2022年10月01日号
次回10月17日更新予定

artscapeレビュー

2013年06月01日号のレビュー/プレビュー

吉本直子─silent voices─

会期:2013/05/10~2013/05/31

Yoshiaki Inoue Gallery[大阪府]

古着のシャツを圧縮し、糊で固めてオブジェ化する吉本直子。作品には無数のシャツが用いられているが、その一つひとつに元の所有者の時間や記憶、痕跡が染みついているわけで、そう考えると少々恐ろしくもある。本展では2フロアで作品を展示。下階では棺のようなオブジェと、本を模し聖書の一説を記した小品が展示され、上階ではレンガ状に加工したピースを壁3面に積み上げたインスタレーションと本の小品を見ることができた。どちらも空気がピンと張りつめた静謐な空間をつくり上げており、作家の力量を改めて体感することができた。

2013/05/11(土)(小吹隆文)

山口晃 展

会期:2013/04/20~2013/05/19

横浜そごう美術館[神奈川県]

2010年、ミヅマアートギャラリーでの個展「いのち丸」について、山口晃は「現代アート」という束縛から抜け出て、正面切って「マンガ」を描くべきではないかと書いた。その評価は、いまも変わらない。いや、本展を見て、ますますその思いを強くした。
本展は、山口晃の代表作を網羅したうえで、最新作も発表した個展。さらに、本展のなかで「山愚痴屋澱エンナーレ2013」を開催した。山口の代表作が立ち並んだ展観は確かに壮観だ。昨年、メゾンエルメス8階フォーラムでの個展「望郷 TOKIORE(I)MIX」で、未完成のまま発表された巨大な襖絵《TOKIO山水》が加筆されたうえで展示されるなど、見どころも多い。
しかし、「澱エンナーレ」はまったくもって理解に苦しむ。これは、現代アートの国際展に対するアイロニー以外の何物でもないが、ここで展示された現代アートの作法や文法をネタにした数々の作品は、いずれも中途半端なものばかりだ。それゆえ、あの手この手を尽くしてアイロニーを連発すればするほど、空回りするそれらを見るのが耐えがたくなる。あるいは、その生半可さをもって、映像であろうと平面であろうとコンセプトを求める現代アートに対して痛烈な皮肉を放っているのかもしれない。だが、同じくアイロニーのアーティストである会田誠と比べてみれば、その鋭さに限っては明らかに会田に分があると言わねばなるまい。
その後、展覧会の後半には山口が手がけた挿絵のシリーズが展示されていた。五木寛之の『親鸞』やドナルド・キーンの『私と20世紀のクロニクル』へ提供した挿絵は、いずれも挿絵であるがゆえにサイズは小さいが、一枚ごとに、いや、一枚のなかですら、いくつかの描写法を投入しており、非常に見応えがあった。線と色彩、そして文字が、これ以上ないほど絶妙に調和している様子が美しい。たとえ挿絵の母胎である物語の詳細が示されていなくても、挿絵そのもので鑑賞者の視線をこれほど楽しませることができたのは、やはり山口晃の手腕によるのだろう。最後の最後で、山口の画力を改めて存分に味わうことができたので、胸をなでおろした来場者は多かったのではないか。
だとすれば、この展覧会のなかで感じた興奮と興醒めの振り幅ですら、もしかしたら山口晃によって仕掛けられた展示の抑揚ではないかと思えなくもない。しかし、仮にそうだとしても、その芸の賞味期限が迫っていることも事実である。アイロニーであろうと何だろうと、芸の手の内が詳らかにされた瞬間、マンネリズムが始まるからだ。あるいは、現代アートに向けられたアイロニーという手法自体が、とりわけ3.11以後の社会状況においては、現代アートの非社会性を上塗りしかねないと言ってもいい。あの震災は、社会的現実のなかに表現すべき主題があふれていることを私たちに改めて確認させた。そうしたなか、現代アートに安住しながら現代アートに皮肉を飛ばすことにどれだけのリアリティがあるのか、疑問に思わない方が不思議である。

2013/05/13(月)(福住廉)

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オオサカがとんがっていた時代──戦後大阪の前衛美術 焼け跡から万博前夜まで

会期:2013/04/27~2013/07/06

大阪大学総合学術博物館[大阪府]

「大阪」に照明を当てた展覧会の第二弾がこれである。戦後復興期から大阪万博に至る、50~60年代の大阪の前衛芸術の諸相を紹介している。小規模ながらも、出展作は充実している。具体美術協会の作品・資料はもちろんのこと、彼らの活動──大阪・中之島に開設した展示施設グタイピナコテカ──にゆかりのある海外作家たち、サム・フランシスやポール・ジェンキンス、フランコ・アッセット、ルーチョ・フォンタナなどの作品を含んでいる。さらに、パンリアル美術協会、デモクラート美術家協会(早川良雄のポスター)、生活美術連盟など、戦後大阪のアヴァンギャルド芸術作品の様相を見ることもできるし、建築の分野からは村野籐吾の新歌舞伎座の図面などが出展されてもいる。1970年、グタイピナコテカは閉館を余儀なくされ、最終展を迎える。大阪万博は同年に開催されるが、会場の最後には、横尾忠則の「EXPO’70せんい館」ポスターが展示され、まさに「オオサカがとんがっていた時代」の雰囲気を肌で感じることのできる展覧会である。[竹内有子]

2013/05/14(火)(SYNK)

高田冬彦「メメント・モリ──愛と死を見つめて」

会期:2013/05/23~2013/05/24

白金アートコンプレックス[東京都]

白金のビルに集合したギャラリーが、5周年を祝し杉本博司のキュレーションで合同展を行なった。ぼくはここで、以前にもartscapeで論評したことのある若い作家の作品を一点だけ取り上げることにしたい。ブリトニー・スピアーズになりきったり、食虫植物に変身したりと、これまでの高田冬彦の映像作品は、たいてい、高田本人が出演することで観客を挑発し戸惑わせてきた。しかし、本作《LOVE EXERCISE》はそこがちょっと違う。動画の画面には全裸に近い女が一人(しばらくすると女の務めた仕事を男が行なう)。女の体には掌ほどの大きさのお面があちこちに貼りついていて、男も女もいるのだけれど、その表情はどれも口を尖らせて恍惚としている。そこにおもちゃのような天使が現われ、「ここの子と、ここの子にチューさせて……ああもういいや、今度はこっちの子とあの子……」などといった気まぐれな指令を裸の女に与える。たとえば、胸の脇に着けたお面と太もものあたりに着けたお面をキスさせるとなると女はたいへんだ。スパルタのインストラクターにこらしめられているみたいに、苦しそうにしながら、女は体を丸めて面と面(口と口)を必死に合わせようする。無理難題をもちかける意地悪な天使によって、口を尖らせた男女が、もがく女の体の上でキスを試みる。ペアは男女とは限らない。男男も女女も女男女もある。この天使まかせの乱交的状態に眩暈のようなものを感じてくらくらしつつも、恍惚感が溢れてきて見ることがやめられない。これは愛をめぐる天使と恋人たちの物語であり、同時に天使と天使に指令される裸の女(男)とのSM的物語である。この二つの物語が二つの歯車となり、かみ合い、進む。愛というものの姿がこれほど赤裸々に語られていいのか、そう思うほど見る者の心と肉体を強く刺激してくる。高田の作品の特異性は人間を見つめるその眼差しの力にある。美しく価値ある人間のみならず、自己中心的で、露出症的で、ときに愚かときにずるい、自らの欲望に忠実な人間。この大衆的で俗悪な人間というものの実相に、高田はさらに一歩迫ってみせた。

2013/05/15(水)(木村覚)

暮らしと美術と高島屋──世田美が、百貨店のフタを開けてみた。

会期:2013/04/20~2013/06/23

世田谷美術館[東京都]

世田谷美術館は2007年に「福原信三と美術と資生堂」と題して、企業と美術をテーマにした展覧会を開催している。「暮らしと美術と高島屋」展はその第2弾にあたる企画である。化粧品の資生堂と百貨店の高島屋とでは取り扱う商品やビジネスの性格が異なるが、両者に共通する部分もある。それは、社会のなかで企業の文化が育ち、そしてその企業自体が文化を発信し、社会に大きな影響を与えてきたことである。もうひとつ両社に共通しているのは、ともに自社の歴史的資産を大切に守り、それを一般に公開してきたことにあろう。資生堂は静岡に「資生堂企業資料館」を開設している。高島屋は大阪に「高島屋史料館」を持っている。本展でも映像での出品も含めると750点にも上る出展品の大部分が高島屋史料館の所蔵品である。
 展示は四つの章から構成されている。第1章「美術との出会い」は、万博との関わりを軸に、高島屋と作家たちとのつながりに焦点を当てたもの。呉服商として創業した高島屋は明治21(1888)年にはスペイン・バルセロナ博覧会に出品している。博覧会への出品と受賞を高島屋は広告宣伝の手段として重視していたという。ここではさまざまな博覧会に出品された織物の下絵や、賞状、広告のほか、明治44(1911)年に設置された美術部が扱ってきた画家たちの作品が展示されている。第2章「暮らしとの出会い」では、百貨店の建築や装飾、ウィンドウディスプレイ、広告ポスター、出版物など百貨店と大衆との関わりが紹介されている。第3章「継承と創生の出会い」では、名匠が染織の技を競い合う「上品会」、モダンなデザインを生み出した「百選会」の作品が紹介され、呉服商をルーツとする百貨店が、商品を販売するばかりではなく伝統的な技術の保存と継承、そして新しい柄の創出にも力を注いでいることが示されている。第4章「明日との出会い」は、鈴木弘治氏(現・高島屋取締役社長)と辻井喬氏(セゾン文化財団理事長)との百貨店文化についての対談映像である。
 「百貨」の名が示すとおり、本展示の内容は多岐にわたるが、百貨店としての高島屋が、呉服と美術、博覧会や催事、広告宣伝の発達と複雑に絡み合って形成されてきたことがよくわかる。織物の下絵の制作は、美術家たちとの繋がりを形成する。明治42年の「現代名家百幅画会」の開催は美術部の設置につながる一方で、染織品の意匠にも影響を与えた。すなわち、呉服部門にせよ美術部門にせよ、つくり手/売り手といった独立した存在ではなく、染織家、画家、百貨店は互いにビジネスパートナーといえるような関係にあった。また、店内で開催される美術展・博覧会は独立したイベントではなく集客のための装置でもあった。百貨店を訪れた人々はモダンな建物の中で新しい美術、新しい文化に触れ、レストランで食事をし、当時は珍しかったエスカレーターやエレベーターに乗る。百貨店が「文化装置」といわれるのは、ものを売るだけではなく、人々に新しい体験を提供する場でもあったからにほかならない。創業180周年を迎えた高島屋を取り上げた本展は、ひとつの百貨店の企業史であるばかりでなく、日本の美術、文化形成の歴史的証言でもある。[新川徳彦]

2013/05/15(金)(SYNK)

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2013年06月01日号の
artscapeレビュー

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