artscapeレビュー

2009年10月01日号のレビュー/プレビュー

水俣の図(「武満徹の映画音楽」より)

会期:2009/08/26~2009/09/01

ラピュタ阿佐ヶ谷[東京都]

丸木位里・丸木俊による《水俣の図》の制作風景を収めたドキュメンタリー映画。文学者の石牟礼道子の案内で水俣の地をじっさいに訪れた上で、邸宅内のアトリエでともに筆をふるう共同作業の様子を丹念に追っている。発見だったのは、位里と俊の力関係。俊が丁寧に描きこんだ下絵の上に、位里は思いのほか大胆に墨を流していく。一見すると家父長制的役割分業の典型のように見えるが、両者の緊張感を伴った「描きあい」によって、あの迫力と悲しみに満ちた画面が構成されたという背景を知ることができた。

2009/09/01(火)(福住廉)

ウィリアム・ケントリッジ──歩きながら歴史を考える:そして歴史は動き始めた……

会期:2009/09/04~2009/10/18

京都国立近代美術館[京都府]

展覧会資料を読むと、「脱西欧中心主義」とか「ポスト・コロニアル批評」などの文言が見受けられたが、それらについては不勉強なので、予断を排して作品と対峙することにした。初期の代表作「プロジェクションのための9つのドローイング(ソーホー・エクスタインの連作)」は、ゴリゴリした質感の重厚なドローイングを、描いてはコマ撮りする作業を繰り返したアニメ作品。アニメといっても記号性の強い日本のアニメとは質感が異なり、文字通り絵が動いている感覚だ。本展では全9作品を5つのスクリーンで順次上映し、観客は専用のレシーバーとヘッドフォンで自由に音声を選んで見られる方式が採られた。この優れた方法が映像展で採られたことは特記しておきたい。その後の《ジョルジュ・メリエスに捧げる7つの断片》や最新作《俺は俺ではない、あの馬も俺のではない》では、ドローイングと実写、影絵などが自由自在に用いられ、イマジネーションとファンタジーの飛躍が一層拡張されている。彼の作品をまとめてみたのは初めてだが、これほど見応えがあるとは正直思っていなかった。まさに、一年に数度あるかないかの嬉しい驚きだ。

2009/09/03(木)(小吹隆文)

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壺中天『遊機体』

会期:2009/09/03~2009/09/06

壺中天[東京都]

向雲太郎が演出と出演を担当する今回の壺中天。ギターの建一郎とライブペインティングの鉄秀をゲストに迎える。この鉄秀が舞台のトーンを支配した。独特の墨のような黒と金と銀の絵の具を用いたパフォーマンスは、壁も床も絵の具まみれにしてゆく。現われては瞬時に消える形状は、たいてい人体をモチーフにしていて、舞台の向の身体と呼応する。フライヤーの言葉「あたらしい、いきもの。」を連想させる向の宇宙人のような身体と軽い動き。よいところはいくつかあった。けれども、ダイナミックともいえるけれど雑にも見えてしまう向と鉄秀2人のバトルは、延々とある一定のペースで進み、とくにバックの音楽との相乗効果で、深夜のクラブで行なわれているような錯覚を感じた。「まったり」感が心地よいともいえるが、舞台という場で行なう表現としては物足りなさも正直あった。

2009/09/03(木)(木村覚)

高橋涼子 個展 HAIR(=)COMPLEX

会期:2009/09/02~2009/09/26

studio J[大阪府]

毛髪、特に女性の髪は、女性性や情念のメタファーとして扱われることがあるため、男性としては若干の恐怖を覚えるモチーフである。また、お菊人形などホラーの題材としても定番である。高橋は人毛を素材にした立体作品を作り続けているが、女の情念やホラーをテーマにしているわけではない。彼女にとって髪とは、容姿を飾ることでコンプレックスを矯正する道具であり、美への欲望の表われなのである。本展の出品作では、ワンピースの内部に毛髪の玉が詰まった作品や、コルセットの紐が毛髪に差し替えられた作品がその典型であろう。男性の私は、髪とコンプレックスといえばハゲしか思いつかない。彼女の作品から感じたのは、コンプレックスよりもエゴイズムである。欲望の源であるエゴイズムの象徴としての毛髪。作者の意図からは外れてしまうが、個人の勝手な解釈としてはその方が座りが良かった。

2009/09/04(金)(小吹隆文)

遠藤一郎 Driving Photo Music

会期:2009/09/02~2009/09/06

Art Center Ongoing[東京都]

未来美術家・遠藤一郎の個展。「new world」「未来へ」など、単純明快なメッセージをエンジンオイルで描きつけた写真作品と、それらの写真をもとにした《Driving Photo Music》を発表した。《Driving Photo Music》とは、遠藤が撮りためたデジタル写真をプロジェクターで投影し、彼が「未来号」で聴いている音楽にあわせながら、手元のキーボードを連打して写真を動かしていくオリジナル写真再生装置。一般的なパソコンとちがい、指示と再生のあいだにタイムラグが一切ないため、自分のリズムで意のままに写真を入れ換えていくことができる。大江千里、Dreams Come True、Underworldなど、ポピュラーミュージックの定番にあわせながら、高速道路の車内から撮影した太陽や雲、そして青空などの写真を立て続けに見てみると、それらがまさしく遠藤が移動してきた旅路そのものであることに気づかされる。そう、遠藤一郎とはつくづく「旅するアーティスト」なのである。それがレジデンスを繰り返しながら各地の国際展を渡り歩くアーティストと異なるのは、遠藤が地元の人びととしっかり交流しながら信頼関係を築き上げ、彼らから「また呼ばれるアーティスト」ということだ。あまりにもベタな作風は、ネタを重視するアートシーンからは軽視されがちだが、そもそもネタという言語ゲームを繰り返すばかりで、「また呼ばれないアーティスト」が多いなか、ほんとうに大切なものは、ベタな信頼関係にしかないことを、遠藤一郎は静かに教えている。

2009/09/04(金)(福住廉)

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