artscapeレビュー

2022年06月15日号のレビュー/プレビュー

河野和典『永遠のリズム Eternal Rhythm』

発行所:PCT

発行日:2022/04/20

河野和典は1999年から2004年まで『日本カメラ』の編集長を務めるなど、写真関係の多くの書籍の出版にかかわってきた編集者である。ところが、その彼は50年以上にわたって写真を撮り続けており、今回そのなかからカラー、モノクローム作品98点を選んで写真集を刊行した。嬉しい驚きというべきだろうか、そこに掲載されている写真群は、見ること、撮ることの歓びを、みずみずしい生命感あふれる写真群として結晶させた素晴らしい出来栄えだった。

写真集には短い「あとがき」がついているのだが、そこに記されている言葉が、そのまま彼の写真観の表明になっている。「写真を撮るということは、知らない世界を発見する行為と言ってよい。物事を記録したり表現したりする手段には、文字であったり絵であったり音であったりといろいろあるけれど、写真は眼前の被写体を光で描き記録する。そしてそのなかに時間と空間を留める。私にとって写真は、もっとも貴重な記録手段であり、表現手段であり、なにより撮るときにも見るときにも、多くのことを発見する手立てでもある」。シンプルな言い方だが、ここには、写真家/表現者の基本的な思考のあり方がよく表われている。写真集のページをめくると、河野が何よりも「もの言わぬ植物の生命力、そしてその造形力」に魅せられつつ、写真撮影を通じて「発見し、知る」ことを求め続けてきたことが、よく伝わってきた。

まさに「永遠のリズム」を感じさせる写真の配列、レイアウト、デザインもとてもいい(ブックデザインは加藤勝也)。印刷のクオリティも高い。長年にわたる編集者としての経験の蓄積が、写真集の造本にも活かされている。

2022/05/14(土)(飯沢耕太郎)

Kanzan Curatorial Exchange「写真の無限 」vol.1 横山大介「I hear you」

会期:2022/04/26~2022/06/12(会期延長)

kanzan gallery[東京都]

必然性と切実性が感じられ、作者の思いが伝わってくるいい展覧会だった。1982年、兵庫県生まれの横山大介は、吃音の障害をもちつつ写真家としての活動を続けている。彼にとって、「他者に声をかけ、向き合い、カメラをとおして他者を見つめ、見つめ返される」ポートレート写真を撮影するという行為は、「会話以上の他者とのコミュニケーションになる」ものだという。今回のkanzan galleryでの個展には、2011年から続けている写真シリーズ「ひとりでできない」から、11点を出品していた。

写真の多くは、まさに「見つめ、見つめ返される」あり方を、シンプルかつストレートに提示したものだ。とはいえ、距離感や構図は一定ではなく、それぞれの被写体に対応して細やかに配慮している。なかに一点だけ、和室にあぐらをかいて座っている初老の男性を写した写真があって、他の写真とやや異質な眼差しのやりとりを感じた。もしかすると、近親者なのかもしれないが、キャプションが一切ないので、観客にはモデルのバックグラウンドはよくわからない。だが逆に、この人は何者なのかと想像する余地があることで、ポートレートに深みと奥行きが備わってくる。写真の選択、プリントの大きさ、レイアウトの決定なども含めて、横山の丁寧な写真展の構築の仕方が印象深かった。ぜひ写真集にまとめてほしい仕事だ。

会場には、もう一作、三島由紀夫の『金閣寺』、重松清の『きよしこ』、金鶴泳の『凍える口』など、「吃音の描写が印象的な文学作品」をいろいろな人に初見で読んでもらうというパフォーマンスを記録したビデオ映像作品「身体から音が生まれる」も出品されていた。48分15秒という上映時間はやや長過ぎるが、見応え、聞き応えのある作品である。

2022/05/17(火)(飯沢耕太郎)

篠田桃紅展

会期:2022/04/16(土)~2022/06/22(水)

東京オペラシティ アートギャラリー[東京都]

前衛的な「書」における文字の解体から、MoMAの展覧会への参加を契機とした1950年代におけるアメリカ滞在を経て、現代美術の影響も受けながら、純粋なかたちによる抽象的な表現へと展開していく流れ、あるいは同じモチーフの探求など、単純にカッコ良い。当時、撮影された映像ドキュメント「日本の書」で確認できる、彼女が描く際の身のこなしも、それ自体が洗練されたパフォーマンスのようだ。個人的に特に関心をもったのは、上階のスライド・ショーで紹介されていた建築家とのコラボレーションである。20世紀の半ばは、岡本太郎、猪熊弦一郎、流政之らが、さまざまなモダニズムの空間にパブリック・アートを提供し、建築と美術の協働がうたわれていたことはよく知られているが、基本的に平面の作品によって、篠田も実に多くの建築に関わっていた。同展の年譜によれば、1954年、サンパウロ市400年祭において丹下健三が設計した日本政府館に壁書を制作したのが最初の建築関連の仕事のようである。なお、同年の銀座松屋の個展では、丹下が会場デザインを担当していた。

会場でメモしたので、以下にその事例を列挙しよう。丹下の建築では、《日南市文化センター》(1962)における緞帳やホワイエの作品、《旧電通本社ビル》(1967)のロビー、《国立代々木競技場》(1964)の貴賓室における剣持勇の家具との共同作業。そして大谷幸夫の《京都国際会館》(1966)のロビーにおける壁画やレリーフ、芦原義信の《ホテル日航》(1959)、佐藤武夫の《ホテル・ニュージャパン》(1960)、竹中工務店の《パレスホテル》(1961)、《コンラッド東京》(2005)などである。モダニズム以外では、増上寺の巨大な壁画を手がけていた。コンラッド東京をのぞくと、1960年代の重要な施設にかなり集中していることがよくわかる。なるほど、ポストモダンの時代には、建築そのものがやや装飾的になるので、モダニズムのプレーンな面に囲まれた空間に対して、具象的でもなく、過剰に装飾的でもない篠田の抽象的な作品は、相性が良かったのだろう。そして日本的なるものを現代的に再解釈した姿勢も、同時期の建築と共振している。

2022/05/18(水)(五十嵐太郎)

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佐藤卓 TSDO展〈 in LIFE 〉

会期:2022/05/16~2022/06/30

ギンザ・グラフィック・ギャラリー[東京都]

グラフィックデザイナーの佐藤卓は非常にバランス感覚の良い人だと、本展を観て改めて感じた。彼は世の中に広く流通する食品などの大量生産品のパッケージをデザインしたり、またアカデミックな展覧会のディレクションに携わったりする一方で、定期的に個展を開いて自らの作品を発表し、そのユーモラスな才能を発揮している。「公と私、外と内、客観と主観、他発と自発、デザインとアートのように対照的でありながら、それらに隔たりをつけるのではなく相互に関係させている」という解説はまさにそのとおりで、本展でもそれらを対比させるように1階に個展などで自発的に制作してきた作品を展示し、地下1階にデザインの仕事を展示していた。1階の会場に入ると、牛乳のパッケージを分解しアート化した作品や、歯磨き粉のようなチューブの口を巨大化した作品など、日常生活のどこかで見たことがあるような要素を織り交ぜた、キャッチーな大型作品が目に飛び込んできてワクワクさせる。佐藤卓ウォッチャーの私としてはどれも見覚えのある作品だったが、人々の心を即座につかむ能力にはやはり長けていると感心する。


展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1階[写真:藤塚光政]


展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリー1階[写真:藤塚光政]


地下1階に降りると、これまでのデザインの仕事が整然と並んでいた。ある程度、佐藤卓およびTSDOのデザインの仕事を知っていると私は思っていたが、なかには「こんな商品まで!」と思う仕事も散見した。キャプションにはそんな気持ちを見透かしたような解説があり、参ったと思う。つまり佐藤卓の仕事としてよく語られる「ロッテ キシリトールガム」や「明治おいしい牛乳」などは、「デザインがデザインとして語られる仕事」と言えるが、実はそれに当てはまらない仕事もたくさんあることを知ったのだ。前者は往々にしてモダンデザインであることが多いが、かと言ってモダンデザインがデザインのすべてではないし、優劣を決める基準でもない。それを彼は熟知しているのだ。その点でプロフェッショナルに徹したデザイナーだと痛感する。また、別のキャプションでは地域で仕事をする際に心がけていることとして四つの事項が書かれており、そのひとつに「作品をつくらない」とあって腑に落ちた。自身の作風を第一にするデザイナーはある一定層いる。しかし佐藤卓は作品づくりへの欲求をデザインの仕事には持ち込まず、個展を自発的に開いて発表することで満たしてきたのだろう。そうしたバランスの取り方が、彼の健全さにつながっているように思えた。


展示風景 ギンザ・グラフィック・ギャラリーB1階[写真:藤塚光政]



公式サイト:https://www.dnpfcp.jp/gallery/ggg/jp/00000787

2022/05/18(水)(杉江あこ)

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アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真

会期:2022/05/20~2022/08/21

東京都写真美術館3階展示室[東京都]

日本の1930-40年代の写真の動向にスポットライトを当てた展覧会が、ここ数年、相次いで開催されている。福岡市美術館の「ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画」(2021)、名古屋市美術館の「『写真の都』物語 —名古屋写真運動史:1911-1972—」(2021)などがそうだが、東京都写真美術館でも2018年の「『光画』と新興写真 モダニズムの日本」展に続いて本展が開催された。

欧米のモダニズム的な写真の傾向を積極的に取り上げた「新興写真」は、やや「直訳模倣」の面があり、昭和10年代(1935~)になると、早くも「行き詰り状態」を呈する。それに代わって、シュルレアリスムやアブストラクト(抽象)絵画の影響を取り入れつつも、日常の中に潜む魔術的、幻想的な要素を写真本来の描写力を用いて明るみに出そうとする「前衛写真」が、大阪(関西)、名古屋、福岡、東京などで花開くことになる。本展には安井仲治、小石清、河野徹、本庄光郎、平井輝七(以上、大阪)、坂田稔、山本悍右、後藤敬一郎、田島二男(以上、名古屋)、高橋渡、久野久、許斐儀一郎(以上、福岡)、瑛九、永田一脩、恩地孝四郎(以上、東京)などの作品が並んでいた。「前衛写真」の発想の源となった、同時代のヨーロッパの写真家たちの作品も含めて、これだけの質量の仕事を一堂に会するのはめったにないことなので、それだけでも貴重な機会といえる。

ただ、そこから何か新たな方向性が見えてくるかといえば、そうでもなかった。準備期間が短かったこともあり、やや総花的な顔見せ展になってしまったことは否定できないだろう。今後はその前史といえる「新興写真」、さらに戦後における展開と見るべき1950年代の「主観主義写真」も含めて、より包括的な枠組みの展示が必要になってくるのではないだろうか。

関連レビュー

「写真の都」物語 —名古屋写真運動史:1911-1972—|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年04月01日号)
ソシエテ・イルフは前進する 福岡の前衛写真と絵画|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2021年03月01日号)
『光画』と新興写真 モダニズムの日本|飯沢耕太郎:artscapeレビュー(2018年04月15日号)

2022/05/19(木)(内覧会)(飯沢耕太郎)

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2022年06月15日号の
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