artscapeレビュー

2012年08月01日号のレビュー/プレビュー

館林ジャンクション 中央関東の現代美術

会期:2012/04/28~2012/07/01

群馬県立館林美術館[群馬県]

群馬県立館林美術館を中心に半径25kmの圏内に在住している美術家を集めた展覧会。佐々木耕成、長重之、吉本義人、五月女哲平、佐藤万絵子、栃木美保ら、ベテランから若手まで、16名が参加した。丁寧な作品解説と館林市内のギャラリー「スペース・ユー」の活動記録を併せて収録した図録もたいへん充実している。とりわけ印象深かったのが、光山明。観光名所に置かれていることの多い顔出し看板によって土地の歴史を浮き彫りにする写真シリーズ《ニッポン顔出し看板紀行》を発表した。例えば渡良瀬遊水地には、官憲と対峙する田中正造の顔出し看板を設置することで、そこに足尾銅山からの鉱毒を沈殿させるために強制破壊された村がかつて存在していた事実を明らかにした。池袋のサンシャインシティ(巣鴨プリズン)や茨城県東海村(東海発電所)など、フィールドの幅も広い。空間と時間を交錯させる手並みが、じつに鮮やかである。

2012/07/01(日)(福住廉)

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井上雅之 展「初形より─山」

会期:2012/07/02~2012/07/07

番画廊[大阪府]

会場には山のような形をした大きな陶立体が1点。四角い箱を積み重ねた形状をしており、珊瑚や多孔質の物質を思わせる。形態の面白さはもちろんだが、細部も多彩な色合いや質感、大小さまざまなひび割れを持っており、間近で凝視しても見飽きることがなかった。表面の多彩な表情は、釉薬を何度も重ね塗りして焼成するなどしてつくり出すらしい。彼の個展は関西では12年ぶりということだが、これだけの存在感を放つ作品を滅多に見られないのは寂しい。できればもう少し機会を増やしてほしいものだ。

2012/07/02(月)(小吹隆文)

白上太朗 展

会期:2012/07/03~2012/07/08

GALLERY SUZUKI[京都府]

全長約3メートルの巨大な伊勢海老が宙づりにされ、ほかには動物の頭蓋骨2点が展示されていた。といっても、もちろんそれらは本物ではなく、どれも木彫作品だ。造形は具象そのもの。自分が好きなものをそのまま造形化したということだろう。大抵の男性は子どもの頃に、昆虫や爬虫類、甲殻類を怪獣みたいで格好いいと思っていただろう。彼の作品はそんな子ども時代からの憧れをそのまま具現化したものである。あまりにもストレート過ぎて芸がないとも言えるが、今回は作家の混じり気のない気持ちが上回っていた。

2012/07/03(火)(小吹隆文)

久保修 切り絵の世界展──紙のジャポニスム

会期:2012/06/21~2012/07/16

美術館「えき」KYOTO[京都府]

切り絵作家、久保修(1951-)の新作を含む個展。通常、切り紙とは、紙を切り抜いて形をつくり、それを台紙に張ったものを指すが、久保はパステルやアクリル絵の具、布、砂などといった素材を取り入れた独自の技法で切り絵表現の幅を広げてきた。大学在学中に切り絵を始めた久保は、新聞や雑誌の表紙絵などを担当する一方で、その叙情性溢れる作品がふるさと切手や年賀はがきに採用され注目を集めた。四季折々に移り変わる日本の自然の美しさや風物を、和紙を繊細に切り抜いて表現しながらも、迫力ある画面に仕上げている。この計算された構図は、おそらく久保が大学で建築を勉強したためではないか思う。それが旬の食材を切り取った作品では一変する。なんと可愛くてユーモラスだ。どちらもほのぼのして心温まる作品であることには違いない。2009年には文化庁文化交流使に指名され、切り絵を通じて日本文化を紹介する活動も行なっている。[金相美]

2012/07/03(火)(SYNK)

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初期伊万里展──日本磁器のはじまり

会期:2012/06/10~2012/09/23

戸栗美術館[東京都]

戸栗美術館が所蔵する古伊万里の優品のなかから、色絵磁器が登場する1640年代以前の「初期伊万里」と分類される作品を見る展覧会。日本で磁器が焼かれるようになったのは1610年代。文禄・慶長の役の際に連れ帰った朝鮮人陶工がその技術をもたらしたといわれている。技術的には完成途上にあり、器の形も絵付けも安定していないが、いびつな形にも美しさを見ることができるのは、陶磁器鑑賞の楽しみのひとつである。
 今回の展覧会で初期伊万里以上に印象に残ったのは、「波佐見焼の系譜と現在」と題した1階やきもの資料室の展示である。ここでは近年デザインに力を入れたものづくりを積極的に行なっている波佐見焼とその歴史を解説している。輸出港の名前から肥前磁器は「伊万里焼」と総称されるが、じっさいには、有田、波佐見、伊万里で、地域ごとに特徴ある製品が焼かれていた。たとえば初期伊万里の時代には、有田では染め付け、波佐見では青磁が主力製品であった。オランダ東インド会社を通じて海外に輸出されるようになると、有田では高級品、波佐見では下手といわれる日用の量産磁器の生産が行なわれる。18世紀、輸出が止まり需要が国内にシフトしたあとは、波佐見は「くらわんか手」と呼ばれる安価な磁器を大量に生産し、陶磁器の使用を庶民階級にまで普及させていった。そして明治以降、波佐見は銅版転写や石膏型の使用など、さらなる量産技術を積極的に導入していく。
 問題は波佐見焼のブランド・イメージである。江戸期には伊万里焼と呼ばれ、明治以降は有田駅から全国に出荷されたために有田焼と呼ばれるなど、産地である波佐見の知名度は低かったものの、量産技術を発達させたおかげで、1990年代初めには全国の日用食器の3分の1ものシェアを占めていた★1。ところがそれ以降、中国・東南アジア製品におされ、現在の国内シェアは13%程度にまで低落している。日用品であってもブランドを確立しなければ、品質が向上したアジアからの輸入品に対抗できない。知名度の低さを打開すべく、波佐見では2000年前後からデザイナーとコラボレーションを行なったり★2、新たな用途の製品を開発したり★3、複数の窯で共通のデザインを採用する★4など、デザインによる産地のブランド化に乗り出しており、今回の展示でも機能性を高めた新たなデザインの製品がいくつも紹介されている。そういえば、森正洋のデザインによる量産日用陶磁器を生産してきた白山陶器もまた波佐見の会社であった。なるほど、「作家もの」にいくのではなく、量産陶磁器にデザインが持ち込まれてきた背景には、伊万里焼のなかで波佐見がおかれてきた歴史的経緯があるのだ。古伊万里の歴史から現代の産地が抱える問題までを一本の糸で結ぶ今回の展示は、なかなか意欲的である。[新川徳彦]

★1──「求む ブランド名 長崎の波佐見」(『日本経済新聞』1999年10月26日)。
★2──「伝統品に新たなカタチ」(『日本経済新聞』2006年7月8日)。
★3──「電子レンジ調理陶器 量産」(『日本経済新聞』2010年8月27日、九州版)。
★4──「波佐見焼『エレガンス』宣言」(『朝日新聞』2007年2月3日、長崎版)。

2012/07/04(水)(SYNK)

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2012年08月01日号の
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