2021年12月01日号
次回12月15日更新予定

artscapeレビュー

鳥公園『カンロ』

2013年11月01日号

会期:2013/10/25~2013/11/02

三鷹市芸術文化ホール[東京都]

女二人が話題にするのは、同窓会で再会した1人の女。目立たず、すっかり忘れていた、ださい眼鏡女。彼女への軽蔑を肴に弾む会話。しかし、当の2人も互いの結婚や仕事を知らず、仲が良いとはけっして言えない。会話の最中、そこにいないはずのださい女が不意に現われ、2人の会話に割り込んできた。同窓会の回想シーン?にしてはあまりに唐突。過去が現在に土足で侵入してきた……わかるだろうか、この感じ。約1時間の舞台で作・演出の西尾佳織がこんな仕方で描くのは、薄くて軽くて、だから残酷で暴力的でもある人間関係の姿。
会話の標的となった女ばかりか、会話の相手も、どちらも過去のどうでもよい相手。薄い関係では、自分と他人の境界も現在と過去の境界も曖昧。ださい女が、一体どんな人生を送っているのか、2人のうちの1人が妄想し始めた。例えば、この女は恋愛するのだろうか? 試しに自分の夫とデートする場面を想像してみる。するとださい女が舞台に現われ、どんな服を着ていけばいいか、女に指南を仰ぎに来た。眼鏡がださいだの服のセンスがありえないだの散々からかった末、ださい身なりのまま、ださい女のデートが始まる。不器用な振る舞いを散々笑ったあとで、女は隣の男が自分の夫であることを彼女に告げる。こうした場面で西尾が描こうとする焦点は、たんにださい女の人生でも、たんにださい女を笑う結婚女の醜さでもなく、妄想というものの実相だろう。妄想は自由で身勝手、そして楽しく醜い。実際のところどうなのか、なんてわからないし興味もない。貧困で他人の心配なんてする余裕もない。きつい現実に向き合うより虚構に耽溺していたい。そんな気分の、薄ら寒い末期症状が淡々と描出される。
その一方で、虚構化しきれない残留物もある。身体だ。この舞台にはもう一組、2人の男たち(と1人の上司)が出てくる。彼らの職業は非正規雇用の死体処理。彼らは皆、理由不明の下痢に悩まされている。彼らに象徴されるように、この舞台は妄想だけではなく生きた身体をめぐるお話でもある。
この点で白眉だったのが、杉山至による舞台美術。舞台の真ん中には穴があいている。穴から脚の長い椅子が飛び出ていて、テーブルに丁度よい高さで立っている。それが突然、上演の半ば、椅子が穴からせり上がって来て、テーブルの脚もそれにつられて伸び始めた。テーブルは急角度で斜めになり、それまで寝そべっていた登場人物を滑り落とす。突然のことであっけにとられた。アスレチック場のように変貌した部屋。すると彼方では、天上付近に吊った幅1メートルほどの白い紙ロールが引き伸され、舞台を取り囲む。下痢する男たちのトイレットペーパー? しかし、なぜこんな巨大に? と思っていると、台所をたかる蟻についてのおしゃべりが女2人と夫とで始まった。蟻をどうつぶすか、なんて話の最中で、死体処理の男たちが舞台奥でせっせと仕事をこなしている。
蟻と人間の薄気味悪いアナロジー。アスレチックと化した舞台装置を移動する女たちが台所をはう昆虫に見える。鳥公園も含む女性作家ばかりの合同公演について先月書いたときにも触れたことだが、女性作家たちが人間を動物や昆虫になぞらえるのは、昨今の演劇の顕著な傾向だ。虚構と、その残余としての身体。この二つだけがある。理想や努力にふさわしい報いといった、人間が人間であるための尊厳からとてもとても遠い。そんな今日的状況が躊躇のない手つきで舞台に描き出されていた。

2013/10/25(金)(木村覚)

2013年11月01日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ