artscapeレビュー
中島那奈子・外山紀久子編著『老いと踊り』
2019年05月15日号
発売日:2019/02/20
野心的な論集である。本書『老いと踊り』の主題は、その簡素なタイトルがこれ以上なく適切に伝えているが、その背後に控える問題は複雑かつ重層的だ。そこでこの場では、おもに編者のひとりである中島那奈子の序章「老いのパフォーマティヴィティ」に即して、本書が射程に収める問題系をなるべく遺漏なく紹介しておきたい。
まず、ごく一般的な前提として、現代社会が過去経験したことのない規模で「老い」の問題に直面していることは衆目の一致するところだろう。とりわけ日本は、65歳以上の人口が約28%を占めるという超高齢化社会を迎えている。こうした時代状況のなかで、経済学や社会学のみならず、哲学をはじめとするヒューマニティーズの領域でも「老い」についての考察が着々と進められている(たとえばヌスバウムや鷲田清一)。そのうえで中島は、ダンス研究において老いの問題を主題化することに伴うパラダイム・シフトとして、さしあたり「技術的転回」(老いと生政治)、「美学的転回」(老いとアブジェクション)、「芸術的転回」(東西の舞いと踊りの相違を含む横断的アプローチ)の3つを挙げる(なお、丸括弧内のフレーズは筆者の観点からの概括である)。とくに最後の点に関しては、コンテンポラリー・ダンスを牽引してきたジャドソン教会派のダンサーの高齢化という個別的な事情にも触れられており、ここだけでも多くの示唆に富む。各分野の理論的な動向にも十分に目配りのきいた、文字通り本書の基調をなすイントロダクションである。
以上に象徴されるような主題の広がりが、本書をそれぞれ異なる関心をもつ読者に送り届けることに成功している。つまり、昨今ますます喫緊の課題となりつつある「老い」そのものに関心を寄せる者、あるいは従来の社会では周縁に置かれていた「老い」の美学的ポテンシャルに期待を寄せる者、さらには(コンテンポラリー・ダンスを中心とする)芸術ジャンルとしてのダンスにおける老いと表現の関係に関心を寄せる者——。読者はそれぞれの関心に応じて、全12章からなる各論にアクセスすることができるだろう。
他方、通読してやや気になったのは、本書の各論が、しばしば同じ話題や対象をめぐって旋回していたことだ。むろん「老いと踊り」というテーマに真摯に向き合おうとするとき、大野一雄、ピナ・バウシュ、イヴォンヌ・レイナーといった表現者たちの実践を抜きにすることはほとんど考えられない。だが、各論の事例がこれらの人々に集中することの意味は、おそらくまた別途考えられるべきだろう。若く屈強な身体を前提とする西洋の「踊り」と、伝統的に高齢者の身体を尊重する日本の「舞い」を比較対照するという視点についても、おそらく同様のことが言える。その意味でいえば、「番外編」と銘打たれたもうひとりの編者・外山紀久子による最終章「旅立ちの日のための「音楽」(ダンスも含む)」は、かならずしも踊りに照準を合わせたものではないものの、ファイン・アートの外にあるさまざまな芸術的実践に光を当てることで、本書のさらなる「先」を垣間見せるものであった
。いずれにせよ、ダンスにかぎらず、芸術一般における「老い」の問題が未開拓の領域であることに変わりはない。本書は、編者たちの類稀なパトスによって、その未踏の領野を果敢に切り開くことに成功している。
2019/05/14(火)(星野太)