artscapeレビュー
2016年09月15日号のレビュー/プレビュー
プレビュー:KYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭 2016 AUTUMN
会期:2016/10/22~2016/11/13
ロームシアター京都、京都芸術センター、京都芸術劇場 春秋座、京都府立府民ホール“アルティ”、京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA、ほか[京都府]
7回目を迎えるKYOTO EXPERIMENT 京都国際舞台芸術祭。今年は変則的に春と秋に2回開催される。公式プログラムでは、12人/組のアーティストによる計15の公演や展示を予定。身体性を重視した作品が多くラインナップされた「2016 SPRING」に対し、「2016 AUTUMN」では、演劇作品や、「言語」「境界」といった世界を規定する枠組みについて考察する作品が多く登場する。
とりわけ、歴史を語る言葉、国境、国籍、民族とアイデンティティについて問い直す作品がいくつもラインナップされている。世界的な難民問題、アメリカ大統領選挙戦、4年後に控えた東京オリンピック、ナショナル・アイデンティティの高揚と排斥意識、憲法改正への動きといった社会情勢に対して、言語の明晰さと肉体の強度をもって対峙しようという姿勢が感じられる。例えば、マレーシアを拠点とするマーク・テは、マレーシア独立をめぐる政治的危機の中で行なわれた和平交渉「バリン会談」とマラヤ共産党の排除の過程を取り上げ、実際の会談記録やニュース映像を用いたドキュメンタリー演劇『Baling(バリン)』を上演する。アクティヴィストでもある俳優たちが、個々の信条や思想的背景を背負ったまま演じることで、公に語られずにきた歴史の回復にとどまらず、歴史への複眼的な思考を伴う上演になるだろう。また、ウィーン在住の日本人アーティスト 松根充和は、イスラエルの空港で実際に起きた事件を元にした『踊れ、入国したければ!』という挑発的なパフォーマンス作品を上演予定。アメリカ国籍のダンサーが、ムスリム系の名前であることを理由に入国審査で止められ、ダンサーであることの証明としてその場で踊ることを強要されたという事件だ。また、松根が企画する展覧会「世界の向こう側へ」も同会場内で開催。半刈りの頭でハンガリーを訪ねた榎忠、国籍やセクシュアリティといった主題に向き合うミヤギフトシ、トルコとシリアの国境線のフェンスを切り取り、ハンモックを吊るして横たわるパフォーマンスを強行したムラット・ゴックなど、国内外の作家8名が参加する。さらに、現代演劇の演出家とタッグを組んで歌舞伎を上演する木ノ下歌舞伎は、忠義の物語として知られる『勧進帳』を、現代における境界の物語として読み直す。
また、第60回岸田國士戯曲賞を受賞したタニノクロウが率いる庭劇団ペニノ、内面の「告白」をキーワードにした映像インスタレーションを発表する小泉明郎、そして「沈黙劇」を確立した太田省吾の代表作『水の駅』が、インド最注目の演出家、シャンカル・ヴェンカテーシュワランによって演出される。一切のセリフを排し、舞台上に設けられた水飲み場にさまざまな人々が訪れては去っていくというシンプルな設定だが、多民族、多言語国家のインド全土から集められた俳優によって演じられることで、太田演劇の新たな面が切り開かれるのではと期待される。
この他に、池田亮司の2000年以降のコンサート作品を一挙に上映するプログラム『Ryoji Ikeda: concert pieces』、マーティン・クリードが初めて振付を手がけたダンス作品『Work No. 1020(バレエ)』が上演。また公演とは別に、池田は屋外サイトスペシフィックインスタレーションをロームシアター京都の中庭のローム・スクエアで展開し、クリードは京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで個展を開催する。さらに、展示企画として、デザイナーと建築家を中心としたリサーチプロジェクトresearchlightが再び参加。「2016 SPRING」では、「街のインフラ」を原寸大の木製構造物として公共空間に配置したが、今回は、「対話」をテーマとした展示を試みる。
そして、KYOTO EXPERIMENTが継続的に紹介してきた南米からは、フェデリコ・レオンの演劇作品『Las Ideas(アイディア)』とルイス・ガレーのダンス作品『El lugar imposible(不可能な場所)』が上演される。両者はともに2度目の登場であり、彼らの次なる試みが見られるのも、国際共同製作やネットワークづくりを継続的に行なってきた同芸術祭の醍醐味のひとつである。また、元 快快(ファイファイ)の演出家として知られる篠田千明は、「2016 SPRING」で上演された、チリにおけるポスト植民地主義の問題を扱った『動物園』を翻案し、新演出で発表する。いずれも見逃せないプログラムばかりであり、今秋の開催が非常に楽しみだ。
公式サイト:http://kyoto-ex.jp/
2016/08/29(高嶋慈)
AnS Studio ロボット研究ラボ見学
[静岡県]
浜松の機械工場にて、アンズスタジオによるロボティックスの技術開発を見学する。中国で同様のプロジェクトを以前見せてもらったとき、モノのスケールが小さく、建築未満の状態だったが、ここでは建材サイズに到達し、新しい建築の可能性を感じさせる。
2016/08/29(月)(五十嵐太郎)
トーマス・ルフ 展
会期:2016/08/30~2016/11/13
東京国立近代美術館[東京都]
トーマス・ルフはドイツの現代写真を代表する作家のひとり。展覧会はよく知られた「ポートレート」シリーズから始まる。人の顔を正面から撮った写真だが、みんな有名人ではないし(ルフの友人たち)、どれも無表情でつまらない。そんなどうでもいい人のポートレートを、縦2メートル以上の大きさに引き延ばして並べているからおもしろい。被写体の属性に関心が向かない分、写真そのものを意識してしまう。これらの写真は「これらは写真である」と語っているだけなのだ。だからおもしろい。初期の「室内」シリーズも「ハウス」シリーズも基本的に同じで、ごくありふれた室内や建物をまるで「見本」のように撮っている。これらが80年代の作品で、90年ごろから天体写真「星」シリーズが始まるが、これは自分で撮った写真ではなく、天文台が天体望遠鏡で撮影したネガを元にしたもの。つまり天体を撮っているのではなく、天体を撮った写真がモチーフなのだ。同様のことはその後の「ニュースペーパー・フォト」「ヌード」「jpeg」「カッシーニ」と続くシリーズにもいえそうだ。これらはそれぞれ新聞に掲載された写真、インターネットのポルノサイトから拾ったヌード画像、圧縮されモザイク状に変容したデジタル画像、人工衛星から送られた天体画像を元にした作品で、一見バラエティに富んでいるけれど、すべて写真(画像)自体をモチーフにしている点で共通している。そして見ていくうちに気づくのは、ゲルハルト・リヒターとの近似性だ。「ニュースペーパー・フォト」はリヒターの初期のフォトリアリズム絵画を思わせるし、ネット上の画像を処理して虹色の画面を創出した「基層」シリーズは、リヒターの「アブストラクト・ペインティング」シリーズを彷彿させるし、「ヌード」シリーズの《nudes yv16》などは、リヒターの《Ema》そっくりだ。これは偶然ではないはず。リヒターが絵画による「絵画」を目指し、絵画の探求から写真に接近したとするなら、ルフは写真による「写真」を目指して絵画の世界に近づいたからだ。
2016/08/29(月)(村田真)
「KOGEI かなざわ2016」記者発表
会期:2016/08/31
dining gallery 銀座の金沢[東京都]
金沢21世紀美術館の「工芸とデザインの境目」を中心に、秋に金沢市内で展開されるイベント「KOGEI かなざわ」の記者発表。冒頭で最新ニュースとして、東京国立近代美術館附属の工芸館が2020年までに金沢に移転することが決定したと発表。グッドタイミングですね。続いて、「KOGEI かなざわ」の核となる「工芸とデザインの境目」(2016年10月8日~2017年3月20日)について、同展監修のデザイナー、深澤直人から説明がある。工芸とデザインの違いはなにか? 工芸は職人が手でつくるけど、デザインは機械が大量生産するとか、工芸は古ければ古いほど価値が増すけど、デザインは新しければ新しいほど価値が高いとか。そんな両者の境目を提示していくという。これはおもしろそう。そのオープニングから3日間、金沢市内の工芸店やギャラリーを中心に「かなざわKOGEIフェスタ!」を開催。街全体で工芸に触れてもらおうという趣向だ。そのほか、「金沢21世紀工芸祭」(2016年10月13日~2017年2月26日)、「第3回金沢・世界工芸トリエンナーレ」(2017年1月21日~2017年2月11日)など、秋から来春にかけて工芸イベントが目白押し。こんなに工芸一色に染まっていいの?
2016/08/31(水)(村田真)
日伊国交樹立150周年特別展 アカデミア美術館所蔵 ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち
会期:2016/07/13~2016/10/10
国立新美術館[東京都]
ヴェネツィアのアカデミア美術館所蔵作品を中心とする展示。アカデミア美術館にはビエンナーレに行くたびに訪れるが、ウフィツィやヴァチカンに比べれば質量ともにかなり見劣りする。ヴェネツィア絵画を代表するティツィアーノはプラドをはじめ各国に分散してるからもともと少ないし、ティントレットはあるけど代表作はサンロッコ同信会館に集中してるし、自慢できるのはジョヴァンニ・ベッリーニ、カルパッチョ、それにジョルジョーネの《嵐》とヴェロネーゼの《レヴィ家の饗宴》くらい。もちろん今回は《嵐》も《レヴィ家の饗宴》も来てないけど、ベッリーニとカルパッチョは小ぶりながら特徴を備えた佳品が1点ずつ出品されている。ティツィアーノは2点あるけど、大作《受胎告知》は美術館ではなくサン・サルヴァドール聖堂から拝借して来たもの。でもこれ借りちゃったら祭壇は空っぽ? 出品点数は計57点と控えめで、なんだかヴェネツィア的な華やぎに欠けるなあ。
2016/08/31(水)(村田真)