artscapeレビュー
2015年06月15日号のレビュー/プレビュー
建畠晢 退任記念展「ポエトリー/アート」
会期:2015/03/07~2015/05/10
京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA 2[京都府]
京都芸大学長を務めた建畠さんの退任記念展。ついでだから見てやるか。画家の小島千雪との詩画のコラボレーション、建畠自身による映像と彫刻、手を載せてみると温かさが伝わってくる詩集『温度詩』など、詩人でもあり美術評論家でもある建畠さんらしい作品が並ぶ。彫刻は白い台座に白い棒を1本、2本、3本と立てたものが計6点あって、なにか近代彫刻の原点を見るような思いがする。そういえば彼は父も兄も彫刻家だったっけ。「こうした試みがすべて“詩”という言葉で語られるような視野があってほしい」と建畠は記している。ならばタイトルは「ポエトリー>アート」か?
2015/05/08(金)(村田真)
マイク・カネミツ/金光松美──ふたつの居場所
会期:2015/04/24~2015/05/16
大阪府立江之子島文化芸術創造センター[大阪府]
3年前、大阪府立現代美術センターに代わってオープンした江之子島文化芸術創造センターへ。大阪府のコレクションによる約40点の中規模な回顧展をやっていた。金光の名はぜんぜん知らなかったけど、抽象表現主義の画家として活躍した人らしい。1922年に広島に生まれ、16歳で渡米し、50年代にニューヨークで抽象表現主義の絵画を制作。65年にロサンゼルスに移り、92年に死去。つまり戦後アメリカのアートシーンのど真ん中にいたわけだが、その割に知られてないのは作品のせいもあるけど、遅れてきた日本人だからかもしれない。具象から抽象に転じたのは50年代なかば、すでに抽象表現主義もピークをすぎるころ。しかも日本人が追随しても追いつけないというか、追い越さなければ評価されなかったでしょうね。だいたいニューヨーク時代はフランツ・クラインかクリフォード・スティルを思い出させ、西海岸以降はサム・フランシスかポール・ジェンキンスを彷彿させるし。でも60年代の《5-5》《5月の夢》《私、OK?》あたりはまだ画面構成のおもしろさがあるのだが、70-80年代になると叙情に走り、晩年には絵具の滴りで星を暗示する類いの陳腐な宇宙的表現に陥ってしまう。それでも人脈が広いうえ(国吉康雄、ポロック、ラウシェンバーグ、ハロルド・ローゼンバーグ、吉原治良、森田子龍、藤枝晃雄……)、日本的な墨の芸術を連想させることもあってか、50年代からほぼ毎年のように個展を開催。98年には大阪と広島の美術館で回顧展を開いてる。この手の画家、発掘すればまだいるのかも。
2015/05/08(金)(村田真)
笹川治子 個展「ロボッツ」
会期:2015/05/08~2015/05/24
ヨシミアーツ[大阪府]
全長6メートルの透明なビニール製の《うつろ戦士》を中心とする展示。このバカでかい人形、内部は空気だから中身は空っぽで、所在なさげに横たわってる。ここから二つのことが読み取れる。ひとつは、戦士は命令に従うだけで自分で勝手に考えたり行動したりできない「殺人ロボット」だから、文字どおり「うつろ」な存在でなければならなかったこと。図体はでかいけど中身は軽いデクノボウなのだ。もうひとつ、戦時中は軍も政治家も国民もだれひとりまともな判断ができず、みんな「空気」ばかり読んでいた。その「空気」のかたまりが戦士の姿を借りてること。これは戦前戦中の空気に近づく現代日本への痛烈な批評でもある。ほかに目に止まったのが、画面全体にモザイクのかかった映像作品。かなり粗いモザイクなのでなにが映ってるのかわからないけど、なんとなく爆発シーンのようだ。モザイクはある大きさを超えると細部がわからなくなり、ゴミも死体もエロもキノコ雲も四角い色彩の羅列となって、美しいオプティカル・アートと化す。これは使えそう。
2015/05/08(金)(村田真)
BankARTスクール2015 横浜建築家列伝vol.1 五十嵐太郎+磯達雄 ゲスト飯田善彦
BankART Studio NYK[神奈川県]
磯達雄と担当するBankARTスクール「横浜建築家列伝」の講座で、飯田善彦を招き、お話しをうかがう。横浜国大の出身だが、学生時代はそれほど街とのかかわりはなく、むしろ事務所を横浜に移した頃からの横浜のプロジェクトを紹介する。確かに、横浜市がデザイン性のある都市計画を行ない、建築家に仕事を積極的に依頼していた時期があった。最近は飯田事務所をカフェやイベントで開放し、まちとつなぐ試みも行なう。
2015/05/08(金)(五十嵐太郎)
市橋織江「WAIKIKI」
会期:2015/04/24~2015/05/16
EMON PHOTO GALLERY[東京都]
地域:東京都
市橋織江の写真を見ていると、彼女が「フェイスブック世代」の写真愛好家たちにとても人気がある理由がわかるような気がする。フェイスブックやインスタグラムなどにアップされている写真の多くは、折りに触れて撮影された「気持ちのよい」スナップショットであり、市橋の写真とやや希薄な色合いや、柔らかに包み込まれるような感触が共通しているからだ。
たしかに、今回東京・広尾のEMON PHOTO GALLERYで展示された「2006年から毎年訪れるハワイで撮りためた未発表作品から選りすぐり」の27点の作品を見ても、親しみやすい、「私でも撮れそうな」写真が並んでいるように感じられるだろう。だが、見かけに騙されないようにしたい。市橋の写真の質は、実はきわめて筋肉質であり、光や大気の微妙な変化をキャッチする皮膚感覚は研ぎ澄まされている。中判カメラとネガフィルム、銀塩プリントへのこだわりは、自ら「心中したい」と語っているほどであり、スマートフォンのカメラで撮影した写真とは相当にかけ離れたものだ。その、プリントのクオリティへのこだわりは、やはりギャラリーでの展示で確認するしかない。EMON PHOTO GALLERYでの個展(今回で3回目)を定期的に開催しているのは、とてもいいことだと思う。
とはいえ、市橋の写真のあり方も、そろそろ変わってきてもいい頃ではないだろうか。スナップショット一辺倒ではなく、何かに(誰かに)視線を強く集中したシリーズも見てみたいものだ。
2015/05/09(土)(飯沢耕太郎)