artscapeレビュー

2012年08月01日号のレビュー/プレビュー

多田裕美子 玉姫写真館

会期:2012/06/19~2012/07/08

CAFE&BAR鈴楼[東京都]

1999年、写真家の多田裕美子は山谷の玉姫公園で「青空写真館」を始めた。山谷の男たちのポートレイトをその場で撮影する屋外の写真館である。この写真展は、「青空写真館」で撮影された写真をまとめて発表したもの。会場となった飲食店には、壁という壁に男たちの肖像写真が貼り出された。眼光の鋭い男や物腰の柔らかい男、肩の刺青を見せつける男がいればレンズから視線を外す男もいる。だが、いずれの写真にも通底しているのは、男たちから漂う濃厚な空気感であり、その意味では鬼海弘雄の写真に非常に近い。違うのは、鬼海のポートレイトが浅草寺の境内を背景とすることが多いのにたいして、多田のそれは黒布の前にモデルを立たせて撮影していることだ。そのため明暗が際立ち、男たちの顔立ちや体格が明瞭に写し出されている。それゆえ、舞台の上でスポットライトを浴びているかのようにも見えるのだ。おそらく、男たちが内側に抱えているドラマにたいする敬意が払われているのだろう。

2012/07/05(木)(福住廉)

KATAGAMI Style 世界が恋した日本のデザイン もう一つのジャポニスム

会期:2012/07/07~2012/08/19

京都国立近代美術館[京都府]

本展は、染色で模様を染める際に用いられる型紙が、欧米でどのように受容され展開したかを探るもの。約400点にも及ぶ膨大な展示品と、約3年間にわたる綿密な調査に基づく、ヘビー級の内容を持つ展覧会だった。展示品は、型紙や衣裳、見本帳に始まり、陶器、ガラス、壁紙、家具、ポスターなど多岐にわたる。つまり、染色展ではなく総合的なデザイン展である。事実、欧米諸国が布地ではなく型紙を欲したのは、未知のデザインソースに対する関心からだという。ヨーロッパ諸国での受容の差異も興味深く、英国では産業主導だったのに対し、フランスでは美術家や工芸家が率先したという。また、日本とほぼ同時期に統一国家が形成されたドイツでは型紙がデザインの教材として受容されたそうだ。今までジャポニスムといえば、浮世絵や陶磁器ぐらいしか思い浮かばなかったが、実は型紙こそがジャポニスムの中核だったのかもしれない。

2012/07/06(金)(小吹隆文)

artscapeレビュー /relation/e_00017836.json s 10041022

福島原発の闇

会期:2012/05/26~2012/07/07

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

いま、見たいのによく見えないもどかしさを感じてならないのは、福島第一原発における労働の実態である。なぜなら、それが今後の私たちの明暗を左右しかねない重大な事案であるばかりか、現代の文明的なテクノロジーによって私たちは日常的に視覚的な全能感を味わっているからだ。そのもどかしさといったらない。
だが、ブラックボックスとして原発労働は、いまに始まったことではない。本展で展示されたのは、雑誌『アサヒグラフ』(1979年10月19日号、10月26日号)に掲載された「パイプの森の放浪者──現場からの報告・原発下請労働者の知られざる実態」という記事。身分を隠して福島第一原発の労働に携わったルポライターの堀江邦夫が文章を綴り、その言葉をもとに漫画家の水木しげるがイラストを描いた。
興味深いのは、30年近く前とはいえ、原発労働の細部を知ることができる点である。汚染水を処理する過酷な肉体労働をはじめ、その労働を始める前に思想調査が行なわれること、労災隠しが常態化していたこと、にもかかわらず福島第一原発の構内には「無災害150万時間達成記念」なる記念碑が建てられていたこと。堀江の文体には、経験者ならではの現場の臨場感がある。
だが、それ以上に来場者の視線を集めたのは、水木しげるのイラストレーションだろう。無数のパイプが行き交う構内の様子を点描で緻密に描いた絵には、並々ならぬ迫力がある。しかも、証言や資料をもとにリアルに描いているだけではなく、パイプの隙間に怪物的な目玉を描きこむなど、随所でイマジネーションを発揮しているのだ。見えない放射性物質を描くには、想像力に頼るほかないことを、水木しげるの絵は如実に物語っているのである。

関連書籍:堀江邦夫、水木しげる『福島原発の闇──原発下請け労働者の現実』(朝日新聞出版、2011)

2012/07/07(土)(福住廉)

しりあがり寿★ワールド ゆるとぴあ

会期:2012/06/23~2012/07/08

横浜市民ギャラリーあざみ野[神奈川県]

3.11以後、「アートは無力か?」と自問自答するアーティストは多いが、「アート」であろうとなかろうと、すぐれた文化表現は少なからず生まれている。いままさに全国各地で大きなうねりを形成しつつある脱原発デモはその最たるものであるし、Chim↑Pomの一連の表現活動や、いとうせいこうのポエトリー・リーディング、そしてしりあがり寿の『あの日からのマンガ』もある。とりわけ、しりあがりの作品は放射性物質を擬人化したり、50年後の未来社会を想像的に予見したり、マンガという自由闊達な表現形式を存分に使いきることで、同時代の精神史に大きな足跡を残した傑作である。
本展で展示されたのは、しりあがり寿による映像インスタレーション。「ゆるめ~しょん」と言われるゆるいアニメーション作品を、広い会場に縦横無尽に設置されたモニターの数々で見せた。そのモニターのサイズは大きなものから小さなものまでバラエティがあり、それらを巧みに構成することによって、会場にダイナミックな動きを生んでいたし、モニターを縦方向に組み上げることで4コママンガのように見せるなど、工夫も効いていた。色彩を封じ込め、線描だけに特化しているので、画面の大半を占める白い背景がやけにまぶしい。テレビやパソコン、スマートフォンなど、私たちが情報を受け入れる窓口の無機的な光が強調されているようだ。そこで動く定番のキャラクターは確かにコミカルだが、その反面、金属音のような音響がひどく衝撃的で、そのギャップが私たちの心情を表現していたように思えた。とてつもない不安や恐怖を内側に抱えつつも、明るく健気に振舞う二重性。それが病理としてではなく、常態化してしまったことの狂気を、しりあがりは見せようとしていたのではなかったか。
今回の展覧会は、しりあがり寿という稀代の漫画家が、同時にすぐれたアーティストであることをはっきりと告げた。展示に関する文法を適切に踏まえているからではない。線によって描き出す世界が、今日の社会的状況や私たちの精神性と確かに結びつき、そのことによって強いリアリティを生み出しているからだ。

2012/07/08(日)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00017718.json s 10041039

トーマス・デマンド展

会期:2012/05/19~2012/07/08

東京都現代美術館[東京都]

日本で初めて催されたトーマス・デマンドの展覧会。紙で構築した対象を撮影した写真作品をはじめ、同じ要領で制作されたストップモーション・アニメーションもあわせて16点が展示された。福島第一原発の管制室やアメリカ大統領執務室など、社会性と政治性が強いモチーフを選ぶことによって同時代的なリアリティを、紙の平面性を徹底することによって現代社会におけるフラットなリアリティを、それぞれ巧みに取り入れていることがよくわかる。それらのイメージが写真によって伝達されるという点も、今日的な状況と密接に関わっているのだろう。ただ、ひとたびそうした作品の構造を発見してしまうと、そこから先へ想像力が広がっていかないところに、デマンドの作品の弱さがある。作品数が増えるにしたがって作品への視線が薄弱にならざるをえないといってもいい。いっそのこと、撮影の済んだ紙工作を一気に燃やしてしまえば、私たちの視線をもっと熱くすることができたのではないか。

2012/07/08(日)(福住廉)

artscapeレビュー /relation/e_00017166.json s 10041040

2012年08月01日号の
artscapeレビュー