artscapeレビュー

2015年04月01日号のレビュー/プレビュー

12の窓

会期:2015/03/07~2015/03/15

CAP STUDIO Y3[兵庫県]

神戸のC.A.P.にアトリエを構えるアーティストたちが、12の個室アトリエをはじめとする建物内のさまざまなスペースを舞台に、一斉に個展を開催した。C.A.P.のアトリエは普段から公開されているが、本展では、部屋を整理してホワイトキューブにする者、室内の配置をアレンジする者、普段の姿を見せる者など、展示形式はさまざま。街中の画廊で個展を行なうときと同じように本気モードで展示を行なっており、非常に見応えがあった。それでいて観客を迎えるウェルカムなムードが心地よかったことも付け加えておく。今回は出展者の一人が発案して始まったということだが、可能であれば今後も年1回程度のペースで継続してもらえないだろうか。出品者は、浅野夕紀、デイヴィッド・アトウッド、井階麻未、ペッカ&テイヤ イソラッティア、植田麻由、梶山美祈、川口奈々子、桜井類、柴山水咲、島村薫、田岡和也、築山有城、鳴海健二、藤川怜子、ポール・ベネエ、矢野衣美、山田麻美、山本千尋、前谷開の19組だった。

2015/03/14(土)(小吹隆文)

おいしい東北パッケージデザイン展 in Tokyo

会期:2015/03/06~2015/03/29

東京ミッドタウン・デザインハブ[東京都]

東北の食品メーカー10社10商品のパッケージデザインを全国のデザイナーから募集し、商品化を目指すプロジェクト。東北経済産業局と日本グラフィックデザイナー協会による企画で、応募作品623点から受賞作品・入選作品の合計270点が展示された。質の高い商品をどのように売っていくのか、どのようにその魅力を伝えていくのかがデザインに求められた課題。メーカー側からは商品の特徴、コンセプトやターゲット、販路などの条件、要望、希望が示され、デザイナー側はそれに応えたデザインを提案する。審査では見た目が優れているだけではなく、現実の販売力を持っていること、制作コストが見合うかどうかが問われている。リンゴのスパークリングジュースやゼリー、たらこや干し芋、ラーメンやふかひれスープなど、商品の性格はさまざまであるが、価格帯や販路を見ると、自家用と言うよりは概ねお土産品であり、土産物店や道の駅、百貨店やスーパーの地方物産展などで販売されることを想定しているようだ。となれば、初見のお客さんの目を惹くこと、商品の特性をよく表わしシズル感があること、同業他社の製品との差別化が求められよう。その点、受賞作のパッケージはその食品の「らしさ」のイメージと、それでいて「新しい」「オリジナル」ということとの間の微妙なバランスの上に成立していることがわかる。審査評を見ると、メーカー側がよいとするデザインに対してデザイナー側の審査員がダメ出しをする場面もあったようで、優れた商品パッケージが生まれるまでのケーススタディとしても興味深く見た。ただし、このプロジェクトは表面的には地方の企業に外部から「ガワのデザイン」を持ち込んでいるように感じられなくもない。審査総評でデザイナーの梅原真氏は「この事業が『善意のデザイン』であってはならない。企業の覚醒のきっかけとなってほしい」と述べているとおり、デザインがどこまで自分たちの商品と一体としてブランドを作りうるかが、企業にとっての本来の課題であろう。コンペでパッケージを選んで終わるのではなく、これから商品をどのように育ててゆくのか、そこまでフォローされると良いのだが。[新川徳彦]

2015/03/17(火)(SYNK)

絵画者 中村宏 展

会期:2015/02/14~2015/03/29

浜松市美術館[静岡県]

中村宏の本格的な回顧展。学生時代の絵画から近作まで、およそ60点が展示された。出品点数で言えば、東京都現代美術館の「中村宏|図画事件1953-2007」より小規模だったが、そのぶん要点を最小限にまとめた構成で、良質の企画展だった。中村宏と言えば、50年代のルポルタージュ絵画がよく知られているが、本展で明らかにされていたのは、「絵画者」というタイトルが明示しているように、中村宏の画業がまさしく「絵画」の実践そのものだったという事実である。
本展を見ると、中村の絵筆は、具象的な絵画に立脚しながらも、さまざまなアプローチによって「絵画」の内側の可能性に挑戦してきたことがわかる。太い輪郭線で縁取られた社会主義リアリズム的な画風から、地平線を中央に置いた構図のシュールレアリスム、幾何学的な構成、漫画的な形式や記号表現、さらにはキャラクター、超写実的な描写、点描を駆使したものから遠近法や消失点を自己言及的に主題としたものまで、じつに幅広い。抽象表現を除き、絵画にまつわるあらゆる問題を検証してきた道のりが伺える。
むろん、その道程に理路整然とした一貫性などを求めることはできない。だが、一貫性とは言わずとも、ある種の共通項を見出すことができるように思えなくもない。それは、中村宏の絵画に偏在する暗い穴である。
中村宏の絵画の魅力を飛躍的に増大させている要因のひとつに、黒の巧みな配置が挙げられると思う。黄と黒を規則的に配列した《タブロオ機械》シリーズはもちろん、車窓の暗がり、航空機の機影、故人の遺影など、画面の随所に置かれた黒は画面全体を効果的に引き締めている。しかし、その黒は画面構成のうえで必要とされているだけでない。暗い穴として描写されることで、容易には解釈しがたい、ある種の謎を残しているのだ。
代表作《基地》(1957)は機関銃と兵士、戦車を主な主題としているが、ヘルメットの下の兵士の顔は木板に空けられた2つの大きな穴に簡略化されている。その穴には鈍い光が灯っているものの、眼球は欠落しており、ただただ、深い闇が広がっているのだ。さらに《内乱期》(1958)には車輪の内側に、《蜂起せよ少女》(1959)には砲身の内側に、それぞれ暗い穴を認めることができるし、《パシフィック》(1961)にしても、画面中央に伸びる道の真ん中に大きな穴が穿たれている。《図鑑2・背後》(2006)にいたっては、後ろ向きのセーラー服の少女の頭部が画面上部を塗りつぶした闇に溶け込んでいるようだ。だがもちろん、それらが何を指示しているのか、明らかにされてはいない。
おそらく、その解釈は無数にあるのだろう。だが、中村宏の幅広く長い画業を紹介する今回の展示を見ていると、それらがどんなかたちをとるにせよ、いずれも絵画の向こう側に至る入り口のように見えた。それは、遠近法における消失点の先というより、むしろ絵画の奥を暗示することによって四角い平面に限定された絵画の空間そのものを相対化する、ある種の装置のような気がした。他に類例を見ないほど「絵画」を追究してきた中村宏は、にもかかわらず、いや、だからこそと言うべきか、「絵画」を突き放して見直す視点を、その内側に織り込んでいたのである。そこが、絵画者の真髄ではなかろうか。

2015/03/18(水)(福住廉)

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山本太郎×芸艸堂コラボレーション展「平成琳派 ニッポン画×芸艸堂」

会期:2015/02/25~2015/03/28

イムラアートギャラリー[京都府]

「ニッポン画」という独自のスタイルを提唱する画家、山本太郎と日本唯一の手木版和装本出版社、芸艸堂とのコラボレーション。より正確には、芸艸堂がとりもった、山本太郎と明治の図案家、神坂雪佳とのコラボレーションである。山本の作品としては、《風神ライディーン図屏風》とほか2点が、神坂雪佳の作品としては、代表作、図案集『百々世草』から《狛児》や《八ツ橋》など5点が出品されている。山本の作品、《風神ライディーン図屏風》は、あの俵屋宗達の《風神雷神図屏風》を下敷きに往年のテレビアニメで活躍した主役ロボットと特撮テレビドラマの変身ヒーローが神々に扮した作品である。江戸時代初期の画家、俵屋宗達(生没年不明)は大胆な構図と明快な色彩、華やかな装飾性で知られる。およそ100年後、宗達の作風に学んだ尾形光琳(1658~1716)が登場し、さらにそのおよそ100年後ならぬ200年後に雪佳(1866~1942)は光琳らの作風を様式化して光琳模様を創出した。そして、さらにおよそ100年後の平成の時代、山本(1974~)は宗達や雪佳を引用しながら独自の作風を探求している。しかし本展の主役は、なんといっても《信号住の江図》である。芸艸堂が版木を所有している雪佳の作品、《住の江図》に山本が1本の信号機を描き足して、新たに刷り上げられた作品である。浜辺の「松」の木に人々に「待つ」ことを強いる信号機を掛けたというわけだ。《風神ライディーン図屏風》も宗達あってのものという意味では共作といえなくもないかもしれないが、《信号住の江図》は文字通り時代を超えたコラボレーションであり、その立役者は芸艸堂の技と木版という媒体である。
ところで、山本太郎の「ニッポン画」とは次のようなものだそうだ。「一、現在の日本の状況を端的に表現する絵画ナリ。一、ニッポン独自の笑いである「諧謔」を持った絵画ナリ。一、ニッポンに昔から伝わる絵画技法によって描く絵画ナリ。(ニッポン画家・山本太郎公式ウェブサイトより)」日本画から現代美術へのアプローチといえば、「スーパーフラット」という概念を提示した村上隆や、合戦図や鳥瞰図をモチーフにした山口晃、「ネオ日本画」を標榜する天明屋尚ら同時代の美術家たちが想起される。なかではもっとも若い世代にあたる山本は少し滑稽で優しく和やかな雰囲気に特徴があり、雪佳の作風とも比較的馴染みやすい。その意味でも、今回のコラボレーションは絶妙の組み合わせであった。
京都では、琳派400年記念祭関連のイベントが次々と開催されるなか、PARASOPHIA:京都国際現代芸術祭2015もはじまった。国際的な視点から日本を見直したとき画家たちは幾度となく宗達や光琳に立ち返ってきたが、わたしたちも身をもってその回帰を体験できるまたとない機会かもしれない。[平光睦子]


左=《雷》/右=《風神ライディーン図屏風》


《信号住の江図》

2015/03/18(水)(SYNK)

わが愛憎の画家たち 針生一郎と戦後美術

会期:2015/01/31~2015/03/22

宮城県美術館[宮城県]

美術評論家の針生一郎による批評から戦後美術の歴史を振り返った展覧会。主に1950年代から70年代に制作された絵画作品を中心に、針生による著書や映像、およそ300点が展示された。
会場には、まさしく溢れんばかりに絵画が展示されていた。空間の容量に対して絵画の点数が多すぎたため、鑑賞しているうちに、次第に疲労感が増してきたが、それでもその物量感こそが、針生が対峙していた戦後美術の厚みの現われだったのかもしれない。事実、とりわけ50年代における池田龍雄や山下菊二、中村宏、曹良奎、小山田二郎、桂ゆきらによる作品は、いまもなお鮮烈な魅力を放っていた。あわせて掲示されていた針生による批評の抜粋を読むと、それがこの時代の美術と激しく共振していた様子が伺える。
ただし、そのシンクロニシティはおそらく60年代後半までだった。読売アンデパンダン展における反芸術を契機として、針生の美術批評と戦後美術の主流は徐々に離れていくように見受けられた。だが批評とは、現場の最前線で歴史と格闘することよりも、むしろ歴史の傍流や伏流にあってこそ、その真価を問われるのではないか。スポットライトの当たる場所で喧伝される批評言語は、その内容云々以前に、おのずと衆目を集めるため底上げされやすいが、その傍らの陰でささやかれる批評の言葉は、まことの説得力と美しさがなければ、読者の心には響きにくいからだ。
その意味で、本展の構成がおおむね70年代末で終わっていた点は、あまりにも惜しいというほかない。針生一郎の美術批評を根本的に再検証するのであれば、それが戦後美術の主流から逸れた80年代から晩年の2000年代の批評をこそ、そのための具体的な材料として活用しなければならないからだ。
本展でわずかに触れられていたように、この時期の針生一郎はとりわけ「人権」に焦点を当てていた。実際、「日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議(JAALA)」の結成(1977年)をはじめ、自由国際大学の創立(1986年)、第3回光州ビエンナーレ特別展「芸術と人権」のキュレーション(2000年)、原爆の図丸木美術館の館長(2001〜2010年)など、針生は人権や政治に深く関与していた。
生前の針生一郎が批評活動を展開していた時代、このような政治性は美術の創作や鑑賞と無関係であると頑なに信じられていた。針生が批評によって楔を打ち込み、突き崩そうとしていたのは、このような頑強な壁にほかならない。だが針生の死後、状況は一変した。東日本大震災による原発事故の解決を先送りしてまでも、憲法改悪を企む不穏な動きが露骨に顕在化しているいま、針生が焦点を当てていた人権は、かつてないほど大きな危機に瀕していると言わねばなるまい。好むと好まざるとにかかわらず、現代美術における「芸術と人権」は、もっともアクチュアリティのあるテーマとなってしまったのである。
本展における針生一郎の表象は、部分的で偏りがあるものだ。だが、その不在の針生一郎こそ、いま最も必要な批評の原型なのだ。

2015/03/19(木)(福住廉)

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2015年04月01日号の
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