artscapeレビュー

2017年06月15日号のレビュー/プレビュー

総合開館20周年記念 山崎博 計画と偶然

会期:2017/03/07~2017/05/10

東京都写真美術館[東京都]

展覧会終了後1カ月たたずして亡くなってしまった。癌だったから、今回が最後の個展になるだろうことは覚悟していたはず。同じ日に田原桂一の訃報も届いた。なんてこった。山崎さんと初めてお会いしたのは70年代末、新宿東口駅前にあった喫茶店だ。太陽の光跡を長時間露光で捉えた「HELIOGRAPHY」のシリーズをどこかで見て、インタビューしたいと思ったのだ。そのときどんな話をしたのかほとんど忘れてしまったが、ときおり眉を寄せて早口でしゃべる表情はよく覚えている。
展覧会は「HELIOGRAPHY」の前段階の「AFTERNOON」「OBSERVATION 観測概念」シリーズから始まり、ガラッと変わってそれ以前の土方巽や赤瀬川原平、黒テント、寺山修司、山下洋輔など前衛芸術のドキュメント写真が続く。スタートは60年代末なのだ。ということは、先輩たちが破壊し尽くした表現のゼロ地点から始めなければならなかったことを意味する。だからカメラを選んだ彼は、写真の原点であるニエプスのヘリオグラフィーに立ち返る必要があったのだ、と思う。そこから「HELIOGRAPHY」「水平線採集」シリーズに発展していく。その後「櫻」シリーズみたいな色ものもあるが、山崎博といえばやはり太陽の光跡であり、水平線に尽きる。ほぼ同世代の同じ博の名のつく写真家に「水平線」を持っていかれたことを、どう思っていたのか。

2017/05/10(水)(村田真)

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原芳市「エロスの刻印」

会期:2017/05/10~2017/06/17

POETIC SCAPE[東京都]

写真作品は、時としてとても数奇な運命を辿ることがある。原芳市は1993年頃に、東京と大阪の個展で発表した作品をまとめて、写真集を刊行しようとしていた。ところが、撮影済みのポジフィルムを預けていた出版社が突然倒産して、それらのフィルムも行方不明になってしまった。ところが、それから20年以上が過ぎた2015年に、箱に入れたまましまっていた展示用の「チバクロームクリスタルプリント」が出てきた。今回の個展は、それらのプリントを最新の複写システムでデジタル化して再プリントしたものだ。あわせて、そのデジタルデータを使用して、同名の写真集もあらためて出版されることになった(でる社刊、ブックデザイン=鈴木一誌+下田麻亜也)。
こうして姿をあらわした「エロスの刻印」は、モノクロームプリントが多いこの時期の原の写真シリーズとしては珍しく、6×6判のカラーで撮影されている。原の写真はエロスとタナトス、日常と非日常とを絶妙に配分してブレンドするところに特徴があるのだが、このシリーズはタイトル通りエロスへの傾きが半端ではない。当時の彼は「地方の小さな温泉宿や、近郊の小都市で戯れ遊んだ女たちとの、一夜限りの逢瀬」に溺れていたのだという。写真にも、バブル経済の名残が色濃く残るそんな時代の空気感が刻みつけられているように感じる。女たちだけでなく、花や小動物や風景にも、息苦しいほどに濃密なエロティシズムが漂っているのだ。近年の原の仕事は、やや枯淡の境地という趣があるが、こういう写真が発掘されると、続編も期待できそうな気がしてくる。

2017/05/10(水)(飯沢耕太郎)

糸崎公朗「フォトモの世界」

会期:2017/04/21~2017/05/20

EMON PHOTO GALLERY[東京都]

糸崎公朗は1990年に漫画家の森田信吾と「非ユークリッド写真連盟」を結成し、路上の「非人称芸術」を撮影・記録する作業を開始した。その一環として、1993年ごろから制作し始めたのが、「フォトモ」と称する技法による作品である。「フォトモ」は、建物や通行人の写真を切り抜いてコラージュし、立体模型として組み立て可能な状態に平面図として提示したものだ。制作のきっかけになったのは、たまたま葛飾北斎の「立版古」の作品を見たことだったという。「フォトモ」シリーズは1996~2004年にかけて雑誌『散歩の達人』に連載され、99年には森田との共著で『フォトモ──路上写真の新展開』(工作舎)が刊行されて、糸崎の代表作となる。今回のEMON PHOTO GALLERYでの個展では、『散歩の達人』掲載時の版下に加えて、新作の「フォトモ」も出品されていた。
「フォトモ」の面白さは、東京の商店街や飲食店街の雑多なカオス的な空間が、そのまま縮小して立ち上がってくるところにある。その意味では、ディテールの精度と質感が大事になってくるので、やはり銀塩写真のプリントをそのまま貼り付けた旧作のほうが見応えがあった。デジタルプリントの新作だと、どうしても物質性が稀薄になっているように感じられるのだ。
それと、平面図でも組み立てた状態を想像できなくはないが、やはり立体化して展示したほうが圧倒的に面白い。今回は、新作の香港の作品だけが立体化して、テーブルの上に展示されていたのだが、そのかたちでもっと見たかった。糸崎の仕事はいうまでもなく、1980年代以降に赤瀬川原平らが提唱した「路上観察学」の系譜を受け継ぐものである。路上での発見の歓びを、写真を通じて検証・保存しようとする営みは、これから先も続いていくのだろう。手作りのよさを活かしながらも、さらに進化した「フォトモ」を見せてほしいものだ。

2017/05/10(水)(飯沢耕太郎)

アルトシュタット(旧市街)

[スイス]

およそ10年ぶりのチューリッヒへ。午後に到着し、ホテルから近いノイエ・マルクト、ミュンスター通りの旧市街、リマト川沿いから中央駅までのエリアを散歩する。屋根の傾斜、古典主義の処理、教会の塔などのデザインがかわいく見えて、同じヴォキャブラリーを共有するものの、イタリア、フランスのそれとはだいぶ違う造形的なクセやスケール感をもっている。

2017/05/11(木)(五十嵐太郎)

只在此山中 廖震平

会期:2017/05/12~2017/05/28

トーキョーアーツ・ギャラリー[東京都]

廖震平はBankARTにスタジオを構える台湾出身のアーティスト。彼が描くのは写真に基づいた風景画だが、一見フォトリアリズム風の写実絵画に見えながら、どこかちょっと不自然なところがあり、CG画像のようにも見えなくはない。それは構図を決めるとき、画面を上下左右あるいは対角線で2分割したり、モチーフを左右対称に収めたり、建物や道路など人工物の幾何学形態と自然の曖昧な形態を交互に組み合わせたりするからだ。
今回は昨年、高野山と伊勢への旅の途中で撮った写真に基づいて描いたもの。例えばDMにも使われた絵は、手前に2本の木が並行して立っているが、その2本の隙間が画面を左右に2分割する中央線となる。また山の斜面は大ざっぱに左上から右下へ走っているが、その内側に左辺と下辺の中心を結ぶ斜線が見え、その内側が黒く塗りつぶされている。さらに目を凝らすと、遠方にかすかな稜線が見え、これが上下を2分割する中央線となっている。このように廖の作品はただ写真をなぞっているだけでなく、きわめて周到に構成されていることがわかる。

2017/05/12(金)(村田真)

2017年06月15日号の
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