artscapeレビュー
瀬戸正人「Good-bye, Silver Grain さらば、銀の粒」
2010年09月15日号
会期:2010/08/02~2010/08/08
Place M[東京都]
写真家たちにとって、デジタル化により銀塩印画紙の多くが製造中止になりつつある状況は他人事ではない大きな問題だ。これまでの作品制作システムが、根本から変わってしまうのだから、現場の混乱がおさまらないのは当然だろう。Place Mを主宰する瀬戸正人も、まさにそのような事態に直面しており、「写真を撮りはじめた30年前に立ち返って自分を検証する」という意味をこめて、今回の展覧会を企画した。すべて全紙サイズの銀塩印画紙によるプリントをずらりと並べており、特に1996年の第21回木村伊兵衛写真賞受賞作「サイレント・モード」のシリーズをひさしぶりに見ることができたのは嬉しかった。電車の車内の女性をスナップしたこのシリーズは、たしかモデルのプライヴァシーの問題があって発表を控えていたはずだが、瀬戸も覚悟をきめて出してきたということなのだろう。
展示を見ながら思ったのだが、銀塩印画紙の魅力は必ずしも最終的なプリントの出来栄えということだけではないのではないか。デジタル・プリンターの進化によって、現在ではクオリティ的にはむしろデジタルのプリントの方がよくなっている場合もある。それよりは、印画紙を引伸し機で露光して現像液につけ、停止、定着の処理をするそのプロセスそのものが、他に得がたい経験を与えてくれるのではないかと思う。瀬戸は展示の解説文で、印画紙の銀の粒子に「リュウ子」という女性の名前で呼びかける。そして、その現像のプロセスを「精液に似たタルタルした液の中で、キミが悶えながら姿を見せた」と描写している。たしかに、印画紙にイメージが少しずつ、ぼんやりと浮かび上がってくる様は、どこか性的な行為を思わせるところがある。暗室の赤い灯りと、現像液や停止液の饐えた匂いが、そのエロティシズムをより増大させているようにも感じる。
銀塩印画紙がなくなるということは、そういう代替不能なエロス的な体験も消えてしまうということだ。その方がむしろ大事なことなのだ。
2010/08/04(水)(飯沢耕太郎)