artscapeレビュー

2010年11月01日号のレビュー/プレビュー

プレビュー:オットー・ディックスの版画 戦争と狂乱─1920年代のドイツ

会期:2010/11/03~2010/12/19

伊丹市立美術館[兵庫県]

第一次大戦の従軍経験を基に、戦場の悲惨と不条理を描き切った連作版画《戦争》や、大戦後の享楽的で退廃した都市の様相をえぐり出した作品群で知られる、オットー・ディックス。人間の本質を直視し、ストレートに表現した作品を初めて見た時の驚きは、今も忘れることができない。本展は、日本では20年ぶりとなる彼の本格的な個展だ。パソコンの画面越しでは決して伝わり切らない生々しい線刻を体感するためにも、美術館に出かけて直に作品と対面したい。ただし、小さなお子様には刺激が強すぎるので、くれぐれもご注意を。

2010/10/20(水)(小吹隆文)

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プレビュー:ポスター天国 サントリーコレクション展

会期:2010/11/13~2010/12/26

サントリーミュージアム[天保山][大阪府]

今年12月末で、16年間の活動に終止符を打つサントリーミュージアム[天保山]。大都市なのに美術館が貧弱な大阪にあって、独自の企画を提供し続けてくれた功績は大きい。それだけに、この度の閉館は関西の美術ファンにとって図り知れないダメージとなるだろう。最後の企画は、同館が最も得意とするポスターの展覧会。サントリー社が所蔵する約2万点のポスターの中から、選りすぐりの400点が展覧される。19世紀末のアール・ヌーヴォーに始まり、1920年代のアール・デコ、1960年代のポップ・アートを経て、1990年代後半の作品まで、グラフィックアートの近代史を一気に展観する内容だ。時代を映し出す鏡とも言えるポスターの名作を見ながら、笑顔でサントリーミュージアム[天保山]とお別れしたい。

2010/10/20(水)(小吹隆文)

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プレビュー:Exhibition as media 2010『SHINCHIKA SHINKAICHI(シンチカ シンカイチ)』

会期:2010/11/15~2010/12/05

神戸アートビレッジセンター[兵庫県]

勝村富貴、久門剛史、藤木倫史郎、藤野洋右、吉川辰平からなるアートユニット、SHINCHIKAは、2002年に大阪・新世界の「新世界国際地下劇場」からインスピレーションを受け、結成された娯楽チームだ。記憶、都市、個人的な物語の断片をインターネットを駆使して編集し、映像、音楽、インスタレーションなど、幅広いジャンルの作品へと変換させる。本展では、彼らの今までの作品を展示するほか、会場の神戸アートビレッジセンターが立地する新開地エリアのエッセンスを取り入れた新作も発表。センター内各所に彼らの世界が展開される。

2010/10/20(水)(小吹隆文)

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遊園地再生事業団『ジャパニーズ・スリーピング』

会期:2010/10/15~2010/10/24

座・高円寺[東京都]

テーマは「眠り」。ある男が眠りについてのインタビューを続ける。男はあるときから不眠症に陥っており、インタビューはそこからの脱出策を模索してのものらしい。この男の不眠症は、友人が集団練炭自殺で亡くなったかも知れないという思いに端を発し、ときに「眠り」というモチーフは「死」の問題へと変換されもする。テーマは面白い。眠るという行為と演じるという行為は相反する関係にある、などといった原理的な問いが展開されることを期待した。ただし、思いの外そうはならず、既存の演劇の方法論が取り出されては用いられていった。同じ服を着た眼鏡男3人がひとつの役柄のセリフを分け合ったり、不意に激しい叩き合いがはじまったり、あるいはカメラを舞台上にあげてライブ画像を上映したり。ビュッフェのプレートのごとくバラエティに富んでいる。とはいえ、なぜその方法を用いるのかについて必然性が乏しい。そう思ってしまうのは、台詞回しや「巫女的」に女性を扱う仕方など、案外旧時代の演劇的なものが温存されているからかもしれない。

2010/10/22(金)(木村覚)

ペーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス展

会期:2010/09/18~2010/12/25

金沢21世紀美術館[石川県]

映像作品《事の次第》でよく知られた二人は、必ずしもヴィデオの作家ではない、むしろ彫刻の作家ととらえるべきかもしれない。彼らの作風がもっとも端的に表われているのは「グレイ・スカルプチャー」と呼ばれるポリウレタン製の彫刻群だろう。中が空洞で、お尻の穴から覗くとくり抜いた顔のパーツが見える作品《動物》や湾曲していて覗いても向こうが見えない作品《管》は、見るとなんだか情けない気持ちになる。脱力系? そう、知的な解釈も可能に違いないだろうが、作品に向き合って沸いてくる率直な感想は「へたれてるなー」。《不意に目の前が開けて》も90点の粘土作品がテーブルに並ぶ彫刻群。空想譚もポテトチップスもすべて同じ粘土で、似たようなサイズで表象されている。チープな素材が実現するイメージの世界、それはなにかを「可視化」させるという営みそのものの面白さとばかばかしさを同時に示している。ところどころに用意された失笑のポイントを通して、彼らが見る者に気づかせようとしているのは、「見ること」や「つくること」というきわめて基本的な行為の最中なにが起きているのかということだろう。それら二つを媒介するのが彫刻という存在に違いない。《事の次第》は、そう考えると動く彫刻の映像化なのであって、「見ること」と「つくること」の相互作用が緊張感を保ち、そのことが作品の強度を生み出している。

2010/10/24(日)(木村覚)

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