2024年03月01日号
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artscapeレビュー

PATinKyoto 第2回京都版画トリエンナーレ2016

2016年04月15日号

会期:2016/03/06~2016/04/01

京都市美術館[京都府]

2回目を迎える「京都版画トリエンナーレ」。本展の特徴は、コミッショナー20名の推薦方式による若手~中堅作家の積極的な紹介と、「版」概念の拡張にある。
また、狭義の「版画」の枠組みにおいて制作する作家においても、メディウムそのものを問い直す実験性が見られる。例えば、小野耕石は、インクの色を変えて100層以上もシルクスクリーンの版を刷り重ねることで、極小の突起に覆われた表面が、見る角度により玉虫色に生成変化する作品をつくり出す。《Hundred Layers of Colors》と題されたそれは、「インクの物質的な層の堆積」というメディウムの原理を露呈しつつ、光の反射や視点の移動によって、物理的には単一の表面を、現象的な現れの空間として、複数性へと開いていく。また、金光男は、白く不透明な蝋を支持体として、その上に写真を転写し、熱を加えることで、溶けた蝋の上でインクが流動化し、波打つように崩壊したイメージをつくり出す。凝固と流動性のはざまを漂う不穏な緊張感とともに、インクの物質的な層が剥離し、ただれた表面が浮き上がったような錯視を生み出している。そうした錯視効果を出現させるため、「金網のフェンス」「波」「カーペット」など、単位の反復性から構成される被写体を用いているのが特徴だ。さらに、手描きのモチーフではなく写真画像を用いる金の作品は、写真という複製物・「版」性とシルクスクリーンという「版画」技法を組み合わせたハイブリッドな表現でもある。
一方、写真や映像を用いて、間接性と反復性(複製性)という点から、「版」概念へと言及しているのが、山下拓也と林勇気である。山下拓也は、野球チームやオリンピック、万国博のマスコットとして、かつては人気者だったが今は忘れ去られたキャラクターたちを大量に複製し、過剰に増殖させたインスタレーションをつくり出す。どぎつくポップな色彩で彩られ、ペラペラの紙で複製されて「薄さ」を強調されたそれらは、二頭身のキャラクターに内在する「不気味さ」を剥き出しにし、イメージの大量生産と消費が夥しい「亡霊」を生み出していることを突きつける。また、林勇気は、パソコンのハードディスクやネット上に大量に蓄積された写真画像を用いて、1コマずつ切り貼りして緻密に合成し、アニメーションを制作している映像作家である。出品作《すべての終りに》は、これまでにない暴力性を感じさせるものであった。食べ物、車、植物、ペットボトル、家電製品などの夥しい画像が、視認不可能なほどの高速で接合され、伸縮自在に変形し、輪郭が溶解し、暴力的なまでに切り刻まれ、遂には渦まく砂嵐となって画面を覆う。そして、画像の断片が星くずのように瞬きながら暗闇に散らばって集合離散を繰り返すラストは、消滅か、新たな再生の予兆か。夥しい量の画像が、ネットの共有空間上でコピー・複製され、共有され、拡散するとともに撹拌・かき混ぜられてキメラ化し、瞬く間に消費されて消滅していく。その美しくも暴力的な様相を、宇宙の生成と消滅を思わせる映像として可視化していた。

2016/03/19(土)(高嶋慈)

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