artscapeレビュー

2022年06月15日号のレビュー/プレビュー

山梨県の建築

[山梨県]

ゴールデンウィークに山梨県の建築をまわった。梓設計による《山梨県立博物館》(2005)は、手前に水盤や竹林を設け、細い柱列が印象的なクラシックな佇まいをもった外観をもつ。エントランスの奥に関根伸夫の作品「余白の台座」がある中庭、右側に事務室・研究室・収蔵庫、左側に来場者が入る展示室群を配する。後者は導入展示─シンボル展示─体験型展示の細長いゾーンを挟んで、企画と常設が両サイドに設けられていた。ちょうど開催していた「伝える─災害の記憶 あいおいニッセイ同和損保所蔵災害資料」展は、江戸時代から近代まで、日本各地の地震、津波、火災、水災、疫病などが、当時のメディアによってどのように報道されたかを紹介している。体験型展示は大がかりなインスタレーションによって過去の空間を再現し、常設エリアでも模型が多く、建築をイメージさせるものが多かった。



《山梨県立博物館》



《山梨県立博物館》関根伸夫の中庭



《山梨県立博物館》導入展示ーシンボル展示


石和温泉街において、プロポーザル・コンペに勝利し、高橋一平が設計した《笛吹みんなの広場》(2021)は、旧NTTが所有していた2万2千㎡の敷地に芝生広場、親水空間、管理棟などを整備したものである。特筆すべきは、大小の屋根建築によるかたちの対話だろう。具体的には、約1500㎡をおおう多角形の貝型を組み合わせたような大屋根や、湾曲する細長い屋根などによって、大きな広場に対する空間の輪郭を形成しつつ、晴れの日は遠くの山とも呼応する。また大屋根を立面方向で見ると、空白部分は家型が連なるシルエットになっているのも興味深い。今後、カフェなどが開設されると良いだろう。



《笛吹みんなの広場》



《笛吹みんなの広場》


 また近くの「アリア・ディ・フィレンツェ」(1994)は、ウエディングチャペルほか、各種の産業の個性的な建築が並ぶ、街区の開発プロジェクトだが、驚くべきことにすべての建築を北川原温が設計し、都市計画やランドスケープもすべて担当している。磯崎新であれば、自らはマスターデザインを行ない、個別の物件はさまざまな建築家に仕事を分配するだろうが、ここでは一人で全体をつくりだしており、建築家にとって夢のような仕事かもしれない。あらゆる部分で北川原の秀逸な造形センスを発揮し、かたちがカッコ良ければ、文句あるか、といった感じなのだが、実際、こちらがうならされる、キレキレの街並みが出現している。



「アリア・ディ・フィレンツェ」



「アリア・ディ・フィレンツェ」

2022/05/01(日)(五十嵐太郎)

昭和日常博物館

北名古屋市歴史民俗資料館[昭和日常博物館][愛知県]

昨年、ジョルダン・サンドの著作『東京ヴァナキュラー』(新曜社、2021)を読んで、行きたくなった博物館がある。本書は、日本の都市空間における広場の困難さ、「谷根千」の自主メディア活動、路上観察学、博物館の展示などをとりあげ、モニュメントなき東京の歴史を論じるものだ。強く印象に残ったのが、トータルメディアの背景を探りながら、メタボリズムのメンバーが博物館の建築と展示に関わっていたことを明らかにしていた第4章である。ここでは1990年代から昭和の生活の展示として、ちゃぶ台が重要な役割を果たしていることを指摘し、「日常の情景や品々は戦争そのものをやわからなセピア色に染めて描くことで、当時の政治を覆い隠す役割を果たした」という。そして先駆的な事例として挙げられていたのが、1990年にオープンした名古屋の昭和日常博物館である。今でこそ博物館で昭和のアイテムも普通に展示されるようになったが、まさに昭和が終わったタイミングで、昭和の生活をテーマにすえた展示をいち早く開始したわけだ。正式な名称は「北名古屋市歴史民俗資料館」なのだが、やはり「昭和日常」を展示するという通称のインパクトは大きい。



ちゃぶ台のある展示風景


ともあれ、この本で初めて存在を知り、いつか足を運ばねばと思っていた。現地に到着し、地下の駐車場に自動車を停めると、ここにも昭和のクラシックカーの実物が展示されていた。いったん外に出て、外観を眺めると、ファサードに大きい文字で「第1回・日本博物館協会賞を受賞」と記されている。大きい建築だが、1階と2階は図書館であり、3階が博物館だった。エレベータのドアが開くと、いきなり駄菓子屋の再現展示である。コロナ禍ゆえに軽い入場制限があったため、少し待ってから入ったが、学術的な解説や個別のキャプションはなく、市民から寄贈されたさまざまなモノが「放課後はボクらの天下だ。」や「3時のおやつは・・・。」などのキャッチフレーズによって緩やかに分類されていた。筆者も、子供のときに遊んだゲームを見つけることができた。また企画展示は、包装紙や広告など、「紙モノづくし つたえる・つづる・つつむ・はる・ふく・あそぶ」であり、立体的にディスプレイされていた。同館は、研究施設としての博物館というよりも、ああ懐かしい! というエンターテイメントとして楽しめるが(来場者の反応を見ると、主にそうだった)、モノを通じて回想し、高齢者ケアを行なうユニークな活動も展開しており、博物館の概念を拡張している。



地下駐車場での展示



ファサード



入口の周辺



展示導入部



「紙モノづくし つたえる・つづる・つつむ・はる・ふく・あそぶ」展 展示風景



「紙モノづくし つたえる・つづる・つつむ・はる・ふく・あそぶ」展 展示風景

紙モノづくし つたえる・つづる・つつむ・はる・ふく・あそぶ

会期:2022年3月5日(土)~5月29日(日)
会場:北名古屋市歴史民俗資料館 昭和日常博物館
(愛知県北名古屋市熊之庄御榊53)

2022/05/03(火)(五十嵐太郎)

沼津の近現代建築

[静岡県]

静岡県の沼津市を訪れた。ここはアニメ『ラブライブ! サンシャイン!!』の聖地でもあり、街のあちこちでキャラクターに出会うが、想像していた以上に数多くの近現代建築を見ることができた。まず丹下健三の《図書印刷沼津工場》は、1954年に竣工したモダニズムである。ファサードは車道路沿いに凄まじく細長いプロポーションをもち、造形が鋭い。正面が壁で埋められて、透明な構造が、やや見えにくくなったものの、現役で活躍している。その後、長坂常によるリノベーションで人気店の《cafe/day》(2015)で、おいしいパンケーキを食べたが、こちらは丹下の時代とは違う、2010年代のカジュアルな感性を体現していた。すぐ近くには、槇文彦が設計した白い《加藤学園暁秀初等学校》(1972)、長谷川逸子の黄色のアクセントが印象的な《沼津中央高校》(2002)、久米設計の今風のルーバーを並べた《ぬまず健康福祉プラザ》(2007)などもある。また沼津駅の周辺には、やはり長谷川による巨大なコンベンションセンター《ふじのくに千本木フォーラム》(2013)は、ライトコンストラクションと木をハイブリッドした建築がたつ。これは屋上の庭園から、富士山がよく見える。


《図書印刷沼津工場》



《cafe/day》



《ふじのくに千本木フォーラム》


思わぬ伏兵として良かったのが、増沢洵の《沼津市民文化センター》(1982)だった。打ち込みタイルの時代になった前川國男に通じるデザインで、決してラディカルではないし、現代風でもないが、内部空間とその展開がとてもていねいに作られており、もっと再評価されるべき作品だろう。40年過ぎても色あせない造形だった。逆にキレキレなのが、菊竹清訓の《沼津市芹沢光治良記念館》(1979)だった。荒々しいコンクリートの塊が集合した要塞のような建築である。大きな施設ではないが、教会を意識したらしく、異様な存在感を放つ。沖種郎による《きうちファッションカレッジ》(1961)も力強い建築だった。もう使われていないが、解体はされていなかったので、奥の渋いモダン建築とあわせて、60年前の名建築にうまい活用法が見つかるといいのだが。そして歩道上に建物が張りだす、池辺陽らの《沼津市本通防火帯建築》(西側1953、東側1954)、すなわちアーケード商店街も興味深い。都市スケールで展開する1950年代のモダニズムの心意気を感じる。



《沼津市民文化センター》



《沼津市芦沢光治良記念館》



《きうちファッションカレッジ》



《沼津市本通防火帯建築》

2022/05/05(木)(五十嵐太郎)

三重の街並み

[三重県]

実は昨年、初めて立ち寄ったのだが、その際はあまりにも滞在時間が短く、江戸から明治時代にかけて約200軒の町屋が連なる全体を見たかったので、東海道47番目の宿場町だった三重県の「関宿」を再訪し、約1.8kmの関宿の街道を往復した。もちろん、ここは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。さわやかな空間の主屋が残る《関の山車会館》、上階において街並みの変化を連続写真で展示する元町屋の《関まちなみ資料館》、大規模な《関宿旅籠玉屋歴史資料館》も、それぞれ良かったが、これだけの長い距離で、古い建築群が続く街並みを保存、もしくは修景しているのは本当に画期的だ。大室佑介が内部のリノベーションを手がけたピザ屋も、外観は一切手を加えられないように、街並みのファサードは厳密にコントロールされている。



関宿の街並み



関の山車会館の主屋



旅籠玉屋歴史資料館の2階



大室佑介によるリノベーション


初の松坂市は、有名な現代建築は存在しないが、古い建築がよく残っていた。そこで、まず赤い壁が目立つ「松阪工業高校資料館」(旧三重県立工業学校製図室)(1908)、モダンな《中井珠算簿記学校》、レンガ造の《松阪市文化財センター(旧カネボウ綿糸松阪工場綿糸倉庫)》(1923)などの近代建築をまわった。城跡内にある「松坂市立歴史民俗資料館」は、明治期の旧図書館を改造したものであり、松坂商人と日本橋の関係を学ぶ。二階の《小津安二郎松坂記念館》では、映画『秋刀魚の味』の家屋模型も展示されている。すき焼きで知られる「牛銀本店」は昭和初期の建築であり、ちょうどお昼だったので、横の洋食棟のランチを食べることができた。約1時間待ちになったが、近くの古い街並みを散策していれば、まったく苦にならない。



松坂市立歴史民俗資料館



牛銀本店


特に良かったのは、殿町や魚町である。個別の建築としては、小さい武家屋敷を増築した「原田二郎旧宅」、圧倒的にユニークな近代和風の意匠に感心させられた豪商「旧長谷川治郎兵衛家」、そして現代の公共施設に通じる空間の構成が巧みな《旧小津清左衛門家》などが秀逸だった。これらのパンフレットの解説ではほとんど触れられていなかったが、いずれも建築的な面白さをもっとアピールしたら良いのに、と思う。また城跡に近い、石畳の両側に武家屋敷が並ぶ、江戸時代の「御城番屋敷」は、復元かと思いきや、現存する古建築であり、しかも武士の子孫が今も居住し、実際に暮らしていることに驚かされた。関宿の街並みもそうだったが、まさに生きた文化財である。



旧長谷川治郎兵衛家



旧小津清左衛門家

2022/05/05(木)(五十嵐太郎)

布の翼

会期:2022/04/15~2022/05/08

染・清流館[京都府]

染色作品を中心に展示する「染・清流館」では珍しい、社会性の強い現代美術作品のグループ展。「布と染色」という切り口から、沖縄・在日・日本国憲法第九条といった戦後日本社会の構造を問う好企画だ。展覧会タイトル「布の翼」には、空爆にも使われる「金属の翼」と対比させ、作家の創造力やメッセージをのせて運ぶ媒体という意味が込められている。

沖縄出身の照屋勇賢の代表作のひとつ《結い、You-I》(2002)は、紅型で鮮やかに染められた振袖だが、文様には花や鳥、ジュゴンに加え、戦闘機、落下傘で降下する兵士、オスプレイが混じり、伝統工芸と米軍基地が同居する。アメリカによる琉球文化の侵食、あるいはそれすらも飲み込んで融合しようとするしたたかさの表現ともとれるが、紅型がアジア太平洋戦争で壊滅的な打撃を受け、戦後は米軍兵士向けの商品をつくりながら復興を遂げたことを考えると、照屋の作品は「伝統文化と基地の共存」といった表層的な見方にとどまらず、紅型が辿った苦難の歴史を包含するものだと言える。また、日清戦争以降の戦前の日本では、日の丸や軍艦、戦闘機などの図案を配置した「戦争柄の着物」が流行したことを思い起こせば、「基地柄の着物」として「戦後の沖縄」に反転させた照屋の作品は、沖縄においてはまだ「戦争」が終わっていないこと、そして身に付ける人の意思表示を伝える装置としての「衣服」を示唆する。



照屋勇賢《結い、You-I》 佐喜眞美術館所蔵 [撮影:シュヴァーブ トム]


「誰がその紅型を身にまとうのか」という照屋の問いかけと呼応するように、見る者の立ち位置を問うのが、染色の技法で絵画を制作する河田孝郎の《那覇1999》(2000)である。抽象化された家屋の壁を思わせる矩形に、「基地のフェンス越しにこちらを見つめる子ども」の像が染められ、その背後には、沖縄の家屋に使用される赤瓦の屋根がわずかに見える。フェンスで民家と区切られた「こちら側」すなわち「基地の中」に鑑賞者を強制的に転移させる仕掛けは、私たち観客こそ沖縄に一方的に基地を押し付けている共犯者であることを突きつける。



河田孝郎《那覇1999》 染・清流館所蔵 [撮影:深萱真穂]


そして、戦争放棄をうたう日本国憲法第九条の条文を、日米の権力関係や視点のズレから問い直すのが、柳幸典のインスタレーションである。《The Forbidden Box》(1995)では、開くことを禁じられた玉手箱(あるいはパンドラの箱)を思わせる鉛の箱から飛び出した布に、原爆のキノコ雲がプリントされ、第九条の条文、その英訳、元になったマッカーサー草案の英文が裏表に重ねられ、日米の視点のズレとともに「読まれにくさ」を可視化する。床に置かれた《Article 9 2016》(2016)では、散らばった電光掲示板に第九条の条文が流れ、バラバラに分節化されて静止したのち、文字が一斉に消えて沈黙する。解体と機能不全のなかに、「公共に向けたメッセージ」として修復を待つ希求がわずかにのぞく。



柳幸典 展示風景 [撮影:シュヴァーブ トム]


一方、本展のなかで唯一、個人的な視点から問うのが、染織作家の呉夏枝(お・はぢ)の初期作品である。《三つの時間》(2004)では、祖母の出身地の済州島で、祖母・母・自身のチマチョゴリを着て撮影した写真が、祖母の遺品の麻布に転写される。白、赤、ピンクのチマチョゴリを着て一本の道に立つ呉は、奥へ遠ざかり、振り返り、正面を向き、再び手前へ近づく。祖母と母の記憶である衣服をまとい、「この道に祖母が立っていたかもしれない」と想像しながら記憶を演じなおす呉。その再演の舞台である「道」は、個々の人生の歩み、母から娘への血縁の連なり、民族が強いられた移住と、多義的なメタファーに満ちている。また、祖母の白いチマチョゴリに染めと刺繍を施した《三つの花》(2004)は、あえて皮膚に触れる内側に染めを施すことで、「これをまとった祖母の記憶に触れたい」という切実な思いが美しく昇華されている。そして、「身にまとう人への想像」を介してそれは、「布と染めに託された周縁化された声」として、再び、冒頭の照屋の紅型と出会い直すのだ。



呉夏枝 展示風景 [撮影:シュヴァーブ トム]



呉夏枝《三つの時間》より [撮影:シュヴァーブ トム]

関連レビュー

照屋勇賢《結い, You-I》──多次元の美の問いかけ「翁長直樹」|影山幸一:アート・アーカイブ探求(2018年03月15日号)
呉夏枝「-仮想の島- grandmother island 第1章」|高嶋慈:artscapeレビュー(2017年04月15日号)

2022/05/06(金)(高嶋慈)

2022年06月15日号の
artscapeレビュー