artscapeレビュー

増山士郎

2011年08月01日号

会期:2011/05/21~2011/06/25

ギャラリーαM[東京都]

増山士郎の新作展。北アイルランドのベルファストで滞在制作した作品などを発表した。会場の中央に広がるベルファストの街を再現したジオラマで、建物に記されたマーキングを見ると、カトリックとプロテスタントによって分断された街の様子が手に取るように分かる。イギリスからの分離独立を目指すナショナリストとイギリスとの連合を唱えるユニオニストの対立も読み込むことができる。この容易には解きほぐし難い対立関係を前に、基本的にアートはなす術もない。けれども増山がおもしろいのは、そのことを十分に承知しつつも、あくまでも個人的な視点から社会的な文脈に到達すべく、パフォーマティヴに行動しているからだ。そのことを示す象徴的な作品が、住まいの庭に転がる犬の糞を白い防護服に身を包んで処理する映像作品である。スローモーションを多用した映像は、いかにも深刻な報道番組を連想させるが、そのあまりにも馬鹿馬鹿しい行為とのギャップが見る者の笑いを誘う。しかし、このジオラマに囲まれた空間でこの映像を見ていると、この撤去する行為が、ちょうどテロリストによって仕掛けられた爆弾を処理する様子と重なって見えることに気づかされる。卑俗な日常生活と、果てしないテロとの闘いが重ねられているわけだ。これは、一見すると「日常と非日常」という古くからの対立項にもとづいているように見えるかもしれない。けれども、少なくともアイルランドにおいては、犬の糞を撤去する行為と爆弾を処理する行為が同じ水準にあることを想像的に思い巡らすと、この単純な図式がもはや失効していることに驚きを禁じえない。爆弾闘争というかたちはとらずとも、虚構をはるかに凌駕する現実の圧倒的な力を前にした今となっては、アイルランドであろうと日本であろうと根本的にちがいはないのかもしれない。増山のアートは、非日常が日常と化してしまったことを告げるリアリズムであり、それでもなおアートを試みる愚直なアートなのだ。

2011/06/23(木)(福住廉)

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