artscapeレビュー
山本基 しろきもりへ─現世の杜・常世の杜─
2011年09月01日号
会期:2011/07/30~2012/03/11
箱根彫刻の森美術館[神奈川県]
塩を使う美術家、山本基の個展。塩と岩塩で構成した室内庭園《現世の杜》、塩を固めたブロックを塔のように積み上げた《摩天の杜》、そして青い床一面に塩の線を走らせた《常世の杜》などを展示した。いずれも塩の白い清らかさが美しい。けれども、同じ素材を用いながらも、それぞれの作品の性格がまったく異なっているところがおもしろい。会場で最初に見せられる《現世の庭》は、龍安寺の石庭のような整然とした秩序によって静的な美しさが演出されているが、《常世の杜》には逆に脈動するダイナミズムが満ち溢れている。前者がおもに直線によって「自然の人口化」を試みているとすれば、後者が複雑に絡み合う曲線によって「人間の自然化」を図っているといってもいい。じっさい《常世の杜》は、幾何学的な模様によって迷路を無限に増殖させる、これまでのミニマムな作品とは対照的に、有機的な自然のイメージが強く打ち出されている。塩の線は激しく交差しながら網状に分岐してゆき、それらを目で追っていくと線の速度すら感じられるし、会場内に設けられた展望台に登って全体を見下ろすと、生命力あふれる巨木ないしは肉体に張りめぐらされた血管を連想させる。そのため、その線の一つひとつに人間の営みが託されているように見えるのだ。交差と分岐を繰り返す線の動きは、さまざまな人間関係に翻弄されながら進んでいく人生の軌跡のようだし、つながりそうでつながらない線はやがて誰かに出会う未来を暗示しているようだ。人間と自然を対立的にとらえるのではなく、それぞれを重ね合わせて見ること。まるで「バベルの塔」のように天高くそびえ立ちながらも、廃墟のように崩落した《摩天の杜》が、自然に対する人間の敗北を暗示しているとすれば、《常世の杜》が明示しているのは、自然と人間を同じ次元でとらえる視点である。そこにこそ、震災で自然に圧倒された私たちが、今後進むべき道があるように思えてならない。
2011/08/18(木)(福住廉)