artscapeレビュー
2011年11月15日号のレビュー/プレビュー
REFLEXIONEN ひかり いろ かたち
会期:2011/10/01~2011/11/23
兵庫県立美術館[兵庫県]
ドイツのグループ・ゼロからオットー・ピーネ、ハインツ・マック、ギュンター・ユッカー、具体美術協会から吉原治良、元永定正、田中敦子らが出品するほか、もっと下の世代のユリウス・シュミーデルと松井紫朗のインスタレーションも。神戸ビエンナーレ招待作家展という位置づけらしいが、なんでいまさらゼロに具体? と思ったら、日本・ドイツ交流150周年記念事業としてお金が出たかららしい。でもだからといって神戸ビエンナーレにムリヤリくっつけることないだろう。この便乗感が神戸ビエンナーレを安っぽく見せている一因であることに気づくのは、もう少し後のこと。作品としては、展示室を取り巻く通路に巨大なチューブ(風船)をはわせ、内部に人が入れるようにした松井のインスタレーションが秀逸。この展示室に入るとき、なぜか扉が閉じられていたが、それはチューブが展示室と直接つながっているため気圧を高く保たなければならないからだった。あと驚いたのは、先日亡くなった元永のタブロー数十点が壁一面に掛かっており、なんとそれらが2011年の新作だったこと。作品の良し悪しは別にして、88歳にしてこのエネルギーは見習いたい。
2011/10/21(金)(村田真)
注目作家紹介プログラム チャンネル2 イチハラヒロコ/大西伸明
会期:2011/10/01~2011/11/23
兵庫県立美術館[兵庫県]
美術館のエントランスに「あなたに褒められたくて。」「君さえいれば、この世はヘブン。」などと書かれたパネルが立っていたが、このイチハラヒロコの作品も神戸ビエンナーレの連携事業に組み込まれている。なんでもかんでも取り込んでる感じだなあ。もうひとりの大西伸明は館内のアトリエに、破壊された石膏像やブルーシートを雑然と並べている。よく見ると、石膏像の破片もシワの寄ったブルーシートも、まったく同じ(に見える)ものが二つずつ同じ配列で並んでいるのだ。つまりペアというかクローンというか、どちらかがコピーなわけだが、ひょっとしたらどっちもコピーかもしれない。とにかく見分けがつかないほど精巧なのだ。ふと目を上げると、アトリエなのでステンレスの流し台が2台あるのだが、それらが蛇口を含めまったく左右対称に配されているので、一瞬これも作品かと悩んでしまっただよ。
2011/10/21(金)(村田真)
神戸ビエンナーレ2011
会期:2011/10/01~2011/11/23
神戸ハーバーランド[兵庫県]
県立美術館からビエンナーレ会場へ行くには、船でハーバーランド方面に行く方法と、バスでポートアイランドのしおさい公園に行く方法があるが、受付でたずねると今日は船が欠航しているというので仕方なくバス乗り場へ。ところが港のほうから「船が出ますよお」との声がするので聞いてみたら、欠航なんかしてないという。いったいどうなってんだ? こうしたチグハグさがどうやら局所的なものではなく、先に感じた「便乗感」とともに神戸ビエンナーレ全体をおおっているらしいのだ。
ともあれガラすきの船に乗って港に着き、モザイク、キャナルガーデンといった商業施設を抜けてメイン会場のファミリオへ。前回までメリケンパークにコンテナを並べてそのなかで作品を見せていたが、今回はビルのなかでやっている。なぜそうなったのか知らないが、邪推すれば、こうした商業施設を観客に歩かせることで金が落ち、地域振興に少しでも役立つと考えたからではないか。いわば便乗商法。おかしいのは、コンテナのなかに作品を展示するというのが神戸ビエンナーレのウリになっているせいか、今回も「アートインコンテナ国際展」というコンペを続行しているのだが、実際にはビルのなかにコンテナは持ち込めないので、わざわざコンテナ状のブースをつくり、そのなかに作品を展示していること。そもそもコンテナを使ったのは、神戸(港)を象徴するものであり、展示に適したスペースであることのほかに、屋外で展示するときの作品保護の方策ではなかったか。だから屋内では必要ないはずなのにコンテナにこだわる(しかも実際にはコンテナではない)からチグハグなことになるのだ。
展示内容に関しても、コンペの「アートインコンテナ」はいいとして、なんでいけばなや書道や陶芸が入っているのか。これこそ便乗感とチグハグ感の最たるもの。ビエンナーレとはいってみれば最先端のアートを扱う専門店のはず。そこに行けば必ず質の高い最先端のアートに出会えるから貴重なのだ。ところがここでは市民の幅広い要望に応えようとなんでも詰め込んだ結果、コンビニに成り下がっている。そんなところに市民以外だれが行く? と思わずケンカを売ってしまったが、「アートインコンテナ」のなかにはいくつか興味深い作品もあった。ひとつは、このブースを本物のコンテナに見立て、エレベーターに乗って神戸港や宇宙空間にトリップするというメディアアートワークスによる映像作品。これはよくできている。もう少し精度を上げればテーマパークでも使えそう。もうひとつは、観客が入ると機械仕掛けのガラクタが狂ったようにうなり出す宇吹新のインスタレーション。前者とは反対のローテクアートで、夜店のような妖しさが漂う。
2011/10/21(金)(村田真)
神戸ビエンナーレ2011
会期:2011/10/01~2011/11/23
元町高架下[兵庫県]
JR神戸駅から元町駅までの高架下は古着屋や骨董屋などが軒を連ねる古びた商店街になっているのだが、半数くらいはシャッターが下りたまま。その空き店舗を展示スペースに利用して、コンペの「高架下アートプロジェクト」を展開している。ぼくが訪れたビエンナーレ会場(しおさい公園以外)のなかではここがダントツのベスト。なぜならキャナルガーデンやファミリオのような演出された商業空間と違って、ここには人々の記憶と生活感、あるいは店や商品の背負ってきた歴史が染み込んでいるからだ。だからアーティストにとっては作品制作のモチベーションには事欠かないし、観客にとっては時間の迷路をさまよいながら作品と空間の絡み合いを解いていく楽しみがあるのだ。とくにすばらしかったのが、店を改装して文字を刻み込んだ窓ガラスやグラスを展示した三浦真琴と、商店跡の地面に手づくりの石や岩を並べて石庭のように見せる松延総司の作品。神戸ビエンナーレはここだけ見れば十分だ。
2011/10/21(金)(村田真)
世界制作の方法
会期:2011/10/04~2011/12/11
国立国際美術館[大阪府]
元町高架下を楽しんでいたら5時すぎてしまったので、急いで大阪へ。国立国際は金曜だけ夜7時までやってるからね。「世界制作の方法」とは、表現メディアが新しい世代によってつねに再解釈され、更新されていくことを、エキソニモ、パラモデル、鬼頭健吾、金氏徹平ら9組のアーティストの作品によって確認しようというもの。早い話、インスタレーションにしろメディアアートにしろ、ぼくが考えているそれはもはや時代遅れで、いまやこれがインスタレーションであり、メディアアートなんだぞと宣告される残酷な展覧会といえる。年寄りのひがみですかね。まあ新しかろうが時代遅れだろうが、要は共感できるかどうかの問題だ。共感というわけではないが、これはスゴイと思ったのはクワクボリョウタの《10番目の感傷(点・線・面)》というインスタレーション。この作品、すでに何度か展示され、文化庁メディア芸術祭で受賞までしているらしいので、いまさらスゴイというのもそれこそ時代遅れだが、とにかく見ていて飽きなかった。暗い展示室のなかを鉄道模型が走るのだが、レールの傍らに置かれた鉛筆や洗濯バサミやかごなどの日用品が明かりに照らされ、壁に次々とビルや橋のような影を映し出していくのだ(伏せたかごの影が原子力発電所に見えるのは意図的か?)。汽車が一周すると、テープが巻き戻るように(これも時代遅れ?)高速で逆走する。これはよくできている。同展の滞在時間の半分くらいをこの作品に費やした。
2011/10/21(金)(村田真)