artscapeレビュー

2014年03月01日号のレビュー/プレビュー

秋岡芳夫全集2──童画とこどもの世界展

会期:2014/02/15~2014/03/30

目黒区美術館[東京都]

童画家、版画家、工業デザイナー、教育者……。デザインを中心に多様な仕事に携わり、多くの作品や著述を残した秋岡芳夫。目黒区美術館では2011年にその全貌を概観する展覧会を開催し★1、その後「秋岡芳夫全集」として個別の仕事を掘り下げる展示を行なってきた。昨年2013年は「秋岡芳夫とKAKの写真」としてカメラに関わる仕事と、秋岡やデザイン事務所KAKのメンバーが撮影した写真が紹介された★2。今回の「秋岡芳夫全集2」では童画を中心に「子ども」に関わる仕事に焦点が当てられている。
 秋岡が童画に関心を持ったのは、子どものころに愛読していた絵雑誌『コドモノクニ』がきっかけだという。彼は心ひかれた画家たちとして、初山滋、本田庄太郎、岡本帰一、武井武雄の名前を挙げているが、なかでも初山滋に心酔していたようだ★3。秋岡が童画を描き始めたのは終戦後すぐ。新聞に新日本童画会発足の記事を見つけて入会を申込み、あこがれの画家・初山滋に師事して童画の勉強を始める。同時期に秋岡は久我山にあった工芸指導所で進駐軍家族住宅のための家具デザイナーとして仕事をするなかで、玩具デザインを研究していた同僚たちに出会い、木製玩具のスケッチと試作を始めている。秋岡自身のテキストによれば、この時期はなんらかのかたちで子どものための仕事に関わろうとしていたようだ★4。1953年になると工業デザイン事務所KAKを結成し工業デザインの仕事が多忙になってゆくが、そのあいだにも児童書の装幀や挿画、子どものための科学雑誌の付録のデザインに携わり、また晩年には竹とんぼの研究と制作に勤しんだ。工業デザインからクラフトへ、ものづくりから教育へと仕事の比重は移り変わったものの、秋岡にとって子どものための仕事はつねに一定の位置を占めている、もっとも、「子どものための」と書いたが、秋岡の仕事を見てゆくと、それは大人が子どもの教育のために与えるものというよりも、自らの関心の所在が子どもたちと同等の立場にあったと考えるほうが適切だ。すなわち童画にしても玩具にしても教材にしても、あるいは竹とんぼにしても、秋岡はつねに本気、真剣なのだ。そしてつねに本気で真剣だったからこそ、玩具の仕事に絶望し、大量生産される雑誌付録のデザインの意味するところに絶望し★5、そしてふたたび子どものための新しい仕事に本気で取り組んでいったのではないか。
 今回の展覧会には、秋岡芳夫の童画原画、児童書の装幀やそのスケッチ、秋岡が関わった童画会の資料、玩具とスケッチ、1970年頃の紙工作が出品されている。童画には初山滋の影響が密接に見て取れるものもあるが、スタイルは多様で、器用な画家であったことを感じさせる。個人的には秋岡の仕事のなかで童画がいちばん好きなので、彼がその仕事をずっと続けていたらどうであったろうかと夢想する。「岡田謙三&目黒界隈のモダンな住人たち」と併催。[新川徳彦]

★1──DOMA秋岡芳夫展──モノへの思想と関係のデザイン(artscape、2011年12月01日号)。
★2──秋岡芳夫全集1 秋岡芳夫とKAKの写真(artscape、2013年03月01日号)。
★3──秋岡芳夫「さし絵が人生決めた」(『朝日新聞』1989年6月28日)。
★4──秋岡芳夫「子供のための大人たち」(『美術手帖』251号、1965年4月)。
★5──<a href="https://unit.aist.go.jp/tohoku/techpaper/pdf/4813.pdf" target="_blank">秋岡芳夫「‘こどものためのデザイン’にたずさわって──私は絶望の中でデザインをした」(『工芸ニュース』37巻5号、1970年3月)。



秋岡芳夫《人魚姫》1953年/目黒区美術館蔵



秋岡芳夫《作品(水族館)》1950年/目黒区美術館蔵



展示風景

2014/02/25(火)(SYNK)

プレビュー:いわき演劇まつり

会期:2014/03/20~2014/03/22

いわき芸術文化交流館アリオス、MUSIC & Bar Queen、アートスタジオ もりたか屋、La Stanza(ラ・スタンツァ)[福島県]

昨年末に、水戸芸術館で目の不自由なひとたちと一緒に美術展を見るという企画に参加した。その企画が始まる前に、展示をざっと見ていたのだけれど、1人で見るのと、グループで目の不自由なひとも隣に居ながら作品を見るのとでは、ほとんどまったくと言ってよいほど異なる経験だった。そういうこと、よく忘れる。作品の純粋な鑑賞なんてない。鑑賞はいつもノイジー。だって、演劇・ダンスの公演なんて、誰とも同じ席で見ることができないのだ。それに、前に背の高く帽子を被った輩が居るかも知れないし、そうして視界が遮られたって、鑑賞は鑑賞なのだ。「どこ」で「誰」と見るかというファクターだけとってみても、鑑賞はおおいいに揺らぐ。誰と生きているのか。「3.11」はその当たり前だけど反省せずにいたことを気づかせてくれた。「いわき演劇まつり」(3/20~22)に行きたい。このイベントで見るマームとジプシー(『Rと無重力のうねりで』『まえのひ』ほか)は格別のような気がする。いや、わからないけれど、でも、そうであったらことだな、と思う。平田オリザのアンドロイド演劇(『さようなら』)や「銀河鉄道の夜」の公演もあれば、地元の高校演劇部の上演(いわき総合高校演劇部『あひる月13』)もある。そういうラインナップが並んだとき、それぞれの作品からどんな気持ちが生まれるのか、わくわくする。ぼくがチケットを買うことで、いわきの観客の席を奪うことにならないのなら、行ってみたい。

2014/02/28(金)(木村覚)

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