artscapeレビュー

2015年12月15日号のレビュー/プレビュー

《フリーウェイパーク》

[アメリカ合衆国、ワシントン]

竣工:1976年

ミノル・ヤマサキは日本人の移民の子であり、シアトルで育ったが、ダウンタウンには2つ作品があり、いずれも四角い箱型のビルをやわらげる曲線的な要素を導入する。ちなみに、彼の代表作、ニューヨークの世界貿易センタービルも、そうした要素をもつ。またローレンス・ハルプリンのコンクリートによるランドスケープ、フリーウェイパークも再訪した。
写真:左上=《レーニアタワー》、右上=《シアトルIBMビル》、下=《フリーウェイパーク》

2015/11/12(木)(五十嵐太郎)

《シアトル美術館》

[アメリカ合衆国、ワシントン]

竣工:1991年

ヴェンチューリらが設計した《シアトル美術館》にて、シンポジウムのメンバーと合流し、案内をしてもらいながら、アートを取り込んだ水辺の再開発計画を見学する。市民にプロジェクトの概要を伝える情報館の存在がよい。続いて、Path with Artというホームレスらの大人を対象にしたアート教育のプログラムを運営する団体を訪問する。アートを通じて、社会に貢献しようというミッションを遂行しており、シンポジウムのテーマと関係ある運動だ。夕方、ワシントン大学のヘンリーアートギャラリーへ。基調講演をする予定の北川フラムが、砂川の米軍基地に反対する運動に参加した過去の逮捕歴を理由に、アメリカ入国が許可されず、まさかの本人不在となった。ビデオメッセージの後、企画者のジャスティンが代わって、越後妻有の芸術祭を紹介する。
写真:左=上から、シアトル美術館、同上、水辺の再開発計画、同上 右=上から、Path with Art、ヘンリーアートギャラリー、同上

2015/11/12(木)(五十嵐太郎)

西野達「写真作品、ほぼ全部見せます」

会期:2015/09/05~2015/10/31

TOLOT/ heuristic SHINONOME[東京都]

すでに会期は終わっていたのだが、そのまま会場に展示されていたので、西野達の写真作品をまとめてみることができた。
シンガポールのマーライオン像やニューヨークのコロンブス像を、ホテルの部屋の中に取り込んだ大規模なインスタレーション作品(《The Merlion Hotel》〔2011〕、《Discovering Columbus》〔2012-13〕)で知られる西野だが、それらのドキュメントとしてだけではなく、写真作品としても高度なレベルに達しているものが、たくさんあることがよくわかった。通行人の頭の上にベッドなどの家具を積み上げた《Life’s little worries in Berlin》(2007)や《Life’s little worries in Osaka》(2011)、豆腐で作った仏陀に醤油を噴水のように振りまく《豆腐の仏陀と醤油の後光──極楽浄土》(2009)など、発想の柔軟さと豊かさ、それを形にしていく手際の鮮やかさを堪能することができた。
1960年、名古屋出身の西野は、武蔵野美術大学大学院修了後、ドイツのミュンスター大学美術アカデミーで学び、現在はドイツを拠点として活動している。いわゆる「彫刻」の枠組みにはおさまりきれない、仮設のインスタレーションが彼の持ち味だが、それには画像として固定することが不可欠の要素となる。その写真撮影のプロセスが洗練されているだけでなく、遊び心にあふれているところがとてもいい。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)

ティム・バーバー「Blues」

会期:2015/10/10~2015/11/14

YUKA TSURUNO GALLERY[東京都]

ティム・バーバーは1979年、カナダ・バンクーバー生まれ。アメリカ・マサチューセッツ州で育ち、現在はニューヨークを拠点として活動している。ライアン・マッギンレーなどとともに、アメリカのニュー・ジェネレーションの写真家として注目されている若手で、繊細でセンスのいいポートレートやスナップをファッション雑誌などにも発表している。
だが、今回東京・東雲のYUKA TSURUNO GALLERYで発表した「Blues」は、これまでの作品とは一線を画するものだ。全作品が19世紀以来使われている古典技法の一つで、青みのある画像がミステリアスな雰囲気を醸し出すサイアノタイプでプリントされているのだ。画像そのものはiPhoneで撮影された軽やかなスナップショットなので、古典技法のテクスチャーとはミスマッチなのだが、逆にそれが面白い効果を生み出している。特にいくつかの作品に写り込んでいる「影」の描写が魅力的だ。「影」を画面に取り込むことは、リー・フリードランダーや森山大道、さらに最近ドキュメンタリー映画『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』が公開されて話題を集めているヴィヴィアン・マイヤーなどもよく試みている。だが、バーバーの「青い影」は、彼らの存在証明として「影」の描写よりもより希薄で、フワフワと空中を漂うような浮遊感がある。彼が今後もサイアノタイプの作品を作り続けるかどうかはわからないが、現代写真と古典技法の組み合わせは、さらなる融合の可能性を秘めていると思う。

2015/11/13(金)(飯沢耕太郎)

死の劇場─カントルへのオマージュ

会期:2015/10/10~2015/11/15

京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA[京都府]

20世紀ポーランドを代表する演劇家・美術家のタデウシュ・カントルの生誕100周年を記念して開催されたオマージュ展。身体的パフォーマンスをベースとしたポーランドと日本の作家7名1組が参加した。
会場に入って圧巻なのは、ギャラリー空間の中に劇場が出現したかのような会場構成である。手がけたのは、若手建築家の松島潤平。ガラスの格子窓で三方を区切られた「舞台」上には一脚の椅子が置かれ、反対側には階段状の観客席。そしてこの舞台装置、ギャラリーの壁、壁際に置かれた植木鉢や車輪は、下半分を真っ黒に塗られている。枯死したような木、打ち捨てられたオブジェ、「死と破壊、暴力の痕跡」を濃厚に感じさせる、まさに「死の劇場」を体現するかのような空間だ。周囲を取り囲むように配されたパフォーマンスの記録映像は、痛みや喪失、暴力の記憶を扱ったものが多い。例えば、「舞台」奥のスクリーンに展示されたヨアンナ・ライコフスカの《父は決してこんな風に私を触らなかった》。強制収容所への移送を逃れるための過酷な潜伏体験など、現実の過酷さから身を守るために「感覚の麻痺」をみずから編み出した父親と、肌を触れ合ってコミュニケーションの回復を行なおうとする作家とが、互いの存在を確かめ合うように顔の輪郭をなぞる行為が映し出される。また、アルトゥル・ジミェフスキの《80064》は、アウシュビッツ強制収容所からの生還者の老人にインタビューし、腕の入れ墨の番号を見せてもらい、消えかけた番号を彫り直して「修復」することを申し出て、押し問答になるまでのドキュメンタリーである。
これらの作品は、戦争中にポーランドが受けた深い傷の記憶に言及するものだが、一方で、日本側の出品作家、例えば丹羽良徳の《デモ行進を逆走する》《首相官邸前から富士山頂までデモ行進する》は、劇場という既存の制度の外に出て、街頭など公共空間でのパフォーマンスを行なったカントルの批判精神を受け継ぐものとして召喚されている。丹羽は、「デモの逆走」「登山者の列に混じって一人だけデモを行なう」といった集団性から外れる意志表示を行なうことで、「デモ」を規定する集団性や均質化の圧力からの逃走線をひくことを試みる。
それにしても、モニターでの展示映像が多いため、舞台空間のがらんとした不在感を強く感じてしまう。いや、生身の俳優が不在なのではなく、むしろここでは「舞台」と「客席」とその周囲をうろうろと歩き回る観客自身が、「作品と社会に対峙し、考えること」を遂行(パフォーム)する主体として要請されているのだ。


会場風景/左:ヨアンナ・ライコフスカ《父は決してこんな風に私を触らなかった》(中央)
撮影:来田猛(左右とも)

2015/11/14(土)(高嶋慈)

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