artscapeレビュー

2012年12月15日号のレビュー/プレビュー

東京ミッドタウン・アワード2012

会期:2012/10/26~2012/11/25

東京ミッドタウン・プラザB1F[東京都]

「ジャパン・バリュー」を目指して始まったミッドタウン主催のアートとデザインの2本立てコンペ。まず「安心」をテーマに掲げたデザインコンペでは、合格祈願のお守りに発熱材を入れた(正確にはカイロのパッケージをお守り風にデザインした)市田啓幸の《おまもりカイロ》がグランプリを受賞。鳥や飛行機を型どった絆創膏を「痛いの痛いの飛んでけー」と唱えながら貼る、太田耕介+櫻井一輝+池ケ谷貴徳の《とんでいけ ばんそうこう》は準グランプリ、カツオ節のかたちにしたヒノキを削って木の香りを楽しむ小高浩平の《桧節》は優秀賞……以下略、といった感じ。アートコンペのほうはテーマが「都市」。小屋を建て、窓から室内をのぞくと屋外の風景が見えるという太田遼の《「中に入れてくれ」、と屋外はいった。》がグランプリで、以下悪いけど省略。デザインに比べ、アートは言葉にしにくい。言葉にしにくいとはいかようにも解釈できる、評価が割れるということであり、端的にいってコンペには向いてないということでもある。逆にいえば、言葉にしやすい作品はどこかデザイン的であり、それだけ入選しやすいともいえる。

2012/11/03(土)(村田真)

大久保潤「でかける!」

会期:2012/10/29~2012/11/03

blanClass[神奈川県]

大久保潤は知的障害者で、福祉施設で仕事をしながら主に絵画作品を発表してきた。写真にも強い関心を示し、1994年頃からコンスタントに撮影を続けている。カメラにフィルムが入っていると、あっという間に全部撮ってしまうので、母親が毎週24枚撮りを1本、日曜日に教会に行く前に渡すようにしているのだそうだ。教会のベンチや上着をかけるハンガー、行き帰りに乗る電車などに、必ずカメラを向けている。ほかにも、家族や障害者施設の仲間たちと国内外に旅したり、展覧会のオープニングに出かけたりしたときにも写真を撮る。こちらはそこで出会った人たちの、親密な雰囲気を感じさせるポートレートが多い。
こうして撮りためたなかから、2010年のカンボジア旅行の写真を選んで、2011年4月に個展を開催した(「大久保潤写真展 ちょっと訪ねたカンボジア」グリーンカフェ西郷山)。僕はたまたまその展示を見て衝撃を受けた。そこにはまぎれもなく、撮ることの純粋な歓びにあふれる、素晴らしい写真が並んでいたからだ。もっとたくさん彼の写真を見たい、見せたいと強く思った。それで、彼の写真活動をフォローしている姫崎由美さんと一緒に会場を探して実現したのが、今回の「でかける!」展である。
blanClassのアトリエの壁、三面にぎっしりと貼り付けた写真の数は1,000枚弱。これだけの数の写真を見ても、まったく見飽きず、もっと見たいと思わせる力が彼の写真にはある。同じ被写体、たとえばハワイのホテルのベッドの枕、カンボジアの石畳、自宅のカーテンなどを何枚も撮っているのだが、いつも初めてそれらを見つけだしたような新鮮さでシャッターを切っているのがわかる。被写体に体ごと飛びかかっていくような生々しさ、躍動感が、すべての写真にみなぎっており、つい顔がほころんでしまうような気持のよいエネルギーの波動が伝わってくる。写真を見ることの愉しさを心ゆくまで味わうことができた。
大久保の写真を「アウトサイダー・アート」の文脈で語ることはできる。これまで、写真の分野ではそのことについてほとんど言及されてこなかったので、もしかすると大きな可能性を秘めた領域となるかもしれない。だがそれ以上に、彼の写真を見ていると、何度でも立ち返るべき写真撮影の行為の原点が、そこにあるのではないかと言いたくなってくる。「普通の」写真家には、彼のように撮ることは逆立ちしても無理かもしれない。だが、誰でも最初にカメラを持って被写体に向き合ったときには、こんなふうにシャッターを切ったのではないだろうか。そのときの気持ちと体のあり方を、もう一度思い出すことくらいはできそうだ。

2012/11/03(土)(飯沢耕太郎)

あいちトリエンナーレ2013プレイベント「オープンアーキテクチャー」

会期:2012/11/03

[愛知県]

あいちトリエンナーレのプレイベントとして、建築を鑑賞するオープンアーキテクチャーを実施した。朝から名古屋市役所、大津橋分室、市政資料館、愛知県庁本庁舎などのツアーを連続して行ない、めまぐるしい一日だった。市役所の時計塔の内部や、愛知県庁の地下に新しくつくられたハイテクな免震装置の空間など、通常では見ることができない場所にも入り、帝冠様式の言葉で片付けられる建物の意外な一面も発見した。特に職員や県庁のプラモデルを制作したファインモールドによる、熱の入った説明を聴きながら、室内の細部まで観察し、市役所と県庁舎を隅々まで比較できたことがよかった。いずれも想像以上にすごい建築である。こういう体験をすると、本当に各建物のファンになる。昼は、女子校のため、やはり普段は入れない近代建築の金城学院高校栄光館において、「歴史まちづくり講演会」を行なう。大津橋庁舎や伊勢久で名ガイドをしていただいた瀬口哲夫先生と、五十嵐がそれぞれ講演し、あいちトリエンナーレと建築鑑賞をつなぐ対談を展開した。

写真:左上=名古屋県庁舎より市役所を見る、右上=大津橋分室、左中・右中=名古屋市役所内部・時計塔内部、下=金城学院高校栄光館

2012/11/03(土)(五十嵐太郎)

BIWAKOビエンナーレ2012「御伽草子──Fairy Tale」

会期:2012/09/15~2012/11/04

近江八幡旧市街地、東近江市五個荘[滋賀県]

近江商人発祥の地、近江八幡市八幡堀一帯の使われなくなった日本家屋を会場に、国内外のアーティストの作品を展示、公開するアートイベントとして開催されてきたBIWAKOビエンナーレ。開催5回目を迎えた今回は、これまでの近江八幡市旧市街に加え、同じく江戸期から続く商人屋敷が多く残る東近江市五個荘にも会場が広がり、出品作家も70組以上になった。地域、参加作家の数ともにスケールアップしたのはいいが、なにしろ会場同士が離れているのがネック。一日で両方のエリアをすべて見てまわるのには、交通手段や展示場所などを事前にチェックして、計画を立てておかねば難しい。私は残念ながら五個荘エリアに足を運ぶ時間がなく、今回見れたのは近江八幡エリアの展示のみ。それでも8カ所の展示を見てまわるとあっという間に一日が過ぎた。今回のテーマ「御伽草子──Fairy Tale」というキーワードとはあまり関係なさそうな作品もあったが、見たなかでは旧中村邸で開催されていた大和由香の石灰石を用いたインスタレーションが印象に残った。大和の作品は、この家が石灰石を扱う商いをしていたという文献からヒントを得て制作されたものだという。石がそこら中に散らばっていたり積み上がっているのだが、古い建物の匂いと窓から射し込む光に包まれた空間で、時の経過とそこでの物語を喚起するものだった。また、素晴らしかったのは、八幡山の山上にある瑞龍寺で行なわれていた大舩真言の作品展示。襖に雲の模様が描かれた「雲の間」でのインスタレーションだったのだが、大舩の2点の作品はこの空間独特の趣きに、より深遠な情趣を与える静謐な絵画で、いつまでも眺めていたいほどだった。八幡山山上と、ほかの会場からも離れた場所だったが見ることができてよかった。


左=旧中村邸。大和由佳によるインスタレーション(近江八幡エリア)
右=村雲御所瑞龍寺門跡。「雲の間」大舩真言の作品《VOID α》(近江八幡エリア)

2012/11/04(日)(酒井千穂)

笹岡啓子「VOLCANO」

会期:2012/10/23~2012/11/04

photographers’ gallery/ KULA PHOTO GALLERY[東京都]

今回の笹岡啓子「VOLCANO」の被写体は北海道・大雪山の旭岳と三宅島。その広々とした火山地帯の風景を、90×70.5�Bの大判プリントに引き伸ばした写真が二つのギャラリーにゆったりと並んでいた。笹岡は一貫して風景の中に小さく人の姿を配した写真を発表してきたが、今回もその例に洩れない。このテーマは、たしかに自然対人間の関係を問うものといえる。だが、普通よく取りあげられるように、自然と人間とを対立・拮抗して捉えるものではない。笹岡の写真では、なぜか両者とも、どこかはかなく消えてしまいかねない脆さ(弱さ)を抱え込んでいるように見えてくるのだ。その寄る辺のない印象をより強めているのが、霧、靄、水といった要素なのではないだろうか。それらをいわば自然と人間を包み込み、その中に浸透していく媒体として、繊細に、注意深く画面に写し込んでいくことによって、彼女の風景写真に特有の、肌理の細かい肌触りが生じてきている。霧に巻かれるようにして旭岳の稜線を行軍する自衛隊の兵士たちが、まるで道に迷った頑是無い子どもの集団のように見えるのがとても印象深かった。
なお、展覧会にあわせて小冊子の写真集『Remembrance12──旭岳』『同13──旭岳』『同14──三宅島』の3冊が刊行された。東日本大震災の被災地を撮影することから開始された『Remembrance』のシリーズが、このように大きく広がりつつあるのはいいことだと思う。刊行はさらに続いていくということなので、今後どんなふうに展開していくのかが楽しみだ。

2012/11/04(日)(飯沢耕太郎)

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