artscapeレビュー
「開館60周年:シャルロット・ぺリアンと日本」展
2012年01月15日号
会期:2011/10/22~2012/01/09
神奈川県立近代美術館 鎌倉[神奈川県]
建築家ル・コルビュジエと協働したフランスの建築家・デザイナー、シャルロット・ペリアン(1903-1999)は、第二次世界大戦直前の1940年と、戦後1953年の二度にわたって日本に長期滞在した。ペリアンの仕事を語る視点としては、彼女が日本のデザイン界に与えた影響と、日本での体験が彼女の仕事に与えた影響とのふたつがあげられよう。今回の展覧会はこのうち後者にフォーカスし、彼女が日本でなにを見て、なにを学び、どのような影響を受けたのかを明らかにする優れた企画である。
1940年、ペリアンは日本の輸出工芸品の開発指導を目的に商工省の招聘により来日し、各地で見学、調査、講演等を行なった。そして1941年春には東京と大阪の高島屋で「選擇・傳統・創造」展を開催している。また、1953年にはエールフランス社東京営業所支社長の夫とともに再度来日し、支社のインテリアなどを手掛けている。展覧会では彼女の作品を展示するばかりではなく、シャルロット・ペリアン・アーカイブ等の資料により、招聘の過程を明らかにし、またノート、日本で収集した写真などにより彼女の日本へのまなざしを丁寧に追う。
「選擇・傳統・創造」展において、ペリアンは日本の工芸品のなかからヨーロッパの人々の生活のなかで使用可能な製品を選び出すと同時に、捨て去るべきものを示した。捨て去るべきもののなかには工芸の権威による作品もあり、当時は物議を醸したという。他方で日本のデザイン、工芸に携わる人々からは彼女の選択や解釈に対しては批判もなされている。本展においてその点はやや控えめに扱われているのであるが、もっと強調されてもよいのではないだろうか。ペリアン来日の本来の目的は輸出工芸の振興である。彼女の「選択」は、ヨーロッパ人が日本に抱いていたイメージであり、日本に求めていたものである。対する批判は、日本人が目指し、つくりだそうとしていたデザイン・工芸である。このギャップのなかに、彼女が日本で見出し吸収した、欧米には存在しない日本独自の美の基準があったとはいえないだろうか。
本展は広島市現代美術館(2012/01/21~03/11)、目黒区美術館(2012/04/14~06/10)に巡回する。市販もされている展覧会図録(『シャルロット・ペリアンと日本』 鹿島出版会、2011)には、ペリアンと坂倉準三が交わした書簡や、彼女の手帖などが翻訳とともに収録されており、資料としての価値も高い。[新川徳彦]
2011/12/10(土)(SYNK)