artscapeレビュー
イデビアン・クルー『麻痺 引き出し 嫉妬』
2013年11月01日号
会期:2013/10/05~2013/10/07
KAAT 神奈川芸術劇場・中スタジオ[神奈川県]
イデビアン・クルーの舞台が他のダンス舞台と比べて際立って面白いのは「クール」だからで、それはなにより、舞台に客席の観客とは異なる「観客」がいるというところにある。誰かのダンスに誘惑されて、井手茂太(扮する男)がノリノリになって踊ろうとしたら、一寸早く割って入って来た男にステージを取られた。そんなとき、井手(扮する男)は醒めた1人の「観客」として呆然と佇んでいる。井手の振り付けが素晴らしいのは、なんと言おうか、たんなる振り付けではなく、踊ってしまう人間の踊りへ至る心情が表現されているところだろう。日常のテンションからわずかに浮き足立つ瞬間、そこに起こる心情。ブレることなくそこを見定めているからこそダンスは自然と批評性を帯びる。しかも、今作では照明や音響との相乗効果が緻密な仕掛けによって引きだされていた。魚市場の競りでの早口がスピーカーから流れると、井手はまるで音楽にあわせるように、早口のリズムに体を合わせる。あるいは、ただ歩くだけのシーンで轟音の足音がステップに合わせ鳴ったり、勢い込んで目の前の男2人のあいだに割って入ろうとすると、音楽が急に小さくなり、そのためか、2人に拒まれ、勇気を振り絞って出した勢いが削がれてしまったり。照明も同じように、スポットを踊るダンサーからちょっとずらしたりして、「浮き足立つ」気持ちに合わせたり、そっぽ向いたりする。ダンスに必須なものに「ノリ」がある。そして「ノリ」とは日常からちょっと逸脱する内発的なエネルギーだとすれば、ダンサーたちが幾通りにも交錯し、関係のバランスをさまざま変化させるなかで、井手が描き出すのはこの「ノリ」がどう生まれ、どうしぼんでしまうかなのだ。タイトルは作品の構成を示すと同時に、ひとつながりのしりとりになっているが、まさにしりとりのように、つき合わされ、乗せられ、乗っ取られる人々の心情。その揺れるさまを見ていると、この舞台で起きていることの多くは、素直に「ノル」ことというよりは、「ノレナイ」ことだったりするのに気づく。誘惑と幻滅、踊りの裏と表が同時に明かされた。20個ほどの和室用ペンダントのついた蛍光灯が舞台を照らしたラストシーン。次々消えて、最後に一個だけ残った真ん中の蛍光灯。その紐をカチッカチッとやると、オレンジの光が鈍く光った後暗転した。暗転で引き離されるのだが、紐の手に観客の目が集中して、一瞬観客は踊り手たちの和室に吸いこまれた。
2013/10/06(日)(木村覚)