・アコンチ、ロバート・スミッソン、ブルース・ナウマン、野村仁、泉太郎、小林耕平など、国内外あわせて30人のアーティストによる作品51点が発表された。テレビモニターを使った作品の展示は単調になりがちだが、本展では空間をきちんと作りこむことによって、作品の特性を最大限に引き出していたし、空間のメリハリが効いていて、ストレスなく作品を鑑賞することができた。また、映像作品ばかり見ているとたいてい辟易させられるものだが、本展では展示された作品すべてがおもしろく、一つも外れがなかったといっていいほど、楽しめた。難点があるとすれば、出品作品が60年代の欧米と現在の日本に極端に偏重していたこと。「60年代から今日へ」というのであれば、双方のあいだをつなぐ媒介者の存在こそ、よりいっそうクローズアップするべきではなかったか。

2009/06/2(火)(福住廉)

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