2019年07月15日号
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artscapeレビュー

大駱駝艦『灰の人』

2011年04月01日号

会期:2011/03/17~2011/03/21

世田谷パブリックシアター[東京都]

3.11に未曾有の大地震と大津波が起き、その間、ぼくはほとんど外出せず、家族とシェルターに暮らすかのごとくひっそり生きていた。「計画停電」という名の短時間の停電が関東でもあり、ときには大停電の危険もアナウンスされた。そんな10日が過ぎた。「観劇どころではない」という気分は拭えぬまま、暖房もなく照明も減らされた、寒く暗い電車に乗って三軒茶屋へ。街中で荷物運びをしている人を見るだけで、被災地の映像を連想してしまうメンタリティからすると、震災のメタファーだと思わずにはいられないタイトルの『灰の人』(このタイトルはいうまでもなく震災以前につけられていたものではある)。以上の文章から察してもらえるように、正直ぼくの精神状態は観劇にふさわしいものではなかった。その事実は無視できないとはいえ、ぼくがこれまで見た彼らの公演のなかで、本作は最良の作品に思われた。
なびく髪に赤い火の粉のついた女がマッチを擦り、火を灰の円に落とす。やがて二人の男たちが火箸らしき棒をくわえ、不敵な笑みを見せたかと思うと、2本の箸の先を合わせ、器用に歩いたりする。この者たちは、麿赤兒が演じる男(ときに「翁」に見える)にこの箸を突き刺し、エンディングを引き寄せることになる。この一種の「父殺し」が本作のベースになっていることは、大駱駝艦の師弟関係が背景に透けて見えることも手伝って、説得力がある。と同時に、そうした世代交替劇(?)も含め「自然の摂理」が本作の大きなテーマになっていたことは、彼らの取り組みがスケールの大きいものであることを示していた。「津波」のように巨大な黒い布が人々を覆い尽くすシーンなどは、その一例。自然の過酷さとのコントラストによって、人の身体の美しさが際立つ。とくにキャスターの付いた大きな円卓状のオブジェの内側に、12人ほどのダンサーたちがほぼ全裸の白塗り状態で入り、うごめきながら舞台の上を右に左に進んだシーンは、その美しさと官能性において圧巻だった。大駱駝艦の追求してきた群舞の魅力が、たんに自由に踊るのではなく、オブジェの導入によって、ダンサーの動きに枷がはめられ、それによって、独特のエロティシズムが引き出されていた。さらに人と自然とを、シュルレアリスティックなイメージでつないだのが、火鉢だった。真ん中におかれた火鉢は、ちっぽけな地球に見え、また奇想天外なものたちの詰まった壺のようでもあって、そうしたイメージのダイナミズムもきわめて効果的だった。

2011/03/21(月)(木村覚)

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