artscapeレビュー

2010年11月01日号のレビュー/プレビュー

岩渕貞太『untitled』

会期:2010/10/14~2010/10/16

STスポット[神奈川県]

タイトルがもたらしたものであるかもしれないが、目指すべきところが曖昧でとらえにくいと感じさせられた。岩渕貞太が目下日本のダンス・シーンのなかで際立って真面目で、魅力的な外見を携えた人物であることは間違いない。しかも今回は大谷能生を音楽担当に招いてのソロ公演。入念な準備がなされたと想像される。しかし、舞台上の岩渕は正直難解だった。ダンス作品が難解になるのは、多くの場合、振付を通して観客に伝えたいことが不明確なとき、身体の動く動機が観客に伝わっていないときである。目の前の身体がいま、なぜ、このような状態を示しているのか? 基本的に言葉を用いない故に、ダンス作品はわかりにくくなりがちで、身体が生々しくさらされれば、その分イメージは乏しく解釈の手がかりが乏しくなる。もう少し記号的あるいはキャラ的な作品作りでもいいのではなどと思ってしまう。しかし、そうしたやり方に岩渕の興味はない。「身体が動く」という純粋でとらえがたく、直接的な表現の可能性にこそ、岩渕の賭けはあるはず。確かに、ハッとする瞬間はあった。奇妙な怪物の孤独な遊戯にぞっとし、心を奪われた。そういう部分をもっと執拗に推し進めてもいいはずだ。残念なのは、音楽との関係が単調に思えたこと。大谷の具体音(小さい容器に小物を入れて回している音など)を用いた音楽は、ノイズ=前衛=難解なんて短絡的推論に聴く者を陥らせることなく、きわめてキャッチーかつリズミカルで、構造も明瞭、故に充分ポップだった。そうした大谷のアプローチに応答する試みが岩渕から出ていたら印象は違っていただろう。

2010/10/16(土)(木村覚)

水森亜土 展~どうしてずっとアドちゃんが好きなの?~

会期:2010/10/01~2010/12/26

弥生美術館[東京都]

イラストレーター・水森亜土の回顧展。イラストレーターのみならず、歌手、女優、画家、タレントなど多才な活動を繰り広げる亜土ちゃんの全貌に、イラストレーションの原画やテレビ出演の映像、幼少時に影響を受けた視覚資料、雑誌の連載記事など、さまざまなアプローチから迫った。じっさい、「絵は天職、歌は本職、女優は内職」と語っているように、亜土ちゃんのクリエイションは多岐に渡っており、その多方向性が、イラストレーションの歴史から彼女を外す事態を招いているのかもしれない。挿絵や図解など、文字を説明するという補助的な役割からイラストレーションという自立的なジャンルとして成熟させるうえでは、そうした排除の政治学もあるいは必要なのだろう。けれども、亜土ちゃんのイラストが大衆に広く愛されてきたことは厳然たる事実であり、その事実を無視した「歴史」にはたして何の意味があるのか、よくわからない。むしろ、彼女のイラストが亜土ちゃんというキャラクターと不可分であることを考えれば、水森亜土は岡本太郎や草間彌生、石田徹也、山口晃などと並ぶ、「アイドル・アーティスト」として歴史化するのがふさわしい。

2010/10/17(日)(福住廉)

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kao個展「from the Labyrinth」

会期:2010/10/09~2010/11/03

湘南くじら館「スペースkujira」[神奈川県]

驚異のアーティストだ。枯木や枯葉を組み合わせた小さな人形をはじめ、少女などを鉛筆で緻密に描き込んだ具象画、そして陶器でつくり上げた怪物の数々。RPGのような幻想的な世界観にもとづいているらしいが、その世界に疎い者を辟易させないのは、おそらく一つひとつの造形をひじょうに細やかに仕上げているからだろう。か細い木々や葉脈をつなぎ合わせる繊細さと、陶器による物体の圧倒的なボリューム。超絶技巧とスケール感を同時に味わえるのが、この上なくおもしろい。しかも、それらの造形物を台座や額縁に納めるだけでなく、小石を敷き詰めた床一面に立ち並ばせ、パノラマティックな光景を演出しているところに、せせこましい「アート」には到底望めない野望が垣間見えた。それは、世界を自分の手で創り出すという、無謀な、しかしだからこそ魅力的な野心だ。

2010/10/18(月)(福住廉)

ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』

会期:2010/10/17~2010/10/24

新宿眼科画廊[東京都]

卒業式を控えた6人の小学六年生が織りなす恋愛模様。それを大学出たてくらいの若い役者たちが演じる。彼らのなんともかわいいこと! テーマは恋愛、というか告白。「式で歌う『卒業写真』(ユーミン)よりも、ぼくが君へ歌うラブ・ソングのほうがずっと素晴らしい」と、卒業式をすっぽかした男の子はギターをかき鳴らし猛烈な勢いで女の子に向けて歌い出した。それがラストシーン。三浦直之(脚本・演出・出演)は本作で、男の子・女の子の真っ直ぐな気持ちをかなり真っ直ぐに描いた。その振る舞いはベタにも映る。しかしそれはけっして単なる(無反省の)ベタではない。「メタな振る舞いをベタにやるのもベタだし」とメタのメタ(のメタ……)へと延々と思考を裏返し続けてしまうのがぼくたちの日常であるとして、そんななか「真っ直ぐさ」というのは見過ごされがちでかつ実行困難な、しかし素敵な生き方の選択肢ではないか。きっと三浦はそんな思いからあえて「ベタな恋愛を描く可能性」に向け突き進んでいるのではないか。メタが充満する世界からどうにかベタを救い出そうとする身振りが一番よく表われていたのは、相手の気持ちがわかったうえで、振られることを承知で女の子が男の子に告白するシーン。彼女は自作の台本を彼に渡し、告白の演劇を遂行する。「告白」を「告白の演劇」に転換してしまうメタな身振りは、しかし、告白の不可能性(ベタの否定)ではなく、むしろその可能性(ベタの可能性)を模索しているように見えた。「演劇」(メタ)という手段を使わなければできない「告白」(ベタ)は同時に「演劇」(メタ)という手段を利用してでも遂行したいなにかでもある。告白とはすなわち、絶望的であるにもかかわらず前向きな気持ちが消滅しない事実に向き合った末の、どうしようもない、真っ直ぐな表現行為なのだ。告白を舞台上に乗せること。日本演劇界の最年少世代・三浦の放つ強烈に前向きな姿勢は、チェルフィッチュや快快などと引き比べられうるなにかとみなして間違いはないだろうし、日本演劇の〈別の可能性〉として今後益々注目されることだろう。

2010/10/18(月)(木村覚)

プレビュー:木津川アート2010「流れ・その先に」

会期:2010/11/03~2010/11/14

木津川市の木津本町エリア、鹿背山エリア、上狛エリア[京都府]

「瀬戸内国際芸術祭」や「あいちトリエンナーレ」が好評を博し、今年の美術界を象徴する出来事となった地域型アートフェスティバル。関西でも同様の動きが活発で、9月以降、「六甲ミーツ・アート」「西宮船坂ビエンナーレ」(ともに兵庫県)、「奈良アートプロム」(奈良県)、「BIWAKOビエンナーレ」「信楽まちなか芸術祭」(ともに滋賀県)など、大小さまざまなアートフェスが立て続けに開催され、一種ブームの様相を呈している。京都府木津川市の市街地と山間部を舞台に開催される「木津川アート」は、そのラストを飾る催しだ。コンセプトはほかと同様で、約50組のアーティストが地域で行う作品展示を通して、地元の街並みや自然の豊かさを再確認しようと試みる。ちなみに、木津川市は京都府と奈良県の境界に位置し、古くから交通・物流の要衝として栄えてきた。古代には都が置かれた時期もあったほどだ。その地域性と歴史性に、アーティストたちがどう反応するのか、興味が募る。また、「木津川アート」をもって関西のアートフェス・ブームが一段落するので、後日、シーン全体の総括ができればと思う。

2010/10/20(水)(小吹隆文)

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