artscapeレビュー

五十嵐淳《湘南の家》

2009年08月15日号

[神奈川県]

竣工:2009年

北海道をベースに活躍する五十嵐淳がはじめて関東圏に建てた住宅。はじめて彼の空間を見る機会ということで、やや興奮して訪れた。勾配の深い大きな屋根がシャープな形態をありふれた住宅地に切り取り、さらに進んで別の位置から見返すと一枚の面壁が空中に立てかけられているようにも見える。背後に回ると鈍角に二回折られた壁といくつかの小さな窓。内部に入る。最初に感じたのは森のようだということだった。湘南の海岸にほど近いこの場所には意外なほどの閉鎖性。柱梁に加えて、接合部だけ床と天井に隠れた多くの筋交いが内部空間を駆け抜け、全体的にやや高い位置に幾分ランダムに開けられたような開口部から数条の光が内部に差し込む。木々の合間から漏れる淡い光のようだ。北海道の針葉樹林が想起される。抽象的な森林空間とでもいえようか。その印象は、高い天井高と上部の視界を仕切らないパーティション的な壁によって、より強められることになる。内部空間を彷徨いながら次に感じたのは外部との断絶であった。まるで一枚の壁のような極限までシンプルにされた外観と、森林の中にいるような内部空間は、ほとんど別種の建築に分離しているかのように思われた。まるで湘南(外部)に北海道の森の空間(内部)が呼び寄せられたかのようだ。驚くべきは、両者が一枚の壁を介して矛盾なく接続しているところである。
ところで、五十嵐はこの住宅について「空」との関連でコメントしており、その内容が興味深い。藤本壮介の建築空間では「届く空」を感じたのに対して、自身の作品では「届かない空」があるという。つまり、五十嵐が目指しているのは、どこか遠くの空間を現出させることではないか。手に届かないものを表現し空間化することが目指されている。そのため湘南に北海道の森のような空間を呼び寄せたように見え、また高い天井に柱と筋交いが消えていくことなどが相まって、吸い込まれるような届かない空が表現されているように思われた。

2009/06/26(金)(松田達)

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