artscapeレビュー
2011年02月01日号のレビュー/プレビュー
mariane個展 um beijinho!
会期:2011/01/08~2011/01/16
iTohen[大阪府]
和紙にアクリル絵具で描かれたmarianeの作品。植物と海の軟体生物が融合したような不思議な生命を、細かな線と鮮やかな色彩で表現しており、濃密なエロティシズムを内包しているのが特徴だ。和紙を用い、背景を描かない画風は日本画を思わせるが、実はアクリル絵具でほとんど下書きなしに描かれているのも興味深い。また新作では、ひとつのモチーフを異なる角度から描き分けたり、誕生から朽ちるまでの経過を表現するなど、新たな展開も見られた。以前の個展と比べて伸びが感じられ、作家が充実期に入ったとの思いを強く感じた。
2011/01/12(水)(小吹隆文)
青木千絵 展 URUSHI BODY
会期:2011/01/07~2011/01/28
INAXギャラリー2[東京都]
漆とはかくもエロティックなものだったのか。青木千絵が制作した女性像を目の当たりにすると、伝統工芸としての漆という既成概念がみごとに覆される。漆で制作された女性像は、黒光りした表面と屈折した身体のかたちが女性の滑らかな皮膚感を再現しているようで、艶かしいエロティシズムを感じてならない。かといってすべてを具象的に表現しているわけではなく、上半身を丸く抽象化したり、他の下半身と連結させるなどして、下半身の造形に眼を巧みに誘導するところも、そうしたエロスに拍車をかけていたようだ。内実を欠いた表面の円滑性。スーパーフラットが目指していた理想は、じつは伝統工芸のなかですでに実践されていたのではなかったか。青木千絵の漆は、次の時代を切り開く鍵が、必ずしも新たな表現様式だけに隠されているわけではなく、伝統的な工芸のなかにもひそんでいることを予感させた。
2011/01/13(木)(福住廉)
白石綾子 展
会期:2011/01/07~2011/01/22
Gallery Q[東京都]
顔を伏せたまましゃがみこむ女性の身体。洋服の模様が身体の皮膚にまで及んでいるので、まるで刺青のようにも見えるが、これは模様を描いたのではなく、その模様の生地の上に絵を描いたのだという。昨年、ギャラリー・ショウ・コンテンポラリー・アートで松山賢が同じような絵を発表していたが、白石とはじつに対照的だ。松山が確信犯的に皮膚に背景の模様を描き込み、だからそこには主体としての身体と客体としての背景という関係が一貫していたのに対し、白石の絵には背景の方に身体が溶け込むかのような透明感がある。主体はむしろ背景の模様であり、身体はそこに隷属しているわけだ。この図柄に侵犯される身体という主題が、服飾や美容に翻弄される現代女性の身体観を明示しているのは疑いないが、同時に色やかたちを反復する「芸術的なもの」が顔に象徴される個性を抹消するほどのさばっている現代社会も暗示しているように思えた。
2011/01/13(木)(福住廉)
地下鉄におけるパブリックアートの変遷
会期:2010/11/23~2011/01/16
地下鉄博物館[東京都]
東京の都市生活者にとって地下鉄は必要不可欠な移動手段。その交通網の結節点である駅にはしばしばパブリックアートが設置されているが、本展はその歴史的成り立ちと現在の分布図をまとめた展覧会。パネル展示はいかにも味気なかったけれど、それでも粘り強く見ていくと、1961年に新宿駅のプロムナードに設置された《協力の像》を皮切りに、続々とアート作品が地下鉄の駅に広がっていく様子がわかる。さらに、パブリックアートの全体がそうであるように、地下鉄のパブリックアートもまた、平和や環境といったイデオロギーに奉仕するものとして期待され、実際そのように解釈しうる作品が数多いこともよくわかる。「ほっと一息」「ほんのり和み」「ゆとりや潤い」の気持ちを感じることが求められているわけだ。これがじつに狭小な芸術観の現われであることは言うまでもないが、だとしても不思議なのは、なぜ千住博や山口晃が採用されながら、佐藤修悦や淺井裕介が入っていないのかということだ。佐藤修悦が全面的にプロデュースした駅であれば、鉄道の駅に期待されている役割を一挙に満たすことができるはずだし、じっさいに乗降客の荒んだ気持ちを少なからず和らげることもできるだろう。
2011/01/13(木)(福住廉)
ルーシー・リー展
会期:2010/12/11~2011/02/13
大阪市立東洋陶磁美術館[大阪府]
一気に春が来たようで、心が躍った。陶芸家ルーシー・リー没後初めての本格的な回顧展。ウィーン時代の初期から、ロンドンに渡って以後──形成期・円熟期──の作品まで、約200点の作品が展示され、見応え充分。柔らかく明るいピンクにレモン・イエロー、爽やかなブルーがとりわけ目を引く。フリーハンドによる温かみのある線、ストライプや格子柄の文様はどれもすがすがしい。その端正なうつわの佇まいには、しかし、歪みのあるフォルムや釉薬の滲み・変調など、どこか揺らぎの要素があって、それが私たちの諸感覚をいっせいに刺激する。傾いだ部分や熔岩釉のようなでこぼこした表面には、つい触れてみたくなるし、彼女のうつわにはなにを盛ったら美味しそうか、とまで想像してしまう。初期から後年にかけての作品を順に見続けていくと、彼女の造形の根底にある宇宙観のようなものを、うつわの総体に感じた。それはひとつには、轆轤を使って彼女の手が「つくる」反復的行為から生まれる、永遠的なるものの表出であるかもしれない。だがもうひとつ、図録の出川哲朗氏の論文「ルーシー・リーの現代性」が、その謎を解く鍵を与えてくれる。リーと物理学との関係性がそれだ。なお、本展の図録はその内容に加えて、とても素敵な製本になっているのでお薦めしたい。見返しのうつわの色とリンクする、花布・栞のピンク色を見たとき、「やられた!」。[竹内有子]
2011/01/13(木)(SYNK)