artscapeレビュー
チョイ・カファイ「ソフトマシーン:スルジット&リアント」
2016年04月15日号
会期:2016/03/11~2016/03/13
京都芸術センター 講堂[京都府]
「KYOTO EXPERIMENT 2016 SPRING」公式プログラム観劇3本目。
ベルリン在住のシンガポール人アーティスト、チョイ・カファイは、同時代のアジア諸国のダンサー・振付家へのインタビューを通して、アジアにおけるコンテンポラリー・ダンスについてリサーチするプロジェクト「ソフトマシーン」を継続的に展開している。2012年より開始されたこのリサーチ・プロジェクトでは、これまでに88人のダンサーや振付家、キュレーターへのインタビューが行なわれ、ビデオ・アーカイブを構築している。二本立て公演である本作も、このリサーチ・プロジェクトの一環として上演された。二本とも、出演者のダンサーとともにカファイ自身も舞台に上がり、ダンサーへのインタビューや記録映像を交えた、半ばドキュメンタリー、半ばレクチャー形式の上演であった。
まず、一本目の「ソフトマシーン:スルジット・ノングメイカパム」では、種々のインド伝統舞踊や武道を習得したインド出身の若手コンテンポラリー・ダンサーである、スルジット・ノングメイカパムが召喚される。この作品は、「ヨーロッパで上演するために、カファイとスルジットが一緒につくっている途中のダンス作品」のワーキングプロセスを実際に実演する、というものだ。カファイはスルジットに、これまで経験したさまざまな種類のダンスをやってみせるよう、指示を出す。スルジット自身の振付によるコンテンポラリー・ダンス作品の一部、インドの複数の地域の伝統舞踊、武道の動き。そこへ、「インドの古典舞踊とコンテンポラリーを融合させた」として世界的な評価を得る振付家やカンパニーの特徴的な動きや、インド製ミュージカル映画・ボリウッドのダンスまでが投入される(「グローバル市場での成功例」として)。
複数の文脈のダンスを(脈絡なく)接合させ、「それじゃあヨーロッパの観客には分からないよ」と何度もダメ出しを入れるカファイ。そのやり取りはギャグすれすれで、どこまで本気か分からない。むしろ浮かび上がるのは、カファイからスルジットへの、すなわち振付家からダンサーに対して一方的に行使される権力関係である。だがそれはいったい、誰の欲望なのだろうか? おそらくそこには、(名前と風貌から察するに中華系で)シンガポール出身、現在はドイツ在住のカファイ自身の立ち位置も影を落としている。「アジアのダンス」という欧米のマーケットや観客の期待に応えながら、自身の位置を思弁的に相対化すること。したがってカファイの試みは、スルジットという器に内包された複数の身体的記憶を開示しながら、自己言及的なメタダンスにならざるをえない。カファイの狙いは、「作品の完成そのもの」よりも、2人のやり取りを通して浮かび上がる、アジアにおけるコンテンポラリー・ダンスを取り巻く諸問題─伝統舞踊とコンテンポラリー、近代的国民国家に内包された多様な地域性、欧米と非欧米の非対称性、芸術的戦略とエキゾチシズム、グローバルなアート市場、といった問題を照射することにある。
一方、二本目の「ソフトマシーン:リアント」では、ジャワの伝統舞踊をマスターしたインドネシア出身のダンサー、リアントが召喚される。冒頭、ゆったりとした音楽に合わせ、美しい衣装をまとい、優美で官能的な仮面舞踊を披露するリアント。舞踊が終わって仮面を取り、自分のダンス経歴について語りながら、化粧を落とし、女性の伝統衣装を脱いで普段着に着替えると、見知らぬ青年が現われた。「2003年に東京に移住し、ジャワの古典舞踊のカンパニーをつくった。でも今は、コンテンポラリー・ダンスもやっている。2つは全く違う考え方や踊り方だから、両者の間について探り始めた」と言うリアント。そして彼が、「私にとって、コンテンポラリー・ダンスにはジェンダーは存在しない」と言うとき、彼自身のプライベートな問題が、ジェンダーと古典舞踊、ジェンダーと文化、そしてコンテンポラリー・ダンスはそれらを相対化しえるのかという、より大きな枠組みへと接続される。「仮面」を取り、「化粧」を落とし、「着替え」を観客の目の前で行なうという演出も、表層から次第にリアント自身に迫っていく仕掛けとして効果的に機能していた。中盤に流れたドキュメンタリー映像では、ジャワ古典舞踊の教室での稽古風景や発表会の様子に加えて、息抜きに新宿のゲイサウナに通っていることが映し出される。
そして圧巻の終盤。暗転と立ち込めるスモーク。何も見えないくらいの暗闇の中から、蠢く黒い物体がおぼろげに姿を現わし始めた。真っすぐに浮き上がった背骨、肩、水平に伸びた両腕。それが、何も身にまとわずに立つリアントの後ろ姿だと了解するのに、少し時間がかかった。
目の前で、黒光りする肩甲骨が、見たことのない生き物のように動いている。磔刑像を裏側から見ているようなポーズ。両腕の先が、S字形を描いて緩やかにくねり始める。ブレもたじろぎもしない体幹の強靭さと、優美に艶かしく動く繊細な手首と指先。ひとつの身体の中に、男性性と女性性、鋼鉄のような強さとしなやかな流動性が同居する。リアントという身体と思考が圧倒的な強度で凝縮された、永遠のように長い瞬間だった。
2016/03/12(土)(高嶋慈)