artscapeレビュー

2010年11月01日号のレビュー/プレビュー

唐仁原希 個展

会期:2010/10/14~2010/11/03

MATSUO MEGUMI + VOICE GALLERY pfs/w[京都府]

少女と小鹿が合体したり、たわわに実る果実がすべて子どもの顔だったりする唐仁原希の絵画。それは自身に潜む少女性への憧れと怖れを具現化したものだ。ところが新作では、様相が若干違う。半獣半身の少女たちは相変わらずだが、西洋の宗教画や日本の障壁画を範にした様式性が強調されているのだ。ベラスケスの《マルガリータ王女》を連想させる作品もあった。また、大作が多いのも本展の特徴だ。スケールの大きな作品をまとめるために、あえて泰西名画の様式を借りたのか? それとも、実はこちらが彼女本来の作風なのか? その真偽はともかく、新たな方向へ舵を切った唐仁原の今後の展開に要注目したい。

2010/10/14(木)(小吹隆文)

吉川直哉 展

会期:2010/10/12~2010/10/31

ギャラリーアーティスロング[京都府]

ロバート・キャパ、ユージン・スミス、アンセル・アダムス、アンリ・カルティエ=ブレッソン、ニセフォール・ニエプスという、写真史上の巨匠の作品を、独自の解釈で複写した作品。巨匠たちがシャッターを押す瞬間の、視覚、意識、フレーミングを追体験しようとする試みだ。方法は複写だが、意識の上では模写に近いという。どの作品もストレートな複写ではなく、吉川の解釈や諧謔が込められた変則的な仕上がりになっており、ニエプスを題材にした作品に至ってはフォトアニメで仕上げられている。凝った仕掛けがそこかしこに散りばめられており、写真史をある程度把握している人なら、思わずほくそ笑んでしまうだろう。

2010/10/14(木)(小吹隆文)

窪田俊三 展

会期:2010/10/11~2010/10/16

コバヤシ画廊[東京都]

白い支持体に無数の黒い点。一見すると、よくある細密画のようだったが、目を凝らしてみると、一つひとつの点はじつは穴で、しかも小さな開口部の縁が所々めくれ上がっている。作家によれば、電動ドリルでひとつずつ穴を穿ったという。わずか数ミリの鋭い先端で何度も何度も平面を撃ち続ける身体の運動性。そこには「平面」にたいする激しい愛憎の念が感じられたが、その両義性を抱えつつも、最終的に「平面」として完成させている以上、やはり愛のほうが勝っているということなのだろう。

2010/10/14(木)(福住廉)

第3回写真「1_WALL」

会期:2010/09/21~2010/10/14

GUARDIAN GARDEN[東京都]

かつての「ひとつぼ展」をリニューアルした公募展。2回にわたるポートフォリオの審査をくぐり抜けた6名の写真家がそれぞれ作品を展示したが、会期中に催された公開審査でその中からグランプリが決定した。画期的だったのは、会場にその公開審査の様子を記録した映像が発表されていたこと。審査員による厳しい質問や突っ込み、写真家による応答や主張などのやりとりが生々しい。注目したのは、いしかわみちこ。痴漢の被害者になってしまった自分を題材にして、警察の取調べを文字で再現しながら、当時の状況を再現する写真などを発表した。ストロボによって闇夜に浮かぶ身体の部位、ブルーシートの上に置かれた衣服などが、事件の恐怖を物語っているように見える。けれども同時に、そこには被写体となったモノをモノとして突き放したような視線も垣間見られたので、もしかしたら写真というモノによって事件というコトを相対化しようとしていたのかもしれない。こうした暗い写真が90年代以後のガーリーな写真の文字どおりネガであることはまちがいないし、審美的なフィルターを通すことなくあくまでも即物的に日常をとらえ直すことを考えれば、暗闇の中に夢幻的な光景を写し出す、たとえば高木こずえや志賀理江子など昨今の写真とも異なる、いしかわならではの写真であることがわかる。残念ながらグランプリは逃したが、いしかわの作品こそ新しい写真として評価したい。ただし、会場の壁面に家の扉を設けるなど、空間インスタレーションとして見せたかったようだが、空間に制約のあるグループ展という性格上、その効果は半減してしまっていた。機会を改めて、空間を存分に使い倒した展示を見てみたい。

2010/10/14(木)(福住廉)

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今日の反戦反核展2010

会期:2010/09/11~2010/10/15

原爆の図丸木美術館[埼玉県]

美術評論家の故・針生一郎が呼びかけてきた毎年恒例の企画展。池田龍雄をはじめ、坂口寛敏、前山忠、増山麗奈など、90名による作品が展示された。反戦反核のメッセージを文字によって表現する直接的な作品から色やかたちによって表現する抽象的な作品までさまざまだが、残念ながらいずれもひとつの作品として突出することがなく、全体的に横並びの印象が強い。それが作品の質に由来するのか、それとも「反戦反核」という文脈の質に起因するのか、わからない。けれども、ひとまず誰もが出品できるアンデパンダン形式を再考するべきではないだろうか。たとえば毎年、特定のキュレイターに特定のアーティストを選ばせるなど、個展やグループ展の形式によっても、「反戦反核」というメッセージに接続することは十分可能である。「反戦反核」という言葉の硬さをもみほぐすことができる若いアーティストはたくさんいるだけに、もったいなくてしょうがない。

2010/10/15(金)(福住廉)

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