2018年04月15日号
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artscapeレビュー

「屋須弘平 グアテマラ140年のロマン」

2016年04月15日号

会期:2016/01/23~2016/03/27

あーすぷらざ3階企画展示室[神奈川県]

屋須弘平(1846~1917)は現在の岩手県一関市藤沢町の蘭方医の家に生まれ、17歳で江戸に出て医学、フランス語、スペイン語などを学ぶ。1874年に金星の太陽面通過を観測するために来日したメキシコ調査隊の通訳となり、75年にメキシコに渡った。76年にグアテマラに移り、80年にグアテマラ市で写真館を開業、以後一時帰国を挟んで、1917年に亡くなるまでグアテマラ市と古都 アンティグアで「日本人写真師」として活動した。
1985年、グアテマラに長期滞在していた写真家、羽幹昌弘が「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」(東京デザイナーズスペースフォトギャラリー)と題する写真展を開催した。数年前に再発見された屋須のネガからプリントしたアンティグアの風景・建築写真と、羽幹が1980年代に同じ場所を同じアングルから撮影した写真群を並置した写真展だった。僕はたまたまその展覧会を見て、屋須の写真家としての能力の高さに感嘆するとともに、アンティグアの街並が一世紀前とほとんど変わっていないことに驚いた。それをきっかけにして、屋須について調べ始め、当時『芸術新潮』誌に連載していた「フットライト 日本の写真」の原稿を執筆するため、アンティグアを訪ねることができた。その「グアテマラに生きた写真家 屋須弘平」という記事は、のちに『日本写真史を歩く』(新潮社、1992)におさめられることになる。
そういうわけで、屋須弘平の仕事はずっと気になっていたのだが、今回、横浜市栄区のあーすぷらざで、藤沢町に寄贈された屋須の遺品と遺作の回顧展が開催されることになり、久しぶりにその全貌に触れることができた。あらためて、屋須とその養子のホセ・ドミンゴ・ノリエガの写真群はとても面白いと思う。技術力の高さだけでなく、当地のキリスト教文化との密接な関係が、聖職者の肖像写真や教会の建築写真によくあらわれているからだ。また、アンティグアとその周辺の村を撮影したスナップ的な写真群も残っており、少しずつ写真家としての意識が変わりつつあったことが伺える。
今回は、羽幹昌弘の「ある古都の一世紀 アンティグア グァテマラ 1895-1984」に展示されていた写真も出品されており、懐かしさとともに、時を越えて異空間に連れ去られるような彼の写真の力を再確認することができた。来年は、屋須の没後100年にあたり、グアテマラの日本大使館でも記念イベントが予定されているという。さらなる研究の進展が期待できそうだ。

2016/03/06(日)(飯沢耕太郎)

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