artscapeレビュー
2012年05月15日号のレビュー/プレビュー
隈研吾建築都市設計事務所《浅草文化観光センター》
[東京都]
竣工:2012/04
オープンしたばかりの浅草文化観光センターを見学するために、久しぶりに雷門の前を訪れた。隈研吾のフォトジェニックなデザインといまや必勝パターンとなったルーバーの使用は健在である。効果的に見栄えがするのだ。もっとも、東京スカイツリー、スーパードライホール、浅草寺などの強いモニュメントに囲まれるなかで、最上階からこれらを眺めるための視点を提供しつつ、伝統を意識した家型の記号を積層しつつ、透明なランドマークを狙う。
2012/04/21(土)(五十嵐太郎)
太陽の塔 黄金の顔/ザ・タワー─都市と塔のものがたり─
江戸東京博物館[東京都]
会期:2012/02/21~05/20/2012/02/21~05/06
常設展示のエリアにおいて、岡本太郎による太陽の塔の輝く黄金の顔の部分が床置きで展示されていた。したがって、導入部となる復元された日本橋から下を見下ろすかたちになっている。これが空中高くに位置するときにはあまり気づかなかったが、この距離で鑑賞すると、とにかくデカイことに驚かされた。また東京スカイツリーの登場にあわせて企画された「ザ・タワー」展は、想像以上に資料が多い。古代から現代までのさまざまな塔を紹介するが、とくに浅草の十二階やパリのエッフェル塔が充実している。後者の知られざるさまざまなリノベーション・プロジェクトは興味深い。それにしてもエッフェル塔の手描き青図の美しいことに感心させられた。が、東京タワーの図面になると、そうした色気を失い、展示のラストにある東京スカイツリーに至ってはコンピュータによる図面の束を無造作に置くだけだったのは寂しい。
2012/04/21(土)(五十嵐太郎)
中川雅文 展
会期:2012/04/17~2012/04/29
ギャラリーモーニング[京都府]
フレスコ、テンペラ、アクリルなどで描かれた絵画作品。寓意と物語性をたたえた画面の色彩は夢の世界のような賑やかさなのだが、画材の性質と技法のせいか、その作品には落ち着いた趣きがあり、特に展示作品のなかでもっとも大きな《今夜くるよ》はじっと見入ってしまう魅力があった。モチーフは、神話に登場するものから選ぶことも多いという。描かれたその不思議な生き物の表情もあじわいのあるものだったが、緩やかな音楽のように流れるタッチが幻想的な作品世界の強度をさらに高めていた。
2012/04/22(日)(酒井千穂)
芸術家Mの舞台裏:福永一夫が撮った「森村泰昌」
会期:2012/04/14~2012/05/17
B GALLERY[東京都]
福永一夫は1989年頃から、森村泰昌が制作するセルフポートレート作品の撮影を担当するようになった。森村はひとつの作品を完成させるために、衣裳、メーキャップ、ポーズ、そして舞台設定のセッティングに至るまで、細部にまで目を凝らしながら全精力を傾注していく。彼自身が画面に写り込むことが前提だから、当然誰かがシャッターを切ることが必要になる。そこで白羽の矢が立ったのが、森村と同じ京都市立芸術大学で学んでいた後輩の福永だったわけだ。
森村と福永の写真の師は、日系アメリカ人のアーネスト・サトウである。彼のアンリ・カルティエ=ブレッソンの写真を例に引いた、厳密なスナップショットの美学についての講義が、森村と福永の「共通の基盤」になっているのだという。つまり、最終的にこのような構図で、このタイミングでシャッターを切るということについて、2人には暗黙の了解事項があるということだ、福永の存在が、森村の旺盛な創作活動を、影で支え続けてきたことは間違いないだろう。
一方で、福永は森村の作品制作の現場を、折りに触れてライカで撮影してきた。それが今回展示された「芸術家Mの舞台裏」のシリーズである。こちらは森村の普段着の姿、また他者に成りきっていく変身の過程がいきいきと、克明にとらえられている。どちらかといえば気軽な、「撮ること」の歓びに突き動かされてシャッターを切った写真群なのだが、ここでもアーネスト・サトウ仕込みの的確なカメラワークが発揮されている。日本を代現する現代美術アーティストの「舞台裏」の貴重な記録というだけでなく、さまざまな出来事が同時発生的に起こってくる制作の現場が、スナップショットの素材として実に面白いものであることがよくわかる。森村の作品とはまた違った魅力を備えたシリーズといえるのではないだろうか。なお、展覧会にあわせて写真集『美術家 森村泰昌の舞台裏』(BEAMS)も刊行されている。
2012/04/22(日)(飯沢耕太郎)
「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧」展
会期:2012/04/13~2012/09/02
東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]
パリのカルティエ財団での個展の凱旋なのだが、いかに自分が(拡張している?はずの)「現代美術」の枠組をもってしまっているかを再認識してしまう内容だった。つまり、これは現代美術とはどこか違うと感じてしまうのだ。もっとも、初期の動物+花の絵や自動ポロック生成の作品などは面白いが。むしろ、ビートたけしの懐かしいギャグ映像も展示されており、やはりそれが圧倒的に良い。いや、こちらの方がアートらしく感じた。
2012/04/22(日)(五十嵐太郎)