2019年10月15日号
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artscapeレビュー

山賀ざくろ企画ダンス公演『沙羅等──黒沢美香さんと供に』

2011年08月01日号

会期:2011/07/14~2011/07/16

アサヒ・アートスクエア[東京都]

ダンサー・山賀ざくろは(本人の人格かどうかとは別に)「嘘つき」で「ずるく」て「自分勝手」だ。身振り、手振り、音楽が鳴ったときの腰つきから、そうした彼の「人格」に接し、ニヤッとしたり、感心したり、「ちょっとずるいぞ」なんてツッコミを観客は心で呟く。ときに唯一無二の面白さと感じさせるときがあるのは、ものやひと(観客を含む)に対して山賀のとる距離のあり方が繊細だから。その繊細さに魅了されつつ「そうそう」と思い出すのは、そうしたものやひととの接触(コンタクト)の妙を楽しむというところにこそ、他のダンスと比べて異質な、コンテンポラリー・ダンス独特の部分があるはず、ということ。そう、その「はず」なのだが、近年、こうしたポイントに対して繊細なアプローチを見せる作品にあまり出会わず、残念だった。
 ところでダンスで「コンタクト」と言えば、そもそもはダンサー同士が身体を接触させる即興ダンス、コンタクト・インプロヴィゼーションを指す。1970年代に、この新しい即興の方法が登場して以来「コンタクト」は広く流行し、コンテンポラリー・ダンスの主たる要素になってきた。contact Gonzoのような、接触というより「衝突」とでも称すべきダンスも現われ、現在では「コンタクト」という状態のレンジが広がってきてもいる。
 そのうえで、「コンタクト」という枠を通して、今回の山賀と黒沢美香とによる本上演を振り返ってみると、ずいぶんとデリケートで豊かな「かかわり合い」であったと思えてくる。畳の敷かれた舞台が三カ所に分かれ、右から左へ移動しながら1時間強の上演は続いた。冒頭、観客の前を通り過ぎる浴衣姿の2人、山賀の後ろをちょっとさがってついてゆく黒沢、「夫婦」の設定かと微かににおわす。まず、右の舞台に上った2人は、しかし、同じ空間にいるように思わせないほど、互いを無視する。互いが留守のときの様子を同時に上演しているかのよう。中央の舞台に移ってしばらくしたところだったろうか、ひょうひょうと踊る山賀の後ろで、いつものように「純粋乙女」の風情で黒沢が踊る、その黒沢に客の関心が移ったときだった。山賀がじろじろと踊る黒沢を眺め始めたのだ。イヴォンヌ・レイナーは近年『トリオA』の改訂版で、踊るダンサーを見つめ続けるパートナーを舞台に置いたというが、この光景はそのエピソードを思い起こさせた。黒沢の「純粋乙女」風情は、「心に抱くファンタジーに乙女が没頭している」と思わせるところに生まれる。この没頭に山賀は水を差した。微妙な変化だが、明らかに黒沢はやりづらそうな顔を見せ、動作が若干だが揺らぐ。左の舞台に移動しても、山賀はこの振る舞いをしてみせた。ここまで黒沢に接触(コンタクト)したダンサーがいただろうか。肉体の強烈なぶつかり合いとは異なる、しかし、強烈な接触が、関わり合いがそこにはあった。一人の人間と人間とが出会い踊っているというその出来事それ自体が、作品になっていた。ダンスの上演とはそのようなものだ、なんてことをあらためて確認させてもらった好演だった。

2011/07/16(土)(木村覚)

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