2020年10月15日号
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artscapeレビュー

2015年06月15日号のレビュー/プレビュー

赤瀬川原平の芸術原論展 1960年代から現在まで

会期:2015/03/21~2015/05/31

広島市現代美術館[広島県]

広島市現代美術館へ。ヒロシマ賞の選考委員会の後、「赤瀬川原平の芸術原論」展を見る。ハイレッド・センターの活動、千円札事件、作家としての活躍はよく知られているが、それ以外についても、彼が「原平」となる以前の作品、漫画や表紙の仕事、収集癖、美学校におけるユニークな課題、ベタな風景画、ライカ同盟などの内容も、豊富な資料を使い、多面的に触れて、そのマルチタレントぶりを振り返る。当時の社会や政治に対する批評的な態度も興味深いが、いま彼のような活動は可能なのかと考えさせられる。

2015/05/17(日)(五十嵐太郎)

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奈良原一高「Japanesque 禅」

会期:2015/05/11~2015/07/04

フォト・ギャラリー・インターナショナル[東京都]

奈良原一高の「JAPANESQUE(ジャパネスク)」は、彼の作品の中でもやや特異なシリーズといえるだろう。1966年に『カメラ毎日』に連載され、1970年に田中一光のデザインによる同名の写真集(毎日新聞社刊)にまとめられたこのシリーズは、「富士」「刀」「能」「禅」「色」「角力」「連」「封」の8章によって構成されていた。日本の伝統文化が被写体であることは、章のタイトルを見ればすぐわかる。だが、単純な「日本回帰」の産物というわけではない。奈良原はこの作品を発表する前の1962~65年に、パリを中心にヨーロッパに滞在していた。つまり「JAPANESQUE 」は、堅固に打ち固められた石造りの建物に代表されるヨーロッパの文化・風土にどっぷりと浸かって帰ってきた彼が、そのフィルターを通して再構築しようとした「日本」イメージの集積だったのだ。写真集『JAPANESQUE』所載のエッセイ「近くて遥かな国への旅」では「ヨーロッパを訪れて、僕ははじめて日本という国に出会ったのである」と書いている。
それは、今回フォト・ギャラリー・インターナショナルで展示された、「JAPANESQUE 」の中でも最も印象的な章の一つである「禅」の写真群(22点)を見てもよくわかる。曹洞宗の大本山である鶴見・総持寺での厳しい修行の様子を捉えた本作でも、ドキュメンタリー的な描写のあり方は、ハイコントラスト画像、超広角レンズ、ソラリゼーション、長時間露光などの特殊技法によっていったん解体され、むしろ無国籍的といえるような時空において、幻影とも現実ともつかない「JAPAN」としてふたたび組み上げられているように見える。文字通り、日本の伝統文化の批評的な再解釈であり、このような仕事は、奈良原以前にも以後にもほとんどおこなわれてこなかったのではないだろうか
「JAPANESQUE 」の視点は、いま見ても決して古びてはいない。それどころか、よりグローバルな無国籍化が進行した現在の社会・文化の状況を踏まえた新たな「JAPANESQUE」も、充分に可能なのではないかと思える。

2015/05/20(水)(飯沢耕太郎)

菱沼勇夫「LET ME OUT」

会期:2015/05/20~2015/05/30

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

2015年3月から4月にかけて、TOTEMPOLE PHOTO GALLERYで「彼者誰」、「Kage」の連続展を開催したばかりの菱沼勇夫が、今度はZEN FOTO GALLERYで「LET ME OUT」展を開催した。こちらは2010~13年に撮影・制作された6×6判、カラーのシリーズで、今回はその中から16点をセレクトして展示している。
セルフポートレート及び身近な人物たちと思われるポートレート(ヌードが多い)が中心だが、そこに奇妙なオブジェの写真が混在している。バナナと土器と包丁の組み合わせ、狼、アヒル、鴉などの剥製、吊り下げられた馬の首(本物だそうだ)、赤い布に梱包されたマネキン人形などだ。それらの写真が、互いに衝突し合って不協和音を生み出すことで、シリーズ全体に不穏な空気感が漂っている。実家の福島県郡山近辺で撮影された写真が多いようだが、東北地方の冷え冷えとした風土が、作品の背景としてうまく効いていると思う。
とはいえ、まだ彼が何を求め、どんな方向に作品全体を進めようとしているのか、やや断片的過ぎてうまく見えてこないのも確かだ。仮面のようなものを身につけている写真も多いのだが、その意味づけもまだ曖昧な気がする。撮り進めていく中で、衝動や思いつきだけに頼るのではなく、もっと論理的な構築力を発揮できるようになるといいと思う。いいシリーズに成長していく可能性を充分に感じるだけに、あとひと頑張りを期待したい。なお、展覧会にあわせて、ZEN FOTO GALLERYから同名の写真集が刊行されている。

2015/05/20(水)(飯沢耕太郎)

アラヤー・ラートチャムルーンスック展 「NIRANAM 無名のものたち」

会期:2015/05/18~2015/06/14

京都芸術センター[京都府]

タイ出身の映像・写真作家、アラヤー・ラートチャムルーンスックによる日本初個展。昨年の約1ヶ月間、アーティスト・イン・レジデンスで京都に滞在した際に撮影した映像や写真を中心に構成されている。彼女の作品に触れる度に感じるのは、「生と死」「彼岸と此岸」「声と沈黙」といった通常は交わらない2つの領域の間をつなぎ、語りえないことについて語り、声を聴き取ろうとする強い意志である。
片方の展示室では、「誰も招かれない 亡霊だけが集まるオープニング・セレモニー」の記録映像が映される。誰もいない夜のテラスで自作を朗読する詩人・建畠晢の声が、無人の空間に響く。対面には、暗闇の中、元小学校の古びた木造の廊下や階段を亡霊のようにさ迷うラートチャムルーンスックの姿が、気配のように映し出される。重なった薄い布に投影されているため、儚さや幻影感がいっそう強調される。
もう片方の展示室では、京都の特別養護老人ホームで撮影された映像作品が展示。ベッドに横たわり、眠っているのか死んでいるのか定かではないような老人たちの顔の映像が重なり合い、個々の輪郭が曖昧に溶けていく。老人たちは何も語らないが、わずかな息遣いが聞こえるようだ。また、動物愛護センターで保護された捨て犬の毛をガラス瓶に詰め、写真や名前、年齢をラベルに記した標本のようなインスタレーションも展示されている。幾ばくもない命、捨てられた命、この世にはもういない存在たち。並んだガラス瓶の間に、ラートチャムルーンスック自身の髪の毛を詰めた瓶がそっと紛れ込んでいるのを見たとき、冷水を浴びせられたように感じた。死者と生者、動物と人間、過去と未来といった区別が一瞬消え去ったかのような感覚がよぎったからだ。かつて身体の一部だった、残された物質。音のない世界。死者の声は聞こえないが、確かにそこに存在する。みずからの身をあちら側に置き、死した者たちの沈黙の声を聞き取ろうとするラートチャムルーンスック自身の態度表明のように思えた作品だった。

2015/05/22(金)(高嶋慈)

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試写「未来をなぞる──写真家・畠山直哉」

ぼくが最初に見た畠山の作品は、たしかビルが建ち並ぶ都市の遠景だった。それ以来彼は、コンクリートに囲まれた川、石灰工場、石灰石の鉱山、発破の瞬間と徐々に源流に遡っていく旅を続けてきた気がする。3.11の大震災後、被災した故郷を撮り始めたとき、旅を中断したのかと思ったけど、この映画を見たら、流された実家の基礎のコンクリート部分だけがしっかり残っていて、中断どころか同じ旅の延長線上にあることがわかった。想像以上に大きな川だったのだ。あと印象に残ったのは、ときどき掃除する姿が映ったこと、いまだフィルムしか使わないこと。写真家の鑑ですね。監督の畠山容平は親族かと思ったが、たまたま名字が同じの先生と生徒の関係だそうだ。

2015/05/22(金)(村田真)

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