artscapeレビュー

2013年04月01日号のレビュー/プレビュー

平久弥 展 Exit─New York─

会期:2013/02/22~2013/03/16

Yoshiaki Inoue Gallery[大阪府]

フォト・リアリズムの手法を用い、徹底した写実描写で知られる画家・平久弥の個展。会場は2フロアあり、下の階ではニューヨークの地下鉄やホテルの室内を描いた新作が展示されていた。どの作品にも「EXIT」の表示があり、出入口もしくは非常口付近が描かれているようだ。また上の階では、東京やシンガポールのエスカレーターなどを描いた近作が展示されていた。フォト・リアリズムの画家のなかには、人間の視覚やカメラ・アイとは異なるパースペクティブを忍ばせて絵画の独自性を主張する者もいるが、平はひたすら写真に忠実に描画している。そこには究極の没個性というか、己さえも消し去った空虚な空間を描き切ろうとする欲望が感じられる。ただし、画中に登場する光のバリエーションは多彩で、場の選定には入念なリサーチが行なわれているようだ。

2013/03/06(水)(小吹隆文)

岡村桂三郎 展

会期:2013/03/04~2013/03/16

コバヤシ画廊[東京都]

多くの場合、美術家が追究する主題は生涯変わることがない。だが、その表現は幾度かの変転を遂げることは少なくない。これが近代以前の絵師たちにも通底する法則であることを考えると、その変転はたえず新しさを求める近代社会の論理の現われというより、むしろ絵を描いたりものを造形化したりする、芸術の歴史全般に通底するものつくりの原型と言えるかもしれない。その瞬間を目撃することは、美術家の仕事を持続的に見守る鑑賞者にとって、滅多にあることではないが、だからこそ鑑賞者ならではの醍醐味と言えるだろう。
岡村桂三郎といえば、龍や象、蛸、魚など、人智を超えた神獣をモチーフにした作風で知られているが、今回の新作展で発表された作品には、画面にいくつもの人の顔が出現していたので驚いた。技法が変わったわけではない。しかし、画面のなかで正面を向いてこちらを見据える人の顔は、これまでの神獣以上に、得体の知れない迫力を放っていた。眼球が透明だからだろうか、仮面をかぶっているようにも見えるから、表情から心情をうかがい知ることすらできない。亡くなった者たちへの鎮魂だろうか。あるいは身の程を忘れた現代人の非人間性の象徴なのだろうか。すぐれた現代アートの多くがそうであるように、岡村の新作は同時代を生きる私たちに大いなる謎を残した。
2000年代に登場した岡村以後の日本画の描き手たちの多くが、様式の自己模倣に陥り、そのスパイラルから抜け出す糸口を探しあぐねているなか、岡村のたゆまぬ自己探究は乗り越えるべき山脈として、彼らの眼前に悠然と立ちはだかっている。

2013/03/06(水)(福住廉)

今津景 個展 ‘PUZZLE’

会期:2013/03/02~2013/03/30

山本現代[東京都]

今津景の新作展。既存のイメージをゆらめく色彩によって再構成することで夢幻的な光景を描く美術家として知られているが、今回の新作展では、これまでの作風を持続させながらも、新たな展開を遂げていた。
全体的にはドラクロワやマネ、広重など過去の美術史からの引用にもとづいていたが、個別的には画面に複数の焦点が顕在化していたように見えた。通常、絵画の画面は描写の対象となる主題に焦点が当てられ、それらをフレームによって確定することで、絵画としての均衡状態をもたらすが、今津の新作のうちの何点かは、主題を任意に消去しているからなのだろうか、画面のなかで焦点を安定化させることが著しく難しい。フレームのなかのどこに焦点を当てようとも、何とも収まりが悪く、どこか落ち着きの悪さが残るのである。
こうした焦点の複数性は、昨今の現代絵画に散見される、画面のレイヤー構造を正当化する視点の複数性とは明らかに異なっている。視点の複数性が現代社会における複雑なメディア環境を反映させることで現代絵画を一気に蘇生させようとする一方、焦点の複数性は逆に絵画としての成立条件を根本から再考させるからだ。
安定的な均衡状態を欠いた絵画は、はたして絵画たりうるのか。危険極まりないが、しかし、最も考察に値する問いを、今津は絵画において検討しているのではないか。

2013/03/07(木)(福住廉)

複製そして表現へ──美しさを極めるインクジェットプリントの世界

会期:2013/03/05~2013/05/12

印刷博物館P&Pギャラリー[東京都]

平成25年用のお年玉付き年賀ハガキの発行総数は35億8,730万枚。このうち、無地のハガキは通常のものが4億8700万枚。他方でインクジェット紙は14億3,400万枚と約3倍である。キャラクター入りハガキなどを含めるとインクジェット用はさらに多くなる。インクジェット紙の年賀ハガキが最初に発行されたのは平成9年(平成10年用)で、そのときの発行枚数は2億枚であるから、インクジェットプリンタがこの十数年のうちに私たちの生活にとても身近な存在になってきたことがこのデータからもわかろう。デジカメの普及とも相まって、大手メーカーは写真画質の再現を目指してプリントの品質を向上させてきた。通常の印刷や版画と異なり、版をつくる必要がないインクジェットプリントは、必要なときに必要な枚数だけをプリントすることができる。このために、家庭用のみならず、印刷現場でも少部数のカラー印刷物──メニューやポスターなど──に、インクジェットプリンタが使用されるようになってきている。そればかりではない。精緻なインクジェットプリントはジークレー版画とも呼ばれ、複製画の制作に使われるほか、リトグラフやセリグラフに取って代わられることもある。データに基づいて液体を噴出するという基本的な仕組みは、3Dプリンタにも利用されている。多様な場に普及しつつあるインクジェットプリンタであるが、本展は複製と表現という二つの視点から、その可能性を見せてくれるものである。
 やはり驚かされるのは複製画の再現性である。会場には、マンガ、イラスト、水彩画、アクリル画、写真等々の実物と複製画とが並べて展示されているが、キャプションがなければどちらがオリジナルなのか区別が付かないものもある。マンガやイラストなどの平面的な作品ではもちろんのことであるが、ペンやガッシュの掠れ、アクリル画や日本画のテクスチャーまで感じられるものもあるのは驚きである。インクジェットプリンタでは金や銀のプリントはできないが、東京国立博物館所蔵《洛中洛外図屏風》の複製画は金箔までも再現されているかのように見える。オリジナル表現のコーナーでは、写真家・織作峰子氏、イラストレーター・及川正通氏らの作品が紹介されている。PCでイラストを描く及川氏の作品には物理的なオリジナルは存在しないが、インクジェットプリンタで出力された鮮やかで精緻な色彩は、プロセス印刷とは明らかに異なるアウラを感じさせる。複製の手段であった版画や写真が表現に応用されるようになったように、インクジェットプリンタを表現手法として用いる作家もこれから増えていくに違いない。[新川徳彦]

2013/03/08(金)(SYNK)

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吉原芸術大サービス

会期:2013/03/03~2013/03/10

吉原会館ほか[東京都]

かつては遊郭、現在はソープランドの街として知られている吉原で開催された展覧会。公民館や喫茶店、神社、公園などを会場に、20組あまりのアーティストが作品を展示し、パフォーマンスを披露した。
地図を片手に作品を探し歩くなかで、ソープランド街に迷い込んで呼び込みに眼をつけられたり、関東大震災で亡くなった遊女たちを供養するために建立された吉原観音像のキッチュな迫力に圧倒されたり、街歩きと美術鑑賞を一体化させた手法は、今日では決して珍しくはないとはいえ、おもしろいことにちがいはない。ただ、展示された作品の多くは、この街独特の雰囲気や建物に埋没しがちだった印象は否めない。
そうしたなか、ひとり気を吐いていたのが、高田冬彦である。吉原神社の倉庫の一室を暗室にして映像インスタレーション《偉い石プロジェクト》を発表した。何の変哲もない石がガラスケースのなかに展示され、その前の壁面には、その石をモチーフにした映像が投影された。映像には、チンドン屋とともに石が商店街を練り歩いたり、生肉を巻いて山中に放置された石に蛆虫がわく様子を執拗にとらえたり、目隠しのうえ両手を後ろで縛られた高田自身が衆人環視のなか路上で石とともに悶絶したりする様子が映っている。
映像の中心には、必ず石があった。つまりあらゆる表現は石を伴っていたが、見方によっては石が表現の主体であるかのようにも見えた。高田がさまざまなアプローチから迫ったのは、自己表現の内核にはそうした主客の転倒がありうるということではなかったか。

2013/03/08(金)(福住廉)

2013年04月01日号の
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