2018年04月15日号
次回5月15日更新予定

artscapeレビュー

2017年02月15日号のレビュー/プレビュー

山縣勉「涅槃の谷」

会期:2016/12/17~2017/02/04

ZEN FOTO GALLERY[東京都]

山縣勉の新作は2011年頃から、秋田県の玉川温泉を撮影したシリーズだった。岩手県と青森県との県境に近いこのあたりには、ラジウムの成分を含む北投石という岩が点在している。山縣は父親の癌の治療法を調べるうちに、この温泉の存在を知り、その地を訪れるようになり、そして湯治客や周囲の風景を撮影するようになった。その成果をまとめたのが今回のZEN FOTO GALLERYでの個展である。
タイトルの「涅槃の谷」というのは、「山を中心に人が点々と横たわっている」光景を見たとき、仏陀と十大弟子が思い思いの恰好で寝そべっている「涅槃図」を思い出したからだという。たしかに、山縣の写真には、生と死との境目にたゆたうような、奇妙な安らぎの境地が写り込んでいるように見える。それは、われわれ日本人にとって、たまらなく懐かしさを感じてしまう眺めでもある。ただ、彼のモノクローム、粗粒子の写真表現のあり方は、日本の写真家たちが積み上げてきた、この種の写真が醸し出す空気感にあまりにも予定調和的にフィットしてしまう。癌の治療効果があるといわれる放射線を発する石というのは、とても面白いテーマなので、もう少しそちらに焦点を絞ったアプローチも考えられそうだ。北投石は台湾でも産出するということなので、そこで撮影するというのもいいかもしれない。ここで終わりにしないで、最終的なプリントワークも含めて、作品全体をもう一度見直して再構築していってほしい。
なお、展覧会にあわせて、ZEN FOTO GALLERYから同名の写真集が刊行された。全部で108枚の写真をおさめたという力作だ。装丁・デザインを含めて、写真をどう見せていくかを熟考し、写真集のかたちに丁寧に落とし込んでいる。

2017/01/21(土)(飯沢耕太郎)

国立新美術館開館10周年記念 シンポジウム1「展覧会とマスメディア」

会期:2017/01/21

国立新美術館3階講堂[東京都]

自分の出たイベントや出品した展覧会については書かないようにしているが、このシンポジウムはこれまでありそうでなかったテーマだったので、それなりに意義があると思い書かせてもらう。テーマの「展覧会とマスメディア」とは、日本では美術館やデパートがおもに海外の大きな展覧会を開くとき、新聞社やテレビ局と共催する場合が多く、これを俎上に挙げようというもの。この美術館とマスメディアの「共催展」というのは、貸し画廊や公募団体展と並ぶ日本美術界のガラパゴス現象のひとつだが、もともと日本の美術館はコレクションが貧相で予算も少なく非力だったため、海外にネットワークを持ち、資金も情報も豊富で、宣伝力に長けた新聞社に展覧会企画を頼らざるをえなかったという事情がある。新聞社にとっては利益もさることながら、芸術文化に貢献することで自社のイメージアップを図れるメリットがあった。いいことずくめのようだが、マスメディアの本義である報道の面からいうと、自社の主催する展覧会は大きく取り上げるのに(この場合、報道と広告との境界が曖昧になりがち)、他社の展覧会は無視するか、終了まぎわに紹介するといったことがまかり通り、公平性を欠く恐れがある。これは以前から指摘されていたことだが、ほとんど問題にされることはなかった。
前説が長くなったが、まあそんな話をしようってことだ。登壇者は、日経新聞社文化事業局兼経営企画室シニアプロデューサーの井上昌之さん、読売新聞東京本社編集局文化部長の前田恭二さん、三菱一号館美術館館長の高橋明也さん、兵庫県立美術館館長の蓑豊さん、国立新美術館副館長の南雄介さん、という「長」のつくリッパな肩書きの人たちに囲まれて、ぼくは肩身が狭い。司会は国立新美術館の青木保館長。前半はそれぞれの立場から20─30分ずつレクチャーして、最後に全員で討論となるのだが、6人が話をするだけで3時間以上を費やし、話すほうも聞くほうも疲れるわ。前半は新聞社の方も美術館の方も、だいたい自分とこでやった共催展について話されたが、前田氏の「何とかしてクレー展」はタイトルだけでなく内容もおもしろかった。1961年に読売新聞社が池袋西武と共催した「クレー展」が実現するまでの綱渡り的な内情を暴露したもの。西武百貨店の堤清二、美術評論家の瀧口修造、神奈川県立近代美術館の土方定一といった戦後美術を担う伝説の人物たちが暗躍したこと、しかし日本には向こうとのやりとりを裏づける記録がなく、スイスのパウル・クレー財団にアーカイブされていたことなど、興味深い話だった。
手前味噌だが、ぼくは東京都美術館の開館(1926)からバブルの時代まで、つまり昭和期における新聞社と展覧会との蜜月ぶりをたどってみた。これは調べてみるとおもしろく、蜜月時代にもふたつほどピークがあって、第1のピークは、都美館で戦争美術展が次々と開かれた昭和10年代後半の戦中期、第2のピークは「ミロのヴィーナス」や「ツタンカーメン展」など、入場者が100万人を超す展覧会が目白押しだった昭和30年代後半の高度成長期だ。ちなみにどちらも主催は朝日新聞社の独占状態。しかし80年代からテレビ局が参入して宣伝方法も変わり、展覧会の内容も変質していく……というような話をした。結局、最後の討論は1時間ほどしかなく、報道と共催展の兼ね合いをどうするかとか、人気画家や人気美術館の展覧会に頼ってばかりでいいのかといった問題に対して、どこまで議論を深めることができたか心もとない。それにしても、最初から最後まで聞いてくれた人っているのかな。

2017/01/21(土)(村田真)

NACT Colors─国立新美術館の活動紹介

会期:2017/01/20~2017/01/30

国立新美術館[東京都]

4時間半に及ぶシンポジウムからようやく解放されたので、気分転換に入ってみる。壁に開館から10年間に開かれた展覧会の期日や入場者数などのデータをパネル展示し、だだっ広いスペースには色のついた厖大な量の数字が吊り下がって、虹のようにグラデーションを構成し、下部は通り抜けられるようになっている。はて、なんの数字だろうと一周してみると、2、0、1が多いので、開館した2007年から10年間の西暦年号を表わしているようだ。ザッと数えてみると、5万枚ほど。10年間の総入場者数はほぼ2500万人というから、これの500倍。思ったより多いな。でもそれを数字で表せば(25000000)たった8枚で済む! 関係ないけどね。

2017/01/21(土)(村田真)

芳木麻里絵「触知の重さ Living room 」

会期:2017/01/17~2017/02/04

SAI GALLERY[大阪府]

芳木麻里絵は、版画(シルクスクリーン)の工程における「版の刷り重ね」がもたらす積層構造を戦略的に活用し、二次元に圧縮された画像(情報)/三次元に出力されたインクの層(物質)とのズレや差異について問題提起を行なう作家である。芳木がモチーフとするのは、レースのカーテン、チョコレートや飴の包み紙、絨毯や布張りのソファなど、「表面」の繊細な陰影や起伏、柔らかな手触りを持ち、触覚性を喚起する質感を持つものだ。作品の制作工程は、以下のような段階的な手順を踏んでいる。1)作家が「質感の気になる手にしたくなったモノ」を写真に撮影し、2)パソコンの画像編集ソフトに取り込み、光の階調に沿って形状を参考にしながら6~8版に分解する。3)アクリル板の上にシルクスクリーンで、1つの版につき数十~百回くらいインクの層を刷り重ねていく。こうして、刷られたモチーフは数mm~1cmほどの立体的な膨らみを獲得し、近寄って斜めから見ると、インクの色ごとの層が地層のように積み重なっていることが分かる。
このように、デジタル化された画像データが、積層構造の出力によって再-物質化されるプロセスは、3Dプリンターによる造形を連想させる。また、「版」という概念は複製性とも結び付く。しかし芳木の作品は、単に「元のかたちの復元・再構築」ではない。1)写真撮影=画像化によっていったん二次元へと置換され、フラットに均質化された表面は、2)版分解の操作において、質感や光沢といった感覚的な差異を増幅され、3)インクの層として多層化・物質化されて再び三次元の世界へ送り返されることで、触知可能なものへと変換される。それは、イメージを原資とし、二次元の画像世界に一方では係留されていながら、物質性を帯びた三次元の世界へとわずかだが確実にせり出している。イメージでも物質でもあると同時に、非物質的なイメージの世界にも実在的な物質の世界にも完全には定位できない。むしろ、芳木の作品が仕掛けるのは、イメージ/物質、二次元/三次元、表面/本質という二項対立の撹乱、両者を完全に弁別することへの疑義である。
それは同時に、「私たちは何にどのようにリアリティを感じるのか」という問いの提出でもある。試しに、写真画像から質感や光沢といった感覚的情報を剥ぎ取ってしまったら、のっぺりと単調になった表面は何も魅力を語らず、私たちの目を惹きつける力を失ってしまうだろう。質感や光沢は、表面に依存する点でそれ自体は自律的存在ではないものの、「繊細できれい」「柔らかくて気持ち良さそう」「つややかで高級感がある」と感じさせるリアリティの在りかを逆説的に支えている。その効果が最も発揮されるのが、印刷物やモニター画面といった二次元の画像の領域だ。芳木作品は、「表面」に現象的に付随する──それゆえ「非実体的」「非本質的」とされる質感や光沢を、物質化=実体化するという矛盾・反転によって、私たちを取り巻く画像の視覚経験のあり方を照射している。
また、本展では、新たな展開として、「空間」「奥行き」に対する意識が見られた。以前の作品では、モチーフをスキャンして得た画像データを元に、一枚のアクリル板の上にインクを刷り重ねていた。一方、本展で発表された新作・近作では、「レースのカーテンのかかった窓辺」を撮影した写真が元になり、支持体のアクリル板が5~6cmほどの厚みのあるボックス型になった。「表面」をなめるように均一に読み取っていくスキャニングの水平的な視線から、「窓にかけられたカーテン」という垂直性への移行。そこには、透明なガラス面を境に、窓の桟の影が示す向こう側の空間と、カーテンの襞の揺らぎが示す手前の空間、といった奥行きや空間的秩序が発生する。インクの物質的な多層化と、手前から奥へと展開する空間的秩序が互いに陥入し合ってせめぎ合う作品は、美しく繊細な見かけの中に、「見ること」の安定した視座を崩壊させる暴力性をも秘めていた。


芳木麻里絵《Untitled(#1~6,8,10)》60.5cm×49cm×厚み 6cm、アクリルボックスの上にシルクスクリーン、2015~2016

2017/01/21(土)(高嶋慈)

endless 山田正亮の絵画

会期:2016/12/06~2017/02/12

東京国立近代美術館[東京都]

全身画家が半世紀以上にわたって描いた膨大な作品を、よくもまあこれだけ、日本各地から集めたものだと感心する。従来の展示に比べて、多くの壁を必要とするため、迷路のように空間が続く。作家の意図には反するのかもしれないが、特に異様な密度でストライプ絵画が並べられた部屋は凄まじい空間だった。

2017/01/22(日)(五十嵐太郎)

artscapeレビュー /relation/e_00037894.json s 10132321

2017年02月15日号の
artscapeレビュー

文字の大きさ