artscapeレビュー
2012年05月15日号のレビュー/プレビュー
「イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」関連レクチャー「建築から読み解く、イ・ブル作品」
会期:2012/04/13
森美術館[東京都]
建築以外のテーマだと、レクチャーの準備に通常よりもはるかに時間がかかって大変だった。改めて彼女の作品は、彫刻、身体、ジェンダー、建築、ユートピア、サブカルチャー、韓国の近現代史など、複数の要素のハイブリッドになっていることがよくわかる。例えば、丹下健三やI. M. ペイへのレファランスをもつ作品も展示されているが、相当深く勉強しないと読みこめないだろう。そうした意味で、見る人によってさまざまな回路がある。
2012/04/13(金)(五十嵐太郎)
池内美絵 展
会期:2012/03/20~2012/04/14
Calo Gallery[大阪府]
池内美絵の作品には、剥がれた皮膚の一部や血液など、身体の排泄物が素材に使われると以前聞いたことがあり、気持ちの悪いものをイメージしていたのだが、そんな想像は見事に裏切られた。じつに6年ぶりという個展の会場には、かわいらしい箱に収められたコサージュやブローチなどの小さなアクセサリー、リースをモチーフにした作品、頭部のない小さな人形が並んでいた。布貼りの大型本を展示台にしたそれらの作品はどれも美しく繊細な作業と技術がうかがえるものだった。しかしキャプションをみると、精液、蛇の抜け殻、ヤスデの抜け殻、作者の皮膚などと記されているから衝撃だ。なかでも一番吃驚したのは、実際に飲み込んで排泄後に組み立てなおしたという頭部だけがない人形の《アリス》。とても小さいものなのだが、作家によると排泄後に探したとき、それだけが見つからなかったという。タイトルも想像を掻き立てられるが、作品の世界観にすっかり魅了された。日頃あたりまえに感じているイメージや感覚を鮮やかに翻して見せる素敵な個展。次に作品を見ることができるのはいつだろう。
2012/04/14(土)(酒井千穂)
大友良英 with 二階堂和美ライブ
会期:2012/04/15
万代島旧水揚場[新潟県]
7月から新潟市で始まる「水と土の芸術祭2012」のプレイベント。まずは信濃川の河川敷に完成した王文志(ワン・ウェンチー)による竹のドームを見に行く。これは3年前、やはり河川敷につくられたインスタレーションをヴァージョンアップしたもので、なかに入ると意外に広々としていてくつろげるうえ、竹の隙間から周囲の風景が透けて見えるというスグレもの。前回は市民の憩いの場としても人気を博したため、芸術祭に先行して制作してもらったという。そこから下流に15分ほど歩いて、ライブ会場となる万代島の旧水揚げ場へ。かつて漁獲物を水揚げした場所で、ガランとした巨大な空間は現在なにも使われておらず、芸術祭の展示のメイン会場になる予定だ。ライブは川(入江)に面した開口部にステージを設けたため、光を背にした逆光のなかで行なわれた。そのため客席からは大友も二階堂も顔の表情がほとんど読みとれないかわりに、向こう岸の倉庫や行き交う船や舞い飛ぶカモメを見ながらのライブ体験となった。おまけに漁船のエンジン音や「アーアー」というカモメの鳴き声も聞こえてきて、ふつうのコンサートならぶち壊しになるところを、自然体の大友と二階堂はそれを効果音として受け入れていたのはさすが。ちょっと寒かったけど、ライブは暖かかった。
2012/04/15(日)(村田真)
国立西洋美術館「ユベール・ロベール─時間の庭」展関連シンポジウム「時の作用と美学」2日目
会期:2012/04/15
東京日仏学院 エスパス・イマージュ[東京都]
ユベール・ロベールの展覧会にあわせて開催されたシンポジウムである。ミュリエル・ラディック、稲賀繁美、北川フラム、宇野邦一の発表後、セッション2「建築と自然 新たなる対話へ」の司会を担当しつつ、ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展2008の温室をめぐって「建築と植物」についても発表した。隈研吾は東北地方にある自作について語り、パトリック・ブランはこれまでの作品の軌跡を紹介しながら、パワフルな発表を行なう。ブランの視点は植物学者らしく、完全に人間側ではないところが新鮮だった。地面に生えない植物はいっぱいあって、植物自体が高性能のアーキテクチャーなのだ、という。また建築VS植物の廃墟にならずとも、両者は共存できる。そして時間の尺度が壮大だった。数十年や数百年ではなく、もっと長い単位で世界を見ている。
2012/04/15(日)(五十嵐太郎)
北島敬三「ISOLATED PLACES」
会期:2012/04/06~2012/05/13
RAT HOLE GALLERY[東京都]
北島敬三は1990年代前半から「PLACES」と題するシリーズを撮影・発表し始めた。アジアやヨーロッパの諸都市の建築物を、その周囲の空間も含めて、大判カメラで写しとっていく試みだ。そこでめざされていたのは、各地域に固有の表象をなるべく剥ぎとり、その眺めを、いわばその時代における「どこにでもありそうな光景」へと還元していく試みだったと思う。
ところが、90年代後半になって、被写体が日本各地の風景へと限定されていくようになると、そのようなミニマリズム的なアプローチの厳密さはやや薄れていくようになる。今回の個展で展示された「ISOLATED PLACES」のシリーズから受ける肌合いは、以前の「PLACES」とはかなり異なっている。北海道から沖縄まで、それぞれの地域の建築物のヴァナキュラーな要素だけでなく、以前は注意深く排除されていたはずの「前田歯科専用」とか「こころ、届けます。GIFT PLAZA」などの看板の文字も、そのまま写り込んできているのだ。雪のなかにぽつんと一軒だけ取り残された家を撮影した作品(「Yubetsu 2009」)のように、なんとも寄る辺ないISOLATED(孤立した、隔離した)な感情がかなり強く滲み出ているのも、今回のシリーズの特徴である。
それを北島の表現意識の弛みとして、ネガティブに評価することもできそうだが、個人的にはその変化は好ましいものに思えた。彼の1990年代以降のもうひとつのシリーズ「PORTRAITS」にあらわれている、見る者をがんじがらめに縛りつけてしまうような窮屈な強制力ではなく、北島本来の写真家としてののびやかな自発性が回復しつつあるように感じるからだ。打ち棄てられ、干涸びて「顔と名前を失った光景」が、写真のなかでふたたび生命力を取り戻しているようにも見える。
2012/04/17(火)(飯沢耕太郎)