artscapeレビュー

Jamie Lloyd Company『Betrayal』

2019年05月15日号

会期:2019/03/05~2019/06/08

Harold Pinter Theatre[ロンドン]

結末の見えた物語は味気ないものだろうか。いや、行き着く先を知っているからこそより大きく心揺さぶられる、そんなこともあるはずだ。ハロルド・ピンターの戯曲『背信』はエマとロバート、ジェリーとジューディスの二組の友人夫婦の9年間を、しかし時を遡るかたちで描く。それはエマとジェリーが出会い、不倫をし、そして決別するまでの9年間だ。観客は彼らの「未来」を知りながら「今」に立ち会うことになるだろう。目の前で交わされる約束が実現されないことを、かけがえのないように思えるその出来事がやがて忘れられ、あるいは誤った記憶に置き換えられてしまうことを知っている観客は、だからこそより一層、そこにある「今」の儚さに思いを馳せる。未来への約束も過去の記憶も不確かだ。その儚さを舞台上の彼らが知ることはない。

ハロルド・ピンター劇場でのジェイミー・ロイド演出による『背信』はエマ役にゾウイ・アシュトン、ジェリー役にチャーリー・コックス、そしてロバート役に日本でも『マイティ・ソー』『アベンジャーズ』のロキ役などで人気のあるトム・ヒドルストンを迎え、実力派俳優たちの演技を際立たせるシンプルな演出で上演された。

戯曲『背信』においてジェリーの妻であるはずのジューディスは名前しか登場せず、それゆえエマ、ジェリー、ロバートの三角関係が強調される。しかもそこには男同士の強い友情も関わっている。「実を言うと、昔から君よりもやつの方が好きな位なんだよ。そう、僕があいつと関係した方がよかったんじゃないかな、この僕が」(喜志哲雄訳、ハヤカワ演劇文庫『ハロルド・ピンターⅠ』より)というロバートの言葉からも読み取れるように、それは幾分か同性愛的な要素を含んでさえいるものだ。『背信』のほとんどの場面は三人のうち二人だけの会話による。愛情であれ友情であれ、そこには残るひとりへの「背信」の気配が濃厚に漂う。

この三角関係の複雑さ、微妙さを、ロイド演出は三人をつねに舞台上に置くことでよりはっきりと可視化してみせる。二人を見守る壁際のひとり。それは逢瀬を楽しむ二人の頭を過ぎる姿か、あるいはそこにいる二人こそが壁際のひとりの妄想か。壁に映る二人の影は、不在ゆえの存在感を強調する。舞台上につねに三人目の視線があることで、展開される出来事はむしろ客観的事実であることをやめ、各々の記憶という不確かなものへと結晶していくのだ。

しかしだからこそ、終盤に採用されたある演出には疑問が残る。劇中、ジェリーがエマの娘シャーロットを「高い高い」したというエピソードが二度語られる。それがエマの家の台所でのことだったと言うジェリーに対し、エマはその都度、「あなたの家の台所」だったとそれを訂正する。記憶の不確かさを象徴するエピソードだが、ロイド演出では二度目のこの会話のあと、舞台上にシャーロットと思しき子どもが登場し、ジェリーが彼女を「高い高い」してみせるのだ。もちろんそのようなト書きはない。シャーロットの登場は(それが唯一の「正解」を与えるものでないにせよ)、この戯曲と上演の「儚さ」を損なってはいないだろうか?

公式サイト:https://www.pinteratthepinter.com/

2019/03/07(山﨑健太)

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