artscapeレビュー

2014年02月15日号のレビュー/プレビュー

標的の村

フォーラム仙台にて、ドキュメンタリー映画『標的の村』を見る。オスプレイ配備や高江のヘリパッド建設に対する反対運動を記録したものだが、衝撃的だった。特に「国家」が、座り込みをした「住民」を訴えるSLAPP、すなわち威圧訴訟を行なったこと。しかも、現場にいなかった7歳の少女まで告訴されている。これは沖縄だけの問題ではない。もうひとつ衝撃的だったのは、ベトナム村である。1960年代の初頭、米軍が沖縄の高江にベトナム風の村をつくり、現地の住民にベトナム人の役をさせて、ベトナム戦争のための演習が行なわれた。それから約半世紀後、高江にヘリパッドが建設される。『標的の村』のラストは痛々しい。日本における米軍基地をめぐる反対運動だが、現場では、座り込みを行なう沖縄県民と、やはり沖縄県民であり、排除を行なう警察が激しく争う。SLAPP裁判の流れも、少しずつ訴訟から解放しながら、高江の村民を分断させようとする方向に動いていく。

2014/01/22(水)(五十嵐太郎)

仙台文学館

[宮城県]

『S-meme』の次号で取り上げる仙台文学館を訪れる。ネオタイド建築計画による池を跨ぐゲート、あるいはブリッジ的なヴォリュームと、円形の吹抜けが、空間の大きな特徴だ。楽天優勝もあり、井上ひさしと野球の企画展を開催中だった。常設展示では、近代から現代までをたどる。文学館は美術館と違い、空間性を生かした作品の展示が難しいが、仙台文学館も展示デザインのテイストをもっと揃えられると、カッコよくなるはずだ。

2014/01/22(水)(五十嵐太郎)

せんだいスクール・オブ・デザイン 2013年度秋学期 Interactiveレクチャー♯3 新津保建秀「フレーム/余白/写真」

東北大学大学院工学研究科 せんだいスクール・オブ・デザイン[宮城県]

仙台にて新津保建秀のレクチャーが行なわれた。ももクロや戸田恵梨香の人物から建築、風景、チェルノブイリの取材まで、幅広い領域に及ぶ写真の活動は、共通点がなさそうだが、実は一貫して対象の余白を意識した作品である。つまり、撮影した瞬間の前後、情報がタグ付けされた世界、モニター上の画像、データベースのアーカイブ、双方向的なネット・コミュニティ、撮影者の周辺状況を組み込み、現代における写真の可能性を拡げる。

2014/01/23(木)(五十嵐太郎)

フルーツ・オブ・パッション ポンピドゥー・センター・コレクション

会期:2014/01/18~2014/03/23

兵庫県立美術館[兵庫県]

滋賀県に用があったので、ついでに神戸まで足を伸ばす。こちらのサブタイトルは「ポンピドゥー・センター・コレクション」。まずイントロダクションでダニエル・ビュレン、ゲルハルト・リヒター、ロバート・ライマンら20世紀の巨匠6人の作品を展示し、続いてPACメンバーによって集められた19人の「情熱の果実(フルーツ・オブ・パッション)」が紹介されている。年代で見ると、巨匠たちは1910-30年代生まれ、果実は40年代生まれのイザ・ゲンツケンとハンス・ペーター・フェルドマンを例外に60-80年代生まれで、なぜか50年代生まれがひとりもいない。で肝腎の作品だが、これもブリカンのコレクション展に似てロクでもないものも含まれている。イントロの巨匠たちがみなミニマル志向なのに対し、果実たちは色もかたちもあり、動いたり光ったり音が出たりにぎやか。つまりモダニズム対ポストモダニズムに分かれているのだが、後者はどこかものたりない。日常生活の様子を映し出すモニターを積み上げてアパートのように見せるレアンドロ・エルリッヒは、おもしろいけどそれだけだし、ガラクタを並べて光を当て壁に影を映すフェルドマンはクワクボリョウタみたいだし、エルネスト・ネトの吊るす作品とツェ・スーメイの映像作品は何度も見てるし。でも花火と砲火が錯綜するアンリ・サラの今回の映像はよかった。あと、マグナス・フォン・プレッセンとトーマス・シャイビッツはどちらも筆触を残した建築的な抽象絵画で、ちょっと目を惹く。しかもふたりともベルリン在住のドイツ人で、年齢も1歳違いしか違わない。調べてみて驚いた。なんとフランス生まれは19人中ひとりしかいない(パリを拠点にしているのは7人いるが、ベルリン拠点も同数いる)。さすが外国人に寛容と敬服すべきか、アーティストが育たないことに同情すべきか。

2014/01/24(金)(村田真)

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奥田善巳 展

会期:2013/11/23~2014/03/09

兵庫県立美術館[兵庫県]

名前は記憶になかったが、作品は関西で何度か見ていた。昭和ヒトケタ生まれで、60-70年代は概念的な平面作品をつくっていたが、80年代から2011年に亡くなるまで一貫して、黒地に単色の絵具(色はさまざま)でタッチを強調した抽象表現主義風の線描画を制作。晩年には塗り残された黒地がなにか記号のように浮かび上がり、地と図が反転した。こうして一堂に並べてみると壮観だが、1点1点味わうもんでもないし、21世紀にウケる作品ではないな。

2014/01/24(金)(村田真)

2014年02月15日号の
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