artscapeレビュー
鷹野隆大「それでも、ワールドカップ」
2010年06月15日号
会期:2010/05/03~?
東塔堂[東京都]
展覧会を見て帰ったら、鷹野隆大から以下のメールが来ていた。
「せっかくお越し頂いたのに、鳥カゴのような小部屋の展示ですいません。僕は子供の頃、ミシンの下を囲ってそこで過ごすのが好きだったので(笑)、そのときのことを思い出しながら、この小部屋でくつろいでもらえたらいいなあと思ってあんな風にしてみたのですが、普通は落ち着かないですよね。」
たしかに、美術、建築関係の書籍を主に扱う古書店の一角を、「鳥カゴ」のように囲った小さな部屋に、カラーコピーを綴じ合わせた写真が無造作にピンナップされ、映像作品を流すTVモニターが置かれている展示は、あまり落着きはよくない。また、写真に写っているのは中東やアジアの国を含む世界各地の街頭のスナップで、直接「ワールドカップ」に関係する画像というわけではない。だが、サッカーというゲームが世界中の人々をひとつの地平に結びつけるツールとして機能している以上、どこを撮ってもあぶり出しのように「ワールドカップ的なるもの」が浮かび上がってくるともいえる。そのあたりの政治性を孕んだ構造が、チープなコピーの束から浮かび上がってくるのが逆に面白かった。
映像作品もとても楽しませていただいた。「ある日のワールドカップ」(2005年)という48分25秒のモノクローム作品だが、ワールドカップの最終予選の試合とおぼしき日本対某国の試合を、鷹野が一喜一憂しながら見続けるという構成である。カメラのセッティングの位置の関係で、TVの画面は直接見えないので、観客は鷹野の身振りや視線の動きだけで試合の経過を想像するのだが、これが実に面白い。僕は日本チームの現状にかなりの絶望感を抱いている。鷹野もおそらくそうだろう。そのあたりのファン心理を含めて、観客としてしか試合に関われない者のジレンマが見事に表現されている。あまりにも身につまされ過ぎて、思わず笑ってしまった。
2010/05/05(水)(飯沢耕太郎)