artscapeレビュー

2009年10月01日号のレビュー/プレビュー

森本美絵「Single Plural」

会期:2009/08/03~2009/09/13

MISAKO & ROSEN[東京都]

写真家・森本美絵の個展。長年ひそかに撮り続けてきたという家族写真を発表した。家族という最小の社会集団が幾人かの成員によって成り立っているように、森本の家族写真もまた、ひとつの印画紙に複数のイメージを、わずかに重複させながら、定着させている。それらのあいだに直接的な関係性を見出すことは難しいが、それぞれの写真が抽象度の高い構図で撮影されているせいか、ひとつのフレームに収まっていることに違和感がないほど、じつに収まりがよい。その、相対的に自律しながらも、ゆるやかな全体を形成するという集団のありように、森本にとっての家族像が投影されているようだった。

2009/09/11(金)(福住廉)

「吾妻橋ダンスクロッシング」

会期:2009/09/11~2009/09/13

アサヒ・アートスクエア[東京都]

コンテンポラリーダンスを紹介するお祭りとしてはじまった(と記憶している)「吾妻橋」は、ここ数回、その縛りから桜井が自由になりジャンルレスなセレクションを決行したことで、パワフルでユニークな舞台表現の一大イベントへ発展した。今回はとくに、「吾妻橋」史上もっともネールバリューの高いアーティストがラインナップされた回となった。盛況の理由はひとつそこにあるだろう。とはいえ、今回の「吾妻橋」がとりわけ盛り上がったのは、いとうせいこう(+康本雅子)と飴屋法水を、チェルフィッチュとLine京急を、contact Gonzoとほうほう堂を、ハイテク・ボクデスと鉄割アルバトロスケットを、快快とChim↑Pomを観客が立て続けに見られたというところにあったろう。そりゃそうなったら比較してしまいます。そして、その比較から見えてくるものがあるわけです。今回ほどタイトルの「クロッシング」の語が際だった回はこれまでなかったろう。観客はそれぞれを見比べながら、案外冷静に、舞台で披露された各組の方法に目を向けたに違いない。そして、この異種格闘技イベントに「ダンス」の名が刻まれている理由を思ったことだろう。ぼくはcontact Gonzoの相変わらずキラキラした暴力と、鉄割アルバトロスケットで役者のひとりがジャンキーみたいに割り箸を指す快楽に耽溺しつつ(?)ギョロ目でポーズを決めたところと、チェルフィッチュの役者たちがしゃべると案外大きなジェスチャーをしてしまうところと(しゃべらないときの役者の休んでいるところも)、Line京急の大谷能生、山縣太一、村松翔子という強力な3人が繰り出すいくつもの瞬間に、とくにダンスを感じました。

2009/09/11(金)(木村覚)

遠藤一郎エキシビジョン おいらとゆかいな野郎ども

会期:2009/09/09~2009/09/13

Art Center Ongoing[東京都]

遠藤一郎企画によるグループ展。遠藤にゆかりのある「ゆかいな野郎ども」数十人が、遠藤とじゃんけんをして勝った順番に場所を決めながら展示をしていった。ある種のアンデパンダン展だということでいえば、昨年に清澄白川のMAGIC ROOM?で催された「全員展!!!!!!!!」が必然的に思い出されるが、展示の密度や参加人数では圧倒的に下回るとはいえ、今回のほうが「全員展!!!!!!!!」より見応えがあった。若い自己表現が爆裂するなか、ひときわ異彩を放っていたのが、海野貴彦。抽象的で無機質なブロックだけを集積して無限に広がる都市空間を描写したかのような画面は、静謐さと狂気が紙一重で共存しており、周囲の喧騒がその異常性をよりいっそう引き立てていた。さらに、もうひとりおもしろかったのが、遠藤の想定外で同展に勝手に参加したやつ。彼もしくは彼女は、身元を明かさないまま、会期中にわたって会場にファクスによる同展への応援メッセージを送り続け、遠藤は律儀にそれらを一枚一枚会場に貼りつけていた。24時間テレビに送られてくる応援ファクスのようなアニメチックなイラストが描かれた紙面を見てみると、そこには「混欲アパートブログを見てPCの前でジャンプしました!」(「混欲」ではなく「混浴」が正しい)、「fight the future!」(遠藤はそんなフレーズはいったことがない)といったメッセージが描きつけられている。絵のタッチをその都度その都度変えながら、しかもTシャツのプリントを皺に沿ってきちんと描くなど、かなり芸が細かい。シニカルなニュアンスに「こいつ、むかつくわー」と遠藤はこぼしていたが、そういいながらも、わざわざ「ゆかいな野郎ども」に加えているところが、遠藤一郎の器量であり、そこに「未来」があるのだろう。

2009/09/12(土)(福住廉)

アジアを抱いて──富山妙子の全仕事展 1950-2009

会期:2009/07/26~2009/09/13

旧清津峡小学校[新潟県]

美術家・富山妙子の回顧展。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2009」の一部として催された。50年代の炭鉱問題にはじまり、戦争、従軍慰安婦、第三世界など、政治的・社会的な問題に一貫して取り組んできた画業を200点あまりの作品によって一挙に振り返る構成で、ひじょうに充実した展示だった。60年にも及ぶ制作活動を丁寧に見ていくと、いかにも沈鬱なモノクロームの世界から次第に色彩を導入しながら神話的な世界へと移り変わっていくプロセスが手にとるようにわかる。その神話的な物語世界で重要な働きをしているのが、「白狐」だ。富山はかつての帝国臣民や現在の日本国民を白い狐に見立てることで、絵画の寓話性を高めようとしているが、動物に仮託して物語る手法は、たとえば山下菊二にとっての「犬」や、バンクシーにとっての「ラット」、あるいは鳥獣人物戯画における「蛙」と同様、古今東西を問わず、広く行き渡っている表現手法のひとつである。サブカルを貪欲に取り込んだネオ・ポップ以降の文脈からすれば、富山の絵は一昔前のイデオロギー的な絵画にしか見えないかもしれないが、それは様式展開の歴史とは別に、その底流で脈々と受け継がれてきた寓話的な絵画という伝統にはっきりと位置づけられるのである。

2009/09/13(日)(福住廉)

森村泰昌展 魔舞裸華視

会期:2009/08/28~2009/10/03

epSITE GALLERY 1[東京都]

森村泰昌の新作展。フリーダ・カーロに扮したセルフ・ポートレイトのほか、掛け軸、屏風、絵巻なども発表した。タイトルの「魔舞裸華視」とは「まぜこぜにする」という意味の「まぶす」から転じた造語らしいが、出品されたのはたしかにメキシコ的な世界と日本的な世界が混合した作品ばかり。セルフ・ポートレイトはフリーダ・カーロに変装しているという点ではメキシコ的であるものの、そのフレームはパチンコ屋の店頭に立ち並ぶ花輪のように装飾されているし、掛け軸の背後の壁紙にプリントされている図柄は金平糖で覆われた頭蓋骨だ。このシャレコウベは、一見するとデミアン・ハーストのダイヤモンドを散りばめた頭蓋骨にたいする、いかにも森村流のパロディとも読み取れるが、じっさいはシャレコウベのかたちのメキシコの砂糖菓子だろう。メキシコの歴史と分かちがたく結ばれた「哀しき玩具」が、日本的な掛け軸や屏風と掛け合わせられているわけだが、その「まぶらかし」という構えこそ、じつは日本的だったのだ。

2009/09/14(月)(福住廉)

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