artscapeレビュー

2014年07月15日号のレビュー/プレビュー

木梨憲武×20years

会期:2014/05/20~2014/06/08

上野の森美術館[東京都]

美術館前は長蛇の列だったが、たまたま招待券を持ってたんでスルーパス。館内もすごく混んでいて、VOCA展のオープニングの10倍はいたかな。平日の午後なのに、しかも芸術家ではなく芸人の個展なのに。いや芸人の個展だから混んでたんですね。でも思ったより悪い展覧会ではなかった。作品は絵画が中心で、樹木や植物から派生した抽象パターン、アルファベット、天体らしきもの、各地を訪れたときのスケッチ、絵具チューブを集積した立体、デザイナーとコラボレーションしたCGなど多彩だ。描きたいものを自由に描く──言うはやさしいが、描いてるうちによく見られたい、高く評価されたいと思い始め、妙に技巧に走ったり、二科展に出したりするのが芸能人の陥りやすい落とし穴だ。ちやほやされてついその気になり、みずからハードルを上げてしまい、自由に描けなくなる。こういうのを本末転倒という。もちろん木梨もただ無邪気に描いてるわけでなく、見る人の反応は考えているだろうけど、初期の「描く喜び」を忘れていないことは作品から伝わってくる。なによりウザい上昇志向や勘違いがなく、「これでいいのだ」と納得しているところが清々しい。

2014/06/04(水)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00025766.json s 10101117

小原真史・野部博子編『増山たづ子 すべて写真になる日まで』

発行所:IZU PHOTO MUSEUM

発行日:2014年5月9日

2013年10月にスタートし、2014年7月27日まで延長が決まったIZU PHOTO MUSEUMの「増山たづ子 すべて写真になる日まで」展は、じわじわと多くの観客の心を捉えつつある。巨大ダムの建設によって水底に沈んだ岐阜県徳山村で、1977年から10万カットに及ぶという膨大な記録写真を残した増山たづ子の仕事は、写真の撮影と受容の最もベーシックで普遍的なあり方を指し示しているように思えるのだ。
その展覧会のカタログを兼ねた写真集が、ようやくIZU PHOTO MUSEUMから刊行された。2006年に亡くなった増山は、生前に『故郷─私の徳山村写真日記』(じゃこめてい出版、1983年)をはじめとして、4冊の写真文集を刊行している。だが、今回の小原真史・野部博子編の写真集は、その仕事の全般に丁寧に目配りしているとともに、資料・年譜なども充実した決定版といえる。ページをめくっていると、「徳山村のカメラばあちゃん」の行動が巻き起こした波紋が、多くの人たちを巻き込みながら、さまざまな形で広がっていく様子が浮かびあがってくる。
巻末におさめられた「増山たづ子の遺志を継ぐ館」代表の野部博子の文章を読んで、増山の写真の強力な喚起力、伝達力の秘密の一端が見えた気がした。増山は写真を撮り続けながら、昔話の語り部としても抜群の記憶力と表現力を発揮していた。彼女が語る昔話の特徴の一つは「固有名詞が挿入されること」だという。普通は特定の場所、時間、名前抜きで語られることが多いにもかかわらず、彼女の話は「身近な所の話として語りはじめ、さらに地名、人名を入れて語っている」のだ。これはまさに増山の写真とも共通しているのではないだろうか。徳山村の顔見知りの人たち、見慣れた風景、毎年繰り返される行事に倦むことなくカメラを向けることによって、彼女はそこに起った出来事すべてを、「固有名詞」化して記憶し続けようとしたのだ。

2014/06/06(金)(飯沢耕太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00023469.json s 10100618

Art Meats 01 津上みゆき/狩野哲郎

会期:2014/03/08~2014/06/10

アーツ前橋 ギャラリー1[群馬県]

昨秋オープンしたアーツ前橋を初訪問。地域ゆかりの作家のコレクションもあるレッキとした美術館ではあるけれど、基本方針に「クリエイティヴ(創造的であること)」「シェア(みんなで共有すること)」「ダイアログ(対話的であること)」を掲げ、企画展を軸に地域アートプロジェクトも推進していく開かれた姿勢は、むしろオルタナティヴスペースに近い。市の中心街に位置する建築も開放的で、通りに面した1階はガラス張り。展示室は1階にギャラリー1があり、階段で地下へ降りて長いギャラリーをぐるっと1周するプランだが、ギャラリーを仕切る壁にところどころ窓がうがたれてるせいもあり、なんとなく路地を遊歩するイメージだ。その1階のギャラリー1でやっていたのが津上と狩野の2人展。津上は正方形のS50号を3点に、幅3メートルを超すP500号1点の出品。「風景画」だというが、原色のせめぎあう画面はいわゆる抽象画で、とりわけ500号の大作は見ごたえがあり、誤解を恐れずに言えば「古きよき抽象画」の趣。一方、狩野は陶の皿やガラス器など回転対称の什器に、柑橘類やゴムボールなどを組み合わせたインスタレーションで、津上とはまったく別の世界を築き上げている。なぜこのふたりの組み合わせなんだろう。

2014/06/06(金)(村田真)

artscapeレビュー /relation/e_00025365.json s 10101118

白川昌生 ダダ、ダダ、ダ──地域に生きる想像☆の力

会期:2014/03/15~2014/06/15

アーツ前橋[群馬県]

群馬在住の異才アーティスト、白川の初の大規模な個展。白川昌生(芳夫)というと、70年代にフランスとドイツに留学して「日本のダダ」を研究し、帰国後は赤城山麓に引っ込んで制作と著述に専念してきたことくらいは知っているけど、作品の全容を見る機会はなかった。今回は、ヨーロッパ滞在中に記したコンセプトノートから、「日本のダダ」の関連資料、ちょっと構成主義的な立体、地元の祭りのために制作した木馬、スノボを用いたインスタレーション、若いアーティストたちとのコラボレーションまで並んでいて、とても刺激的。展覧会の終盤で唐突に岡本太郎を思い出した。太郎も白川も若いころヨーロッパで苦学し、帰国後ほとんど孤軍奮闘した点で重なるけれど、ぼくが太郎を思い出したのはそんな理由ではなく、白川が60歳近くになってスノーボードを始め、スノボを使った作品までつくっているからだ。太郎も中年をすぎてからスキーを始め、メキメキと上達して玄人はだしの腕前を見せ、スキーに関する著書も残している。ふたりともスキー(スノボ)が好きーって話ではなく、アートとは一見なんの関係もない「雪遊び」にハマった好奇心のありようが共通していると思ったのだ。

2014/06/06(金)(村田真)

荒木経惟「左眼ノ恋」

会期:2014/05/25~2014/06/21

Taka Ishii Gallery[東京都]

一時、体調が悪くなり、作家活動が続けられるかどうか危ぶまれた荒木経惟だが、予想していた通りしぶとく復活してきた。74歳の誕生日にスタートした今回の「左眼ノ恋」展でも、さまざまな工夫を凝らして健在ぶりを強く印象づけている。
「左眼ノ恋」の英語タイトルは「Love on the Left Eye」。これはむろん、オランダのエド・ファン・デル・エルスケンの名作写真集『Love on the Left Bank(セーヌ左岸の恋)』(1956年)のもじりである。荒木は昨年10月に、網膜中心動脈閉塞症という病で右眼の視力を失った。そんな非常事態すらも、作家活動に取り込んでしまうのが荒木の真骨頂で、今回の作品ではカラーフィルムの右半分を黒マジックで塗りつぶして、「左眼ノ恋」と洒落のめして見せたのだ。本来はおさまりのいい構図だったはずの「恋人(こいじん)」のKaoriのヌードや街の情景、カメラを構えるセルフポートレートなどが、黒のパートに侵食されることで、不安定な揺らぎを抱え込むことになる。さらに黒塗りの一部にひび割れが生じたり、塗り残されていたりして、画像の一部がちらちらと見える。想像力を喚起するそのあたりの効果も計算済みということだろう。
今年は豊田市美術館の「往生写集──顔・空景・道」をはじめとして、国内外の数カ所で新作の展示が予定されている。いかにも荒木らしい実験意欲が、まったく衰えていないことがよくわかった。

2014/06/07(土)(飯沢耕太郎)

2014年07月15日号の
artscapeレビュー