artscapeレビュー

2015年11月15日号のレビュー/プレビュー

生誕200年記念 伊豆の長八

会期:2015/09/05~2015/10/18

武蔵野市吉祥寺美術館[東京都]

幕末・維新を生きた伊豆松崎の鏝絵師、長八の展覧会。伊豆の長八といえば石山修武が設計した松崎町の美術館が有名だが、作品は基本的に建築の装飾だから動かせなかったり、動かせるものでも漆喰のため壊れやすかったり、いやそれよりなによりキワモノ扱いされてるから紹介される機会がほとんどなかった。ぼくももう30年近く前に長八美術館に行ったけど、型破りな美術館建築にばかり目を奪われ、肝腎の作品のほうはなんかキッチュだなあという記憶しかない。だいたい漆喰芸術を見せる美術館に、アヴァンギャルドな漆喰建築をぶつけてくるってどうなの? いま考えれば建築のほうこそキッチュだったかも。今回あらためて作品を見て、いやあユニークなもんですなあ。出品作品の多くはあらかじめ漆喰のレリーフとしてタブロー状につくられたものだが、そんなに需要があったのか。大半は横長なので、飾るとしたら障子や襖の上の漆喰壁に飾っていたはずで、どこか屋上屋を架すおかしさがある。もっとも西洋建築に油絵を飾るのも同じことだが。題材は富士山をはじめ風景が多いが、人物や動植物、仏画、物語絵もある。すごいのは《漣の屏風》で、漆喰全面に鏝で水平に何百条もの筋を入れたもの。これは技術習得のために制作したものらしいが、この無数の筋がたまたま漣(さざなみ)に見えるから二曲一双の屏風仕立てにしたのか、それとも最初から売ることを見込んで作品化したのか。いずれにせよ、福田平八郎の《漣》より半世紀以上も前、モンドリアンの《コンポジション》より40年も前にこんな抽象レリーフを残していたとは。

2015/10/06(火)(村田真)

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そこにある、時間──ドイツ銀行コレクションの現代写真

会期:2015/09/12~2015/01/11

原美術館[東京都]

ドイツ銀行の現代美術コレクションは、「紙の作品」のコレクションとしては世界最大(6万点!)を誇る。本展は1979年から開始されたそのコレクションから、「時間」をテーマとした写真作品を厳選して構成している。「Part1 時間の露出/露出の時間」「Part2 今日とは過去である」「Part3 極限まで集中した時間」「Part4 私の夢は未来にあらず」の4部構成で、約40組、60点の作品が展示されていた。数はそれほど多くないが、多彩なアイディアを形にした、クオリティの高い作品が多い。
特徴的なのは、「現代美術」としてコレクションされた写真作品ということで、現実を再構築する、あるいは現実そのものを捏造するタイプの作品がほとんどということだ。当然ながら、ドキュメンタリー、あるいはスナップショットの文脈の仕事はまったくない。写真作品の「アート化」が、まさに1980年代以降に加速していった状況を踏まえた展示といえるだろう。
もう一つは、アジア、アフリカ、中近東、中南米などの作家の作品が目につくことだ。朱加(チュウ・ジア、中国)、曹斐(ツァオ・フェイ、同)、ヂョン・ヨンドゥ(韓国)、ダヤニータ・シン(インド)、ゾーラ・ベンセムラ(アルジェリア)、シリン・アリアバディ(イラン)、フリオ・セザール・モラレス(メキシコ)らの作品が、新鮮な眺めを生み出していた。これまでの欧米中心の写真シーンが急速に解体し、多極化していることがよくわかる。もっとも、本展はシンガポール、インド、そして日本と、アジア諸国を巡回する企画であり、そのことが作家の人選に影を落としていることは考えられる。だが、杉本博司、佐藤時啓、やなぎみわというラインナップの日本人出品作家も含めて、現在の写真表現の主流が、欧米諸国の影響圏から脱しつつあることは間違いないと思う。

2015/10/07(水)(飯沢耕太郎)

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大竹竜太展

会期:2015/10/03~2015/10/07

SUNABA GALLERY[大阪府]

一見シンプルなモチーフと構図だが、違和感がじわじわと染み出してくる不穏な絵画群だ。
何もない白い壁と床(ホワイトキューブの空間を思わせる)の前に立つ、女性像と男性像がそれぞれのキャンバスに描かれている。第一の違和感は、ジェンダーの区別に対応して採用された描写モードの落差である。ゲーム・アニメ風の美少女キャラクターとして描かれる女性に対し、妙にリアルに描かれる中年男性。無個性的で消費される記号として描かれる女性イメージと、現実に対応する固有性を備えた男性イメージ。その対比や落差は、一見「美少女キャラの萌え絵」をなぞりながら、その欲望の送り主たちの「現実の」姿を反転像として浮かび上がらせ、表象システムがはらむ視線の偏差や欲望のコード(「かわいらしく無害な美少女」)をあぶり出す。女性たちが虚構世界の住人であることに対し、男性像が「現実」と対応していることは、彼らとともに画中に描かれた、何かの部品か箱のような謎めいた白い構造体が、立体作品として絵画の前に置かれていることからも分かる。一方、女性たちには、水の溢れる水槽やバケツが配され、性的なコノテーションを伴うことが明らかだ。
第二の違和感は、人物たちの足元から立ち上がる「影」の形態である。白い壁を背に立つ人物たちは、どこか舞台の構造を思わせるが、強い照明を当てられたかのように彼ら/彼女らの足元から伸びる「影」は、手足のポーズや手に持った小道具から派生しつつ、不自然に歪み、半ば自律的な領域をひとりでに生き始める。三次元の物体の二次元への投影像であることをやめ、人物たちを背後から脅かすような不定形の塊や動物のようなシルエットへと変貌していくのだ。
これら全ては、滑らかでマットな乳白色の質感を持つ、独特の画肌とともに描かれている。これは、透明メディウムとアクリル絵具を何層も塗り重ねることでつくられているという。このように大竹の絵画は、二次元と三次元の往還やズレ(物体/影、キャラ/リアルな人物像)を根幹に据えながら、そこにジェンダー表象の問題を含ませ、マチエールの重層性、さらにはホワイトキューブという空間をも示唆し、様々な問題が多重的に重なり合う場としての絵画空間を構築していた。

2015/10/07(水)(高嶋慈)

吉川和江

会期:2015/10/05~2015/10/17

ギャラリー現[東京都]

壁4面に絵画が1点ずつ、計4点。といえば少ないが、多く見積もれば30点ともいえる。3×5の15枚セット、3×3の9枚セット、4枚横並び、2枚縦並びの組み合わせだから。15枚セットはほとんど女性の顔が描かれているが、真ん中のキャンバスだけ「動物の図鑑」と書いてあり、9枚セットは女性像と花の絵で、1点だけ「ABE」の鏡文字を繰り返し、4枚セットは花ばかりで、2枚セットは青い表現主義的な抽象画だ。どれも脈絡がなさそうで、特に抽象が異質だが、もともと吉川は抽象画家として知られているので、むしろ女性像や花のほうに違和感がある。でもこれらは女性や花を描いてるというより、雑誌の図版などを参照しながら色彩と筆触を試しているという感じだ。ちなみに「動物の図鑑」といえば、だれしも中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』を思い出すはず。世界を図鑑のように相対化して眺めるという姿勢は、彼女の絵画観に通じているように思える。

2015/10/07(水)(村田真)

オノデラユキ作品展 Muybridge's Twist

会期:2015/10/07~2015/11/10

ツァイト・フォト・サロン[東京都]

縦3メートル近いキャンバスに張られた巨大な人物写真だが、身体が奇妙にねじれていたり、足が3本あったり、どうも居心地がよくない。作者は写真に身体性を取り戻そうとしているようで、それは写されたモデルの身体性だけでなく、写す側の制作するという行為の身体性も含めてのこと。そのため彼女はマイブリッジの連続写真を推し進めて、1枚の写真のなか、ひとりの人物像のなかに動きを取り戻すべく、撮影ーデッサンーコラージュというプロセスを積み重ねていったという。と説明されて納得する類いの作品でないのはたしかで、そこからはみ出た不穏な空気が周囲に漂っているのだ。それが作品のオーラというものかもしれない。

2015/10/07(水)(村田真)

2015年11月15日号の
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