artscapeレビュー
2015年04月01日号のレビュー/プレビュー
PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015
会期:2015/03/07~2015/05/10
京都市美術館、京都府京都文化博物館 別館、京都芸術センター、大垣書店烏丸三条店ショーウインドー、堀川団地、鴨川デルタ(出町柳)、河原町塩小路周辺[京都府]
今年春の関西美術界で最注目の国際現代芸術祭。京都市美術館、京都文化博物館など、京都市内中心部の8カ所を舞台に国内外約40組のアーティストが展示を行なっている。芸術監督の河本信治は、あえて統一的なテーマを設定せず、現場から自律的に生成されるクリエイティビティを優先した。これは、昨今流行している地域アートやアートフェア、ほかの国際展に対するアンチテーゼの一種とみなすことができるだろう。それはイベント名が「para(別の、逆の、対抗的な)」+「sophia(叡智)」であることからも明らかだ。一方、統一テーマがないことでイベントの全体像が把握しにくいこともまた事実である。展示は全体の約8割方が主会場の京都市美術館に集中しており、そのうち約半数は映像もしくは映像を用いたインスタレーションである。ほかの会場は1~3名程度が出品しており、サイトスペシフィックな展示が行なわれた。筆者が注目したのは、鴨川デルタ(出町柳)でサウンドアート作品を披露したスーザン・フィリップス、堀川団地の一室で美しい映像インスタレーションを構築したピピロッティ・リスト、河原町塩小路周辺のフェンスに囲まれた空き地で、廃物を利用したブリコラージュの立体作品を発表したヘフナー/ザックス、京都市美術館でのワークショップと館の歴史を重層的に組み合わせた田中功起、一人の女性の生涯を複数の映像とオブジェ、迷路のような会場構成でエンタテインメント性豊かに表現した石橋義正、自身のDIY精神あふれる行動をドキュメント風に映像化したヨースト・コナイン、音楽のジャムセッションの様子を約6時間にわたり捉えたスタン・ダグラスといったところであろうか。ほかの国際展に比べて規模は大きくない「PARASOPHIA」だが、映像系が多いこともあって、鑑賞には時間がかかる。まず、会場で配布されているガイドブックを入手して、作品概要やコース取りなどを事前にチェックすることをおすすめする。
2015/03/06(金)(小吹隆文)
青野文昭 展
会期:2015/02/14~2015/03/14
gallery αM[東京都]
破損した廃棄物や漂着物を素材にして「なおす」こと。仙台市在住のアーティスト、青野文昭はこれまでさまざまな物を組み合わせ、融合させ、新たな造型をつくり出してきた。それらの多くは接合面がじつに滑らかに処理されているため、物と物とのあいだに主従関係を確定することが難しく、それゆえあたかもそのような物として最初から自立していたかのような風格が漂っているのが特徴だ。
新作と旧作をあわせて発表した今回の個展で注目したのは、2点。ひとつは、青野の作品がこれまで以上に垂直的な志向性に貫かれていたこと。タンスや机などを合体させる点は同じだが、それらを垂直方向に組み上げているので、記念碑のような構築性が強く感じられる。もうひとつは、以前とは対照的に、接合面が鋭角的な作品が現われてきたこと。おそらくは震災で打ち壊された看板やタンスなどが連結していることに違いはないのだが、その繋ぎ目が見えないほど滑らかというより、むしろ破壊された物の凹凸のある質感を活かしながら連結している。それゆえ物に加えられた暴力的な力の痕跡が、いままで以上にはっきりと伝わってくるのだ。
明らかな構築性と暴力性の痕跡。今回発表された新作には、青野による「表現」を明確に見出すことができる。物と物とを一体化して「なおす」という造形の身ぶりを隠していないと言ってもいい。現代美術のなかには必要最小限の手数によって作品を成立させることが美徳とされる風潮が依然として根強いが、今回の青野の表現は、第一に、そうした主流に対する批判的な応答として考えられるだろう。
だが、それだけではない。青野がそのような造形の身ぶりを前面化させたのは、おそらく物に打ち振るわれた暴力を正面から受け止め、それを造形として反転させようと試みたからではなかったか。暴力の痕跡を残した接合面は、青野自身がそれと対峙したことの現われであり、さらにそれを造形として反転させるためには、古今東西、人類による造形物の多くがそうであるように、垂直方向に力強く立ち上げる必要があったのだ。あえてそうしなければ、造形は決して成立しないということを、青野は直観していたにちがいない。
なぜなら、あの震災以後、あらゆる造形は視覚的な強度を根本から問い直されているからにほかならない。とてつもない力でねじ曲げられた鉄骨や粉砕された家屋などを、直接的であれ間接的であれ、目の当たりにしたいま、それらに太刀打ちしうる造形でなければ造形が造形である必然性は失われてしまう。ほぼ同時期に、銀座のエルメスで催されたモニカ・ソスノフスカによるねじ曲げられたゲートを宙吊りにしたインスタレーションが、当人の狙いは別として、いかにも人工的で軟弱に見えたように、私たちの眼はある意味で造形に対して非常に厳しくなってしまったのだ。暴力を忘却するのではなく受け止め、それと拮抗しうる造形を立ち上げること。青野が示した造形のありようは、ポスト3.11のアートにとって、ひとつのモデルであると言えよう。
2015/03/06(金)(福住廉)
創生劇場 Ophelia Glass 暗黒ハムレット
会期:2015/03/07
先斗町歌舞練場[京都府]
シェイクスピアの『ハムレット』を原作に、山本萌(金沢舞踏館主宰)が演出し、小林昌廣(IAMAS教授)が脚色を担当した舞台公演。日本舞踊、能、浪曲、新内、華道、コンテンポラリーダンスが共演し、現代と古典がクロスオーバーする摩訶不思議な舞台が実現した。会場の先斗町歌舞練場も演目にマッチしていたと思う。作品の内容は、原作を相当読み込んでいないと追いつけないほどアレンジされていたが、西洋の物語を通して日本の伝統芸能に触れる経験は非常に新鮮だった。特に浪曲の春野恵子と新内の新内枝幸太夫は素晴らしく、今後も機会があればぜひ拝聴したい。
2015/03/07(土)(小吹隆文)
志村ふくみ──源泉をたどる
会期:2015/01/17~2015/03/15
アサヒビール大山崎山荘美術館[京都府]
90歳にして現役の染織家・人間国宝である志村ふくみの60年にわたる創作の足跡をたどる展覧会。作家の道に入る契機を与えた母・小野豊とその指導者・上賀茂民藝協団の青田五浪や、工芸家・黒田辰秋、富本憲吉、芹沢銈介らの初期における志村の活動を支えた民藝運動の関係者たちの諸作品を含め、前期と後期を合わせて約90点の資料が展示された。志村の作品でなによりも注目すべきはその色の美しさ。自然の植物から採った材料から絹糸を染め、手機で織りあげる。ガラスケースに並べられた着物作品に対面する鑑賞者は、色彩の世界に没入するような感覚を覚えるだろう。色相の微妙な重なり、グラデーション、滲み、デザイン構成の全てが渾然一体となって視覚に訴えてくる。後期の展示でもっとも印象に残ったのは、《光の湖》(1991、京都国立近代美術館蔵)。その名の通り、フランスの印象派が行なったような、湖面に反射する光の輝きを染織作品に定着させた、作家の精神性を感じさせるポエティックな世界に深く魅了された。[竹内有子]
2015/03/07(土)(SYNK)
ハル・フォスター『アート建築複合態』(瀧本雅志 訳)
ハル・フォスター『アート建築複合態』(原題:The Art-Architecture Complex, 2011)の邦訳が刊行された。本書は、同著者による『デザインと犯罪』の続編とも言うべきもので、モダニズムとポストモダニズムの二つの事後から現代にわたる「アートと建築の複合」がテーマになっている。そこに流れる問題意識は、絵画/彫刻/建築等の旧来の美術ジャンルの解体にともない、現代建築とアートが境界を融解して、相互に干渉しあうという複合的な状況だ。同書はそこで、建築が決定的な役割を担っていると論じてゆく。著者はまず、60年代のポップアート以降のポストモダンの歴史批評から始める。そしてリチャード・ロジャース、ノーマン・フォスター、レンゾ・ピアノの建築デザインの実践を「グローバル・スタイル」ととらえ、グロピウス、ミース、コルビュジエに相対する三巨匠に数える。次に、美術との接触から活動をスタートさせた建築家たちが扱われる。ザハ・ハディド、ディラー・スコフィディオ+レンフロ、ヘルツォーク&ド・ムーロンである。そのあと、映画・彫刻・インスタレーション等のメディウムの変容について記し、それらが建築の空間に領域を侵入しているという。歴史的な芸術理論の精査と文化批評の深い洞察に裏打ちされた、読者に「読ませる」刺激的な書。[竹内有子]
2015/03/07(土)(SYNK)