artscapeレビュー
アンチクライスト
2011年04月01日号
会期:2011/02/26
ヒューマントラストシネマ有楽町[東京都]
タイトルが示しているように、この映画は天国に昇天する話ではなく、地獄に落ちる話である。登場人物は、セックスに明け暮れている最中に、愛する幼子を事故で失ってしまった夫婦。悔やんでも悔やみきれない悔恨から精神を病んでしまった妻(シャルロット・ゲンズブール)を、精神科医の夫(ウィレム・デフォー)がなんとかして快復させようと孤軍奮闘する物語だ。ハイスピードカメラを多用した映像美と重厚で荘厳な音楽、さらにデヴィッド・リンチを彷彿させる山と森、暗闇といったモチーフが、映画の深度を効果的に深めている。たった2人によって繰り広げられる物語の悲劇的な展開を見ていると、底なしの深い沼に引きずり込まれるような恐怖を覚えるほどだ。とりわけ、映画の随所に仕掛けられた謎めいたメタファーは鑑賞者の眼を幾度もかどわすが、これを真正面から受け止めてしまうと、地獄の底から抜け出せなくなってしまう。なぜなら明快な解答は最初から用意されていないからだ。いったい何を暗示しているのかをつまびらかにすることなく、暗喩や寓意を画面に仕込む手法は、一部の現代アートにも見られる、芸術のもっとも性悪な一面である。見る者をうまい具合に煙に巻くことが、作品に高尚で深遠な価値を与えるといった思い込みは、依然として根強い。こうした地獄のスパイラルを打ち破るには、いくつかの方法が考えられるが、もっとも効果的なのは、それを丸ごと笑い飛ばす身ぶりである。悲劇を喜劇へ、難解な芸術を滑稽な芸術へ読み換えること。ラース・ファン・トリアー監督による本作でいえば、激怒した妻が夫の脚にドリルで穴を穿ち、そこに重たい砥石をネジ付けしてしまうシーンは、格好の手がかりとなるにちがいない。固く締めつけられたナットを外そうとして隠されたスパナを這いつくばって探し出す夫の姿は、涙なくして見ることはできない。おお、なんという悲喜劇!
2011/03/02(水)(福住廉)