2020年06月01日号
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artscapeレビュー

2015年11月15日号のレビュー/プレビュー

花岡伸宏「Statue of clothes」

会期:2015/09/26~2015/10/18

MORI YU GALLERY[京都府]

90度回転した少女の頭部の木彫像に木の棒が突き刺さり、台座から宙に浮いている。上部を覆う古着の花柄は、木彫の表面へと浸食する。同様の少女の頭部像は、ある時は真っ二つに切断され、顔面を布で覆われて倒立し、別の木彫の一部(?)や布で梱包された謎の塊、木の棒、彩色された板、果てはマンガ雑誌の背表紙などと脈絡なく接続される。花岡伸宏の作品は、彫刻と絵画、ジャンクや日用品と彫刻、作為と無作為の狭間を確信犯的に行き来しながら、コラージュというよりは、突発的な事故のように強制的な不接合を見せる。だが、これまた端材やがらくたの寄せ集めのような「台座」に載っていることが、かろうじて「彫刻」であることを担保している。
素材もジャンルもバラバラな断片の不接合、無軌道な建て増し工事のような継ぎ接ぎ感、自己同一的なアイデンティティを持たない構築物。そこに、近代以降の日本の「彫刻」への自己言及的な批評を見てとることは可能だろう。だが、「実体なき空虚」「均質な被膜に覆われたヴォイド」としてではなく、あくまで空間的に質量を占める「物体」として、ナンセンスな乾いた笑いとともに提示している点に、例えば金氏徹平や鬼頭健吾といった作家たちとの相違点を見て取ることができる。

2015/10/03(土)(高嶋慈)

室内

会期:2015/10/02~2015/10/04

神奈川芸術劇場大スタジオ[神奈川県]

モーリス・メーテルリンク作、クロード・レジ演出。舞台は細長いスクリーンのような枠によって前後に分かれ、背後は半円形になっている。真っ暗闇のなかから子連れの女性が現われ、中央に子どもを横たえる。薄暗いなか次々と男女が登場。子どもを含めて1ダースほど。人物の配置はほぼ等間隔で左右対称、動きはきわめて緩慢、セリフは抑揚がないというか、感情のこもらない機械的な抑揚なので頭に入らない。まったく感動のない舞台というか、徹頭徹尾感動的な舞台というか。

2015/10/03(土)(村田真)

「室内」

会期:2015/10/02~2015/10/04

KAAT神奈川芸術劇場[神奈川県]

クロード・レジ演出×メーテルリンク原作×SPAC制作「室内」を見る。中世のノートルダムダム楽派のように、とてつもなく長く引きのばされた時間と所作によって異空間に誘われる。そして役者は感情を殺した言葉をささやく。家族の室内と不幸を伝える男たちがいる庭は、間仕切りではなく、光と闇によって分断される。終始、見えないガラスが分断線上に存在するような不思議な空間体験だった。

2015/10/04(日)(五十嵐太郎)

バットシェバ舞踊団「DECADANCE─デカダンス」

会期:2015/10/04

神奈川県民ホール[神奈川県]

ダンサーが円形に並んで座るシーンから始まる「マイナス16」を冒頭にもってきた後、いろいろなレパートリーをつなぐ。昨年末にスペイン国立ダンスカンパニーもやっていたが、「マイナス16」は観客を巻き込みながら、盛り上げていく鉄板の演目である。多くの観客を壇上に上げるシーンでは、見知らぬ相手でも即座にアドリブ的に対応できる個々のダンサーの能力に感心させられる。

2015/10/04(日)(五十嵐太郎)

甲斐啓二郎「骨の髄」

会期:2015/09/29~2015/10/11

TOTEM POLE PHOTO GALLERY[東京都]

フットボールの起源となる球技を、イングランド中北部の街で撮影した「Shrove Tuesday」(2013年)、各地の火祭りの行事を撮影した「手負いの熊」(2014年)と、甲斐啓二郎は人間たちが身体をぶつけあう行為が、祭儀と結びついていくプロセスを、写真を通じて探り直そうとしてきた。その延長上に、今回のTOTEM POLE PHOTO GALLERYでの展示「骨の髄」も位置づけられると思う。
今回、甲斐が取材したのは、秋田県美郷町六郷の「カマクラ」(酒樽を作る青竹で打ち合う)、三重県津市の「ざるやぶり」(蕎麦の入ったざるを奪い合う)、兵庫県高砂市の曽根天満宮の「竹割り」(青竹を地面に叩き付けて割る)の三つの行事。どれも、成長が早く、青々とまっすぐに伸びて、中身が中空のため、清浄な植物とされてきた竹を使った祭礼である。竹の聖性が浄めの行為を呼び起こし、それが参加者の闘争本能に火をつけて次第にエスカレートしていく様が、これまでと同様に、余分な説明的要素をカットした写真群によって力強く提示されている。ただ、3作品とも被写体の捉え方、距離感がほぼ同じで、スタイルとして固定されてきているのがやや気になる。テーマ設定にはまったく破綻がなく、より多様な方向に広がっていく可能性を感じるが、そろそろ違ったアプローチの仕方も必要になってくるのではないだろうか。また民俗学、人類学的な知見を、作品にどこまで、どのように盛り込んでいくのか、写真とテキストとの関係についても一考の余地がありそうだ。

2015/10/06(火)(飯沢耕太郎)

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